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「浴衣で初夏の京都を歩こっと」第2回 心夏めく、初夏の京都をあるこっと。

~初夏の京都の楽しみ方と美しさ編~


こんにちは。
3回生でALKOTTOのリーダーの田中萌々花です。

今回は6月16日に実施した「浴衣で初夏の京都をあるこっと」という私たちALKOTTO初の主催イベントについて、私はとくに「京都の初夏の美しさ」という視点で書いてみたいと思います。


私が京都へ来てよく感じること、それは季節が四つではおさまらないこと。四つの季節の間に、いったいいくつの季節を持っているの?
いつも目の前に広がる京都の景色に問いかけてしまう。それはまるで色のグラデーションのよう。少しずつその色彩を変えながら移り変わっていく様子をしっかりと感じることができる。それが京都の季節だと思います。

たとえば桜咲く春と、祇園祭で賑わう夏のあいだに挟まれた6月の京都。湿度の高い京都の梅雨はかなり不快指数も高く、過ごしにくいイメージがありますが、だからこそこの時期ならではの催事や習慣、暮らしの知恵が古くから人々のあいだで受け継がれてきました。その素晴らしさを多くの人に伝えたい。今回の企画も、私はそんなことを考えながら歩いていました。


「初夏の京都、鴨川。」

初夏の鴨川散歩スタート!

イベント当日、6月中旬にしては日差しが強く空も高く見える。もう夏がすぐそばに来ているなぁ。そう私は感じました。心地良い川のせせらぎ。歩道沿いに咲く可愛らしいシロツメクサ。川辺のベンチでニコニコ日向ぼっこしているおじいちゃんと犬。無邪気に走り回る子供たちの元気な声。地元の人の憩いの場である鴨川は、今日も平和です。

私にとって川沿いをお散歩することは幼い頃からすごく日常的なことで、京都へ来てからもよく鴨川散歩をします。

この木の木陰がお気に入り

鴨川沿いは季節の移ろいが美しい川。春の桜、ゴールデンウィーク頃から始まる鴨川納涼床、初夏の東山の青々とした自然、秋の紅葉、真っ白な羽とまん丸なおめめがなんとも可愛い冬のユリカモメ。そんな素敵な景色と共に、行き交う人達の色々な日常や人生が垣間見える感じが、私はすごく好きなのです。

さて今日は、丸太町橋辺りから鴨川デルタの方に向かって鴨川沿いをお散歩。

鴨川沿いはすでに迫り来る夏に向けて、木々や葉の色が濃くなっていました。私たちは、浴衣を着て風呂敷バックを片手に、カランコロンと下駄の音を響かせて歩きます。

今年のわたしは、すでに夏めいている。例年なら、この時期は窓につく雫をぼーっと眺めるような梅雨の日々が続き、過ぎ去った春の優しい陽だまりが恋しく感じていました。でも今年は違いました。夏が楽しみだと心底ワクワクしてきて、風薫る青葉の散歩道に、初夏の鴨川ありがとうね。と想いを馳せました。そうそう、「水無月」を買わなくちゃ。


「初夏の京都、水無月。」

桝形商店街へちょっと寄り道

鴨川デルタへ行く前に、出町柳にある桝形商店街へ寄り道をします。レトロな看板や手書きの商品ポップ。どこか懐かしい雰囲気とその賑わいに、いつ行っても元気をもらえる桝形商店街。実は、福井県の若狭から京都へと続く鯖街道の終点としても知られており、毎年5月には「鯖街道ウルトラマラソン」なんていうものもあるのです(若狭国小浜から鞍馬街道を経由して出町柳まで77kmを走る!)。

京都の商店街が大好きな私は、このままだと枡形商店街の魅力と面白さだけで記事が終わってしまいそうなので、また京都の商店街マガジンで詳しく書くことにします。(そろそろ、本格的に更新していきます!)

今回の目的は、「水無月」を買うこと。

水無月とは、1年の半分にあたる6月30日に、これまでの半年の穢れを払い、残りの半年の無病息災を願う「夏越しの祓」の行事の一環として食べる京都の行事食。いわば大晦日の年越しそばのような感覚で、6月になると一気に京都の和菓子屋さんやスーパーには水無月が並びます。

今日は枡形商店街にある、おた福屋さんで水無月を買います。

おた福屋さんのおばちゃんが、「ありがとうね〜。みんな浴衣似合っとる、可愛いわぁ。暑いし気をつけてな〜」と声をかけてくれました。商店街では、こうやっていつでも会話が始まる。時には、買い物よりも会話がメインだったり。そんな「買い話」が私は大好きだ。


「ありがとうございます。いただきまーす!」笑顔で手を振ってバイバイ。

おばちゃんが3つサービスしてくれたので、24個の水無月を持って鴨川デルタへ向かいました。

川遊びをしている子供達、アイスクリーム片手におしゃべりをしている女子達、うちわを仰ぎながら木陰で休んでいるカップル、そしてこのなんとも入道雲のようなもくもくとした雲が、私たちを早くも夏に連れてゆこうとしていました。

少し前まで満開の桜と花見客で溢れていたのがもう懐かしい。時の流れの早さを実感しつつ、みんなで水無月をいただきます。

おばちゃんの温かさもあって美味しさは倍増!

私は京都へ来てから、一年という時間の流れをすごく実感するようになりました。水無月の時期になれば、もう一年の半分が過ぎるということを実感。そして上半期を振り返り、下半期も頑張ろうと改めて気合いが入ります。祇園祭のお囃子の音が聞こえ始めれば、いよいよ京都の夏がまた来たのかと、なんとも感慨深い気持ちに浸ります。(この記事を書いているのは祇園祭が始まったばかりの7月初旬で、今は一年前のある甘くて苦い思い出を久しぶりに頭の中で再生していたところ。)

とにかく京都の文化や習慣は、忙しなくすぎる毎日に、過ぎていく時間をゆっくり考えるきっかけを与えてくれる。「エモい。」っていう言葉が一番ピッタリなのは、京都の文化なのでは?と最近思います。現代版「をかし。」的な。清少納言の枕草子を初めて読んだ小学校の頃に、「をかし。」という言葉の意味の深さに混乱した記憶があります。「変だ、こっけいだ」という意味もあれば、「心惹かれる」「愛おしい」「見事だ」という意味も持ち合わせ、プラスでもマイナスでもあり、明確な線引きがない言葉だからです。でも、京都へきて「をかし。」という言葉を初めて理解した気がする。京都は、一言では片付けられない感情をたくさん感じさせてくれるから。

京都の人が水無月を食べるようになったのは平安時代頃であり、もう1000年以上この習慣が続いているのかと思うと、随分と変わってきた時代に変わらないものがあることを実感します。きっと、「変わらないこと」の中には大切なメッセージがあるから、先人たちが残してくれたんだろうな。1000年前から届くメッセージを、この水無月から受け取っているのかと思うと、なんともエモい感情になるのです。今年の上半期のALKOTTOの活動を思い返しながら、そのあっという間さと、残りの下半期も無事にみんなで活動ができますようにと願って、残りの一口を食べました。


「初夏の京都、茅の輪めぐり。」

護王神社に到着

さて今日の最終目的地は、護王神社。「茅の輪くぐり」をするためです。水無月と同じように「夏越しの祓」の行事であり、これまでの半年の穢れを払い、残りの半年の無病息災を願うという意味を持ちます。茅はイネ科の植物で、葉先が剣のように鋭いことから厄除けの力があると言われています。6月に入ると、京都の多くの神社では境内に大きな茅の輪が設けられ、茅の輪くぐりが行われるのです。

護王神社に現れた茅の輪

これは日本古来の厄除けの行事であり、その起源は日本神話に登場する説話によるもの。旅の途中の、ある神を貧しい家ながら迎え入れた蘇民将来が、感謝の印として受け取った茅の輪を腰に付けたところ、疫病から逃れて子孫繁栄に恵まれたという故事に基づく風習だそう。

茅の輪くぐりには神社によって作法があります。一般的には神歌を唱えながら、まずは茅の輪を左足から跨ぎ、左側からまわって正面へ戻ります。続いて、左足から右へまわり正面へ、さらに左足から左回りで正面に戻ります。くぐったら、そのまま神前に進んで参拝。これで完了です。

人数が多いので、渋滞中。

今回は、総勢21名で一列になって八の字を描くように茅の輪をくぐりました。今後これだけの人数で茅の輪くぐりをすることなんてあるのかな。なかなか異様な光景でした(笑)。メンバーの中には「茅の輪トレイン」なんて言ってる人もいて、それはそれでとても楽しかったです。

茅の輪くぐりは全国で行われている行事ですが、京都は神社の数多いので六月になると茅の輪をよく見かけます。興味深そうに茅の輪くぐりを見ている外国人観光客や、修学旅行生が列を作って茅の輪をくぐっている姿が六月の日常。そう、京都はすごく深い歴史が日常にあることが、面白い。何気なく見つけたものや通りかかった場所が、とんでもない歴史や意味をもつものだったりする。(ちなみに京都は魔界との結界もものすごく身近で、私は最近、鬼門にハマっています。恐ろしや京都。ただその恐ろしさも美しい。)はっきり見えるものではないけれど、常に1000年の歴史と隣合わせなのです。

ちょうど居合わせた修学旅行生たちが茅の輪くぐりをするのを見て、まだ何も京都のことを知らなかった小学生の頃の自分を思い出しました。修学旅行で訪れた京都の社寺仏閣に、その視覚的なインパクト以上に心惹かれ感動するものがあったこと。またここに来たいと強く思わされたこと。その答えは、今見つかっている気がします。

当時の自分に伝えたいことがあるとすれば、それは京都への長くて深〜い恋の始まりだよということ。あなたは知れば知るほど深い京都の沼にハマっていく、どうにも敵いませんよと。

涼しげな風鈴の音と、みんなに呼ばれる声が聞こえて、回想はおしまい。水無月を食べ、茅の輪を潜り、京都の「夏越の大祓」完了です。

ついこないだ新年を迎えて成人式をしたように感じるけれど、今年ももう半年が過ぎ去ろうとしているんだ。残り半年も清らかな気持ちで挑みたいです。

はるか昔から、1000年以上も続けられてきた京都の「夏越の大祓」。昔から受け継がれてきたものを敬い、大切に思う気持ちは忘れずにいたいし、そんな古き良き京都を繋げていけたらいいなと思います。

祇園祭が終われば、もう千日詣りと五山の送り火の時期。今年はどの送り火を見に行こうかな。景色と習慣に年中彩られている京都と共に、私たちALKOTTOの鮮やかな未来に期待を込めて、これからも京都をコトコト歩こっと。

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