aikoの歌が恋を知った私たちにガンガン響くわけ
私がaikoに出会ったのは、きっと物心つくよりずっと前。
「よく流していたわよ」と母が言っていた。
記憶があるのは「秘密」というアルバムくらいの時。
中学生かそこらの私には、GReeeeNやファンモンや大塚愛などのポップでリズム感のある音楽の方が面白く、aikoの魅力は、さほど理解できていなかったように思う。
aikoは、詞を先に書き、後から曲を作っていくらしい。
本来の作り方とは逆だ。
改めて聞くと、後から付け加えたとは思えないほど、音楽が歌詞になじみ切っているのがすごい。
そんな私がaikoに自ら拝みにいったのは高校を卒業したばかりの夏。
初めて年上の彼氏ができたことがきっかけだった。
自分に魅力が無いとあきらめていた時に彼氏なんかできたものだから、喜びが全身からあふれてきて、友人に語りつくすんじゃ足りなかった。叫びたかった。
そんな時に車で音楽を流していると、ステーション機能によって、導かれるようにaikoが流れてきた。「彼の落書き」という曲である。
aikoの透明度の高い声と疾走感のある音楽を聴いたとき、これ!となったのを覚えている。
何度も何度も聞いて、一緒に「落ちぬとれぬ~♪」のサビを何度も歌った。
共感、というより、共鳴に近い。
そのころは、とにかく恋する喜びを共鳴したくて、
「桜の時」「花火」「キラキラ」「ボーイフレンド」「花風」やそのあたりの曲を車で流して歌い尽くした。
不思議とそうしているときが一番、自分の気持ちを実感できた。
その中でも特に純度の高い喜びを歌っているのは「ロージー」である。
運命にはさからえないね
きっとどう転んだって
きっとどうあがいたって
あなたとあたしは恋人なのよ
という、一見重みのある歌詞で始まる。
この歌詞を歌詞の赴くまま、音楽にのせてしまったら、きっと壮大過ぎて私たちは共鳴できないだろう。
普通ならイメージが膨らみすぎて余計なものが加わり、違うものになってしまうところを、心からそのまま抽出し、形にできてしまうのがaikoのすごいところ。その歌詞と音楽は洗練されているように感じるけれど、さりげなくできてしまうから天才なのだろう。その所作が見事に表れているのがこの曲だ。
恋の喜びだけでない。切なさ、悲しみ、残影、移り行く情緒、複雑さ……。そのすべてがaikoにかかれば、そのまま抽出されて形になっていく。
分からないとき、苦しいとき、壁にぶつかったとき、この世の終わりがやってきたとき、aikoがまるで「どないしたん、大丈夫?そんなことがあったねんな。じゃぁ分かった。一曲つくるから聴いていって」とその場で作ってくれているようにすら感じる。
加えて、本人の自伝を読み、インタビューを見る限り、それを無自覚でやってのけている。
1曲を5分や10分で作り上げてしまうこともあるそうだ。
シンガーソングライターであるというのもミソかもしれない。
誰かの音楽でなく、言葉も音も自分の身から生まれてきたものだから、説得力がある。そして美しい。
ライブで観客がボロボロ泣いているのも、納得してしまう。
恋をしたことがある誰もが、「今日はaikoしか聴きたくない」とか「aiko、なんで私のことわかるの?」っていう、「aiko体験」をしたことがあるはずだ。
それは、きっとaiko自身がたくさんの経験や思いを抱えながら、等身大の自分を鋭い感性でとらえ、ごまかすことなく、そのままのaikoを届けてくれているからだとも思う。
だからこそ、その無垢な心が声に乗り、私たちに響くのかもしれない。
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