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音博1日目を包んだやさしい潮風とピースフルな夕暮れ 〜ALKOTTO編集長による京都音楽博覧会レポート(転)〜

いよいよ迎えた京都音楽博覧会2024の初日、この日はALKOTTOのYouTubeチームのリーダーで、岸田さんを迎えての動画にも出演してくれているひとみちゃんと、岸田さんインタビューに関するnoteを書いてくれたさやちゃんと一緒に参加した。

途中、大阪の広告制作会社時代にお世話になった方と10年以上ぶりにバッタリと再開して、しばらく一緒に見たりもした。こういうのも音博の良さだと思っている。

大阪の制作会社に勤めていた頃よくお仕事をいただいた山崎さん。指折り数えてみたらじつに12年ぶり!ということに気づいて、ふたりしてビックリでした。

じつは午前中に先述した初参戦のとき2歳だった長男の高校入試の説明会に行ってたこともあって、トップバッターのCHO CO PA CO CHO CO QUIN QUIN(そういえばベースの子は細野晴臣さんのお孫さんだそうで、細野さんも音博にはよく出ていらした。こういうのも音博らしい)を見逃す。学生たちからとても良かったとの評判を聞き、とても残念だがまあ仕方がない。京都の人にとって音博は、日常の暮らしと密接な場所にあるもの。だからこれもまあ音博の醍醐味のひとつなのだと言い聞かせる。

菊池亮太さんのラフマニノフには舌を巻くという表現以外見つからない、斬新さと普遍性があった。KIRINJIは安定感があってスティーリー・ダンかと思うような大人のロックだった。羊文学のパフォーマンスは、クラシックからジャズ、ラテンミュージックにヒップホップまで、浅く広くとにかく分け隔てなく聴いてきた自分にとって、むしろダニエレ・セーぺよりもある意味で新鮮な驚きだった。日本の若い女性3ピースのロックバンドでこんなに分厚くて骨太でカッコいい演奏をするアーティストが、まだいるんだなあという感動があった。

そして、ダニエレ・セーぺ&ギャラクティック・シンジケート。イタリア・ナポリのバンドということと、前日に配信されたくるりとの楽曲「La Palummella」「Camel('Na Storia)」を予習していたこともあって、なんとなく音楽的な指向性はイメージできていた。でもその想像をはるかに超えるパフォーマンスだった。とくにナポリの海岸に吹いている爽やかな潮風のようなダニエレ・セーぺのサックスの伸びやかな音とその旋律は、例年雨に泣かされてきた音博においてめずらしく晴れ渡った今年の会場上空に広がった青空に、とてもよくマッチしていた。同じくダニエレが吹くフルートは、そのおおらかなラテンの伊達男というキャラクターとは裏腹に、どこまでも繊細でやさしかった。変拍子を多用する曲では、陽気にアドリブ演奏するいわゆる「ラテンのノリ」みたいなステレオタイプなイメージを吹き飛ばすような緻密な演奏を聴かせてくれた。

海からは遠く離れた梅小路ですが、ナポリの潮風が吹いてました。ビールがんまい。

そしてなにより、ライブ初演奏となった新曲「La Palummella」「Camel('Na Storia)」において、一緒に演奏していた岸田さんがとにかく楽しそうなのが印象的だった。
岸田さんというとベートーベンやがお好きで、共演したオーケストラもウィーンの楽団。どちらかというとドイツ・オーストリアのイメージが強くあったので、ラテンとの融合は意外だったのだけれど、終始ステージで笑顔を爆発させながら演奏している岸田さんを見ていて、この楽曲はくるりの新しいステージへの第一歩であるのと同時に、50歳を前にした岸田繁というひとりのアーティストが新たな音楽的イディオムを獲得した「新しい季節」の始まりなのだという印象を持った。その瞬間に立ち会えたことも、今年の音博の大きな成果だったと個人的には感じている。

梅小路公園に夕暮れ時が迫るころ、ASKAさんがステージに登場する。日が暮れてきて少し涼しくなったので黒ビールを買いに行って、それからFM京都αステーションなどで活躍されているDJの森夏子さんとふたりで後ろのほうで芝生に座ってASKAさんの歌うSay Yesを聴き、ぼくや森さんと同じ世代だろうお母さんが子どもらと一緒に歌っている姿を、見るでもなく見ていた。ふと森さんが「平和なフェスやねえ」と呟かれたのが印象的だった。そう。音博はとにかくピースフルという言葉がぴったりなのだ。
いま世界中で紛争が起き(ダニエレ・セーぺのバンドのヴォーカリストであるサッパはパレスチナの人々に捧げるとMCで語っていた。そういえばガザでの紛争のきっかけは奇しくも音楽フェスへの襲撃だった)、アメリカ大統領選挙では相変わらず両陣営の分断が深まっている。日本でもSNSなどを中心に無益な誹謗中傷合戦が繰り広げられている。

いい音楽を聴いて優しい気持ちになると、行動も自然に優しくなれるよね。

いっぽうで、ここではそうした対立からも罵り合いからも、遠く離れた場所にいる、いられる、という安心感にすっぽりと包まれていた。夕暮れに芝生の上で苦くて甘いビールを飲みながら、日本のいろんな場所から集まった、いろんな年齢層の人々が、思い思いのスタイルで、いろんなタイプの音楽と出会い、耳を傾け、歌を歌い、それぞれの人生を過ごしている。過ごしていられる。まるでヨーロッパの田舎町の広場や公園で、地元の交響楽団主催で開かれる小さな音楽祭のような雰囲気だ。ああ平和というのは、まったくもってこういうことなのだなあと、そのときぼくはあらためて噛み締めていたのだった。

そして、くるりの登場である。初日のくるりはいきなり弦楽四重奏楽団との共演による「ばらの花」で幕を開け、続けて「ブレーメン」で畳み掛けるという「神セット」で始まった。この一連の流れのなかで、冒頭で書いたぼくの涙につながるわけだ。

全ALKOTTOが泣いた!「ヤバい」と学生が感動していた後藤さんからの温かいコメント。

しかも、じつはこの神がかり的な四重奏楽団の第一ヴァイオリンの後藤博亮さんは、公開中のnoteについてX(旧twitter)にコメントをいただいていたこともあって、ほんとうにぼくにとってももちろん、ALKOTTOの学生たちにもスペシャルな音博1日目となった。演者だけでなく会場のファンも一体となり、垣根をこえて一緒に作るステージ、なんていうと、誰もが語る綺麗事のように聞こえるかもしれない。けれど、音博ではそれが単なるお題目ではなく、本当に現実のものとして起きてしまうのだ。
しかしこれだけで終わらないのが今年の音博。こうした「奇跡」は、翌日の2日目のくるりのステージにおいて、より鮮明に実現されていくことになる。次回最終章でご紹介しますのでお楽しみに!

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