ポップカルチャーと美術館博物館(1)
突然降って湧いた疑問にどう向き合うか、どう指摘すべきか、私論を一つ一つ論じて行きたいと思う。
なぜこのような企画展が頻出するようになったのか。過去5年の美術館博物館の展覧会を見ていった中で思った率直な意見である。美術館博物館の予算がないだとか、人員稼ぎだとか、多くの意見も出ているのは事実であるが、自分はもっと問題を俯瞰して見てみると、恒常的な問題がそこにあるのではないかと思う。そこから一つ一つ整理して行きたいと思う。今回は美術そのものの陳腐化についてである。
1:美術そのものの陳腐化
大きな問題としてスッと出てきたのが、これである。昔は入館者が少なくゆっくり見れたものと聞く。今はメディアが(特に新聞とテレビ局が)こぞって企画展の中心的役割を果たす中で、そこまでやるかと言わんばかりの過剰なまでの宣伝をしている。
そして美術館にやってくる作品はもちろん金銭的に高価なものであることに変わりはないし、文化的側面を見ればその作品の意味が理解できるようになる。今までの学校教育の範疇をはるかに超えるから知識の深化につながる。もちろん、歴史を勉強してきた人には苦にならないが、それでも一般的な美術史を習っている人にとっては新たな知識を得るいい場所になった。なったが故にマニアックな作品ばかりで敢えて知らない方がいいというものも多くなったのも事実である。
話を陳腐化に戻すが、作品を紹介しすぎたまたは作品を海外から借りすぎたが故に、また各種メディアの発達とその特集によって多くの人々が美術作品を見ることができるようになった。もはやこれは陳腐化というより大衆化といった方が正しいのかもしれない。大衆化することによって作品がくるということ自体がイベントとなってしまったのだ。
例えば2016年の東京都美術館であったような5月なのに高齢者が熱中症でダウンだとか、5時間待ちとか、やりすぎ感が否めないような出来事が起き続けている。もはやこれは陳腐化した弊害ではないだろうか。
日本において特に問題視しなければならないのは、美術館の企画展がショウビジネスという視点で取り扱われてしまったという点である。ショウビジネスというと美術において一見関係なさそうに見えるが、先述したメディアが一つ曲者になってくる。資金面だけでなく広告宣伝も駆使するからだ。それは美術館博物館としても非常にありがたい点ではある。しかし、恒常的にメディアが一枚噛んでいると、作品がメインなのか、美術館博物館で鑑賞後の楽しみがメインなのか、曖昧になってしまうのだ。
様々な「陳腐化」の理由の中からいくつかピックアップしているが、作品を借りる際の費用も高騰しているのだ。特に日本は自然災害リスクがとても高く、東日本大震災においては水族館(これも博物館法で定義されている施設の一つ)の展示していた魚などが流失したというニュースが、また阪神淡路大震災においては借りていた大皿が地震によって割れる被害が発生していた。
それらの理由もあり、昨今では美術館博物館においてアニメや漫画などのポップカルチャーも企画展覧会として取り上げられるようになった。これもマスコミが絡むだけでない種々の問題があるが、美術そのものの陳腐化だけでないところを次回論じて行きたいと思う。
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