「京都の大学生」が、くるりの岸田繁さんと話した120分の全記録。
京都外国語大学 国際貢献学部 グローバル観光学科 3回生 本間紗矢
9月の半ば、中秋の名月の翌日で月暦では今宵は満月。そして旧暦ではもうすぐ冬だというのにまだ来ない秋を待ちわびている、暑さが残るある日の午後のことだった。場所は京都市内のとある撮影スタジオ。そこで、わたしにとって特別な瞬間が訪れようとしていた。
「トントントン」、軽やかな足音が聞こえてくる。階下から階段を上がってきたひとりの男性の顔が見え、スタジオに用意されていた指定の席に座る。わたしは与えられた役割であるそのシーンのカメラマンとしてファインダー越しに、その人の姿を必死で追っていた。
その人の名は、ロックバンドくるりの岸田繁さん。撮影が始まる前、スタジオ入りされたときに、相手が学生であっても、目が合ったすべての人にしっかりと会釈をするところ、好きだなあと思った。激しく脈打つわたしの心臓のリズムとは裏腹に、スタジオに流れる時間はとても緩やかなものに感じられた。
わたしたちが岸田さんに取材することになった経緯とその理由。
今回わたしたちALKOTTOでくるりの岸田さんにインタビューすることになったのは、編集長であるコピーライターの松島さんが10年前にENJOY KYOTOでくるりを取材されていて、岸田さんとの繋がりがあったこと。それと、ついに。わたしたちALKOTTOでYouTubeを開設することになったこと。そうした縁とタイミングが重なって、わたしたちにこのような機会を恵んでくださった。時間を割いて、快く取材を受けてくださった岸田さん、マネージャーさんに、この場を借りて心からのお礼と感謝の言葉を述べたいと思います。
一昨年まで岸田さんは京都精華大学で教員をされていた。くるりファンのわたしが京都精華大学の学生なら飛びついて授業履修するのに。いつかわたしたち京都外国語大学でも授業をしてもらえないだろうか?などと妄想してみる。
ところで、最近の若者はロックを聴かない、そんな声も耳に入ってくるいまの時代。わたし自身は個人的に邦ロックが好きだから、その感覚はなかった。でもたしかに周りのお友達でいわゆるロック好きと言える人は少ないような気もする。何人かに「くるりって知ってる?」って尋ねてみてみると、わたしが勝手にイメージしていたよりは知っている人の数は少ない印象だった。わたしの中の“あたりまえ”が崩れた。そんなの悲しい!くるりを知らないなんてもったいない!
わたしがくるりの音楽が好きな理由や好きなところを語り始めると何万字あっても足りなくなるので、今回のところは割愛させていただくとして、やっぱりわたしと同年代の人にも、もっとくるりを聴いてほしい!そんな思いからALKOTTOではnote・Instagram・YouTubeを使って、くるりと、くるりが主催する京都の梅小路公園で行われる京都音楽博覧会について取り上げようということになったのだ。もちろんくるりファンのわたしもスタッフに立候補し、取材の場に居させてもらった。ここまでが今回のインタビュー番組収録までの経緯である。
くるりの原点、岸田さんの原点に触れることができた喜び。
中学・高校・大学と立命館に通い、大学でひたすら好きなことに打ち込む学生だったと振り返る岸田さん。あまり真面目な学生ではなくバンド活動ばっかりしていた、と話しておられたけれど、わたしからすればそれはとっても素敵なことだなあと思って聞いていた。なぜなら、いまのわたしにはそれほど熱を注いで打ち込めるものがないから。岸田さんが楽しそうに大学時代の話や音楽の話をされているのを見て、なぜだかわからないけれどすごく嬉しい気持ちになった。その嬉しさは「好きなバンドマンに逢えて喜んでいるただのファン」というだけではない。いま大学生の自分が、憧れの人の若き大学時代にじかに触れられたような気がしたからだと思う。「向こう側」にいる人が、ほんの少しだけ近い存在に感じられた。それが、嬉しかったのだ。
インタビューの話に戻そう。くるりの物語の始まり。高校時代の岸田さんは、よく足を運ぶ中古レコード屋さんで音楽の情報をゲットすることが多かったらしい。そこでアルバイトしていた大学生のお兄さんにギターを教えてもらったり、おすすめを紹介してもらったり。そこでのちに大学の先輩になる人から立命館大学の音楽サークル「ロックコミューン」に誘われたりもした。そして実際に大学では「ロックコミューン」に加入すると、ベースの佐藤さんらとともにくるりの前身バンドを結成。京都のライブハウスなどで活躍したのち、そこからわずか3年で大学在学中にメジャーデビューして現在にいたるということだった。大学生のころから音楽に携わり、音楽と共に生きてきた人生だったんだなあ、そしてほんとうに音楽が好きなんだなあと、今回の取材を通じてじかに肉声でその話を聞いてみてあらためて感じることができた。
音のプロならではの「聴こえかた」にまつわる興味深いお話。
ALKOTTOメンバーで今回のYouTubeでインタビュー役を務めたひとりである1年生のなのちゃんが、寝る前にラジオを聴いているという話から、岸田さんは京都精華大学の教員だったときのエピソードとして、授業の履修生でポッドキャストは聴いてもラジオを聴いている人はほとんどいなかったというお話をされていた。好きなバンドやアーティストが新譜を出したとき、お店に出向いてCDを手に取ることも少なくなった。今ではアプリで検索したりダウンロードしたりして、好きな曲をじぶんで選んで聴くことができる。そう考えるとラジオは選択肢が少なく、情報が向こうからやってくるようなそんな感じ。それを不自由と捉えるのではなく、知らないものと出会えるチャンスだと思って、ワクワク感を大事にしていたい。岸田さんのお話を聞いてそう思った。
また、それでもいまもラジオがメディアとして生き残っているのは、情報としてのフレッシュさを持ち合わせているからだと岸田さんは言う。わたしはこの言葉がとても印象的で忘れられない。「流れている水」。岸田さんはラジオのことをそう表した。確かに…とカメラのこっち側で無意識に大きくうなずいたと同時に、岸田さんの表現にドキッとした。わたしの好きな歌「奇跡」でも、岸田さんは「泣かないで」ではなくて「涙を溜めておいて」と表現している。温かさと優しさのある、岸田さんのこういう言葉や表現の仕方が好きなんだよなあ、とラジオの話を聞きながら、わたしはこっそりと自分に再確認していた。
そして。今回のインタビューのなかで、わたしがいちばん興味深かったのが、音の聴こえかたについてのお話だった。少し前の映画を覚えているひとなら分かるかもしれないけれど、某恋愛映画の中で、イヤフォンについてのワンシーンがあった。カップルが片耳イヤフォンをして音楽を聴いているのだけれど、それは音楽を制作する側にとってはありえない、というような内容だった。今回の取材でも音の聴こえかたについて触れ、わたしの中で勝手に、点と点が繋がったような感覚に陥った。
スピーカーがふたつあるのは1950年代にステレオ録音の技術が確立して、左右で異なる音を出すことで臨場感のあるサウンドとして発表できるようになったからだとか。サウンドに立体感が生まれ、奥行きや遠近感を表現することができるようになったのだ。たしかにライブハウスでも、スタンディングの位置によって音のデカさが違うかもなあということを思い出した。
レコードやCD、配信でもそうだがレコーディングされた音楽をメディアにパッケージする際、すべての音がバランス良く聴こえるようにするために、音にコンプレッションをかけて、ひずませてつぶしているらしい。初めはピンとこなかったけれど、話を聞いていくにつれだんだんと理解してきた。要は、たくさんの楽器が同時に鳴っている中ですべての楽器の音量をある程度一定にすることで、バランスの取れた心地よく聴きやすいサウンドにするために行われるレコーディング・マスタリングの工程なのだ。
聴きやすくなる反面、均一化されていて単調になってしまったり、音のフレッシュさが失われてしまったりする面もある。ある意味ですべての音が「近くなる」ということだ。たとえば空間があれば、遠くで鳴っている音と近くで鳴っている音の聞こえかたは違っているはずだけれど、それがわかりにくくなるということだ。イヤフォンで聴くならそのほうがいいだろう。実際にいまの多くの人はSpotifyなどの配信でスマホにイヤフォンというスタイルで音楽を聴くことが多い。いっぽう広い部屋にスピーカーで大きな音で聴く場合は、あまり均一化されていないほうがいいのかもしれない。岸田さんは「そこも好み」というような言い方をされていたと記憶しているが、同じ曲でもメディアや音響装置によって、それぞれに違う楽しみかたができるということを学んだ。
それとは少し視点が違うけれど、こんなことも話してくれた。街によって、音の聴こえかたが違うという話。たとえば京都は三方を山に囲まれた盆地なので、音がこもって反響するように聞こえる。自然のエコーがかかるみたいな感じということだろうか?同じ京都でも宇治や長岡京のあたりになると盆地から外れているので、街で鳴っている音が響かず抜けていくように感じるのだそうだ。大阪や東京もまたそれぞれに違う聴こえかたがするのだという。言われなければ気付かないし、そう思って聴いても聴き分けられるか自信はない。さすがは音のプロ。岸田さんの話す音の聴こえかたの話は、奥が深くて興味深くて、それこそ岸田さんの授業に潜り込んだ学生という気分で、前のめりで聞き入っていた。
岸田さんの作曲論、そして「京都の大学生」にまつわる秘密について。
もうひとつ個人的に興味深かったのは、岸田さんの作曲方法におけるターニングポイントがオーストリアのウィーンに行ったときのことだったというお話。ちょうど2007年にリリースされた「ワルツを踊れ」というアルバムの制作期にあたる。岸田さんが尊敬する作曲家の先生から作曲方法を問われた岸田さんはとりあえずギターを鳴らして作っていくというような回答をしたところ「岸田くん、それは作曲とは言わないよ」と言われ、「頭の中でイメージしている音楽、頭の中ですでに鳴っている音楽。それを形にしてください」と言われたのだそうだ。その言葉が岸田さんの作曲への考えかたやアプローチの方法を広げることとなった。
また、レコーディングで長期間ヨーロッパにいたこともあって、当時の岸田さんは日本のメンバーやスタッフとだけ日本語で話していることがヨーロッパなどから集まっている他のメンバーに対して失礼なのではないかと考え、日本人同士での打ち合わせや日常会話も含めて日本語禁止としたのだという。ふつうの大学生に比べると海外に留学したり留学生と関わったりすることの多いわたしたち外大生にとってはとても実感のあるエピソードだったし、こうした「つねに別の方法でトライしてみる」という姿勢の重要性みたいなものを、身をもって実感されてこられたのだろうということに深く共感した。
と、ここでもうひとりの学生インタビュアーであるひとみちゃんが、わたしたち京都の大学生として岸田さんにぜひとも尋いてみたいことを質問してくれた。それはくるりの楽曲である「京都の大学生」はどのようにして生まれたのか?ということだ。すると岸田さんの口から思いがけない言葉が飛び出した。なんとこの曲、スウェーデンのストックホルムで散歩しているときにパッと思いついたらしいのだ。北欧で?!口にはしていないけれど、みんながそう思っただろう。てっきり京都にいるときに作られたのだと思い込んでいたからだ。
またこの曲の歌詞の謎についても迫った。というのも歌詞を順に追っていくと、主観が入れ替わる不思議な構成だからだ。最初は鉾町生まれのお嬢さんを見かけた近所の人が語っているかと思えば、いつの間にかそのお嬢さんの視点になっている。また鉾町に帰るはずのお嬢さんはおそらく左京区の大学から206番に乗っているのだが、四条烏丸に206番で一本では帰れないし、むしろ北区の彼氏のほうが206番に乗って帰るのにふさわしいはず。そう思って聴くと喫茶店でZIPPOをコロンと鳴らしているあたりで、もしかしたら視点は彼氏に変わっていても不思議ではない気もしてくるのだ。
それについて岸田さんは、じぶんの主観ばっかりで歌詞を書くのではなく、いろんな視点で書いてみたり、視点を変えてみたりすることが大切だと言っていた。もしかしたらそれは曲作りや歌詞に限らず、何ごとにおいてもそうなのかもしれない。
音博を、三大祭りに続く、京都の若者たちのお祭りにしたい。
2024年10月12日・13日、今年も京都駅近くの梅小路公園で京都音楽博覧会が開催される。2007年から始まったこの「お祭り」は、ほかの人とはちょっと違うことをしたいというくるりらしい天邪鬼な気質が反映されているのかもしれない。今年だけでみても、くるりと親和性の高いフジ・ファブリックやKIRINJI、羊文学といったバンドのみならず、CHAGE&ASKAのASKAさんや、オペラ歌手の平野和さん、ナポリ出身のダニエル・セーぺ率いる多彩な音楽性を有するDaniel Sepe & Galactic Syndicate、ももいろクローバーZの玉井詩織さんまで、実に幅広いジャンルのミュージシャンたちが集うことになっている。まさに「音楽博覧会」という感じの顔ぶれだ。
いわゆるロックフェスとはコンセプトも違う。またフェスにはめずらしく街の中心部で開催される京都音楽博覧会は、日常の暮らしのなかに多様な音楽を取り入れてほしいというメッセージが込められているようにわたしには感じた。
そして、そんな音博には、わたしたち学生にとってもありがたい「学割チケット」がある。だから、かなりの割引になっている。そんなの行くしかないだろう。さっきも書いたけれど、知らないものに触れて、新しい発見があったり、好きになったり。あるいは想像通りだったり。わたしはそういうの大好きだから、知らないバンドばっかりのフェスに行ったり、知らない芸人の寄席に行ったりする。
いまちょうどわたしたちALKOTTOのnoteでは、京都のほかの大学のプロジェクトを紹介する企画を進めている。「京都の大学生」という曲があるくるりが主催の京都音楽博覧会。今年はぜひとも多くの大学生たちと一緒に音博を体験しに行きたいと思っている。
だから、この記事を読んでくださったとくに私たちと同世代の大学生や若い人たちにくるりを聴いてほしいし、音博にも行ってほしい。岸田さんが語る音博への思いを聞きながら、わたしはそんなことを考えていた。音博だって100年続けば立派な京都の伝統行事なのだ。
さて、およそ2時間にも及ぶロングインタビューを終えて、岸田さんは来られた時と同じくらい丁寧な挨拶をみんなと交わし、手を振りながら笑顔で階段を下りていった。どれだけスターになっても飾らないところ、あらためて好きだなあと思いながら、姿が見えなくなるまでわたしも手を振り続けた。
あ~、わたしなんか、という気持ちと緊張のせいで、じぶんの手汗を握ったままお辞儀をするだけだった、深々と。こんな機会ALKOTTOに入っていなかったらなかっただろう。次回があれば、握手してもらうんだ。終始心拍数は上がったままだったな。帰り道に見たまんまるな満月に見とれていたら、四条烏丸の交差点を、ほんの少しだけ秋を感じる冷たい風がふわっと吹きぬけていった。
京都音楽博覧会2024
2024年10月12日(土)、10月13日(日)
●会場/梅小路公園
●開場/10:00 ●開演/12:00
●前売/1日券:一般 11,000円 学生 8,500円、
2日通し券:一般 19,000円 学生 15,000円、
京都音楽博覧会 公式ウェブサイト
くるり 公式ウェブサイト
くるり公式note
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