振り返りツーリングレポートその2:南三陸町(2024.5.3)
春の東北周遊2024 DAY1-2:南三陸町 旧・防災対策庁舎
2024年5月3日(金)、晴れ!
さて、旧・野蒜駅の散策を終えたあとは、最寄りの鳴瀬奥松島インターから再び三陸道へと戻って、続いての目的地の南三陸町へと向かいました。
三陸自動車道(国道45号)は無料の高規格道路なんですが、東日本大震災の津波被害で海岸線の道路が破壊され、復旧活動や物流に支障を来してしまったことから、海岸線から少し離れた高台を繋ぐように新しく作りなおされた道路なんですよね。
現地を見るまでは、いつの間にやら「震災復興特別税」なんて仕組みが出来上がって、ずいぶんと高い税金を取られて、
「みんな土建屋と政治家の儲けになってるだけじゃね??(`д´)ケッ!」
なぁんて思ってましたけど・・・(^-^;)
こうして確実に「次の災害に備える街づくり」に活かされているのなら、高い税金を取られている意味もあるってもんですかな!?
ヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ!
それはともかくw
三陸道の志津川インターで降りたら、南三陸町の中心部へと坂を下って行くわけですが、すぐに「南三陸311メモリアル」の建物に到着しました~。
こちらの敷地は、かの有名な「南三陸町・旧防災対策庁舎」を中心とした、復興祈念公園の一角にありましてね。
当時の津波の高さ(16.5m)よりも高くかさ上げされた土地に「道の駅・南三陸さんさん商店街」も作られ、生まれ変わった南三陸町の中心部として、とても賑わっていましたよ♪
ただ今回、「南三陸311メモリアル」の展示は、野蒜で見た衝撃的なビデオ映像に打ちのめされちゃって、とても見る気になれず。
「時間も無いし・・・」なんて自分に言い訳しつつ、南三陸さんさん商店街に向かいました~(^-^;)
まぁ実際、この時点で時刻は午後1時40分くらいだったかな?
例によってお昼も食べずにここまで来たので、屋台村の出店で売られていた魚介類の串焼きがとにかく旨そうでね~!( *´艸`)
昼メシ代わりに、ホタテとカキのオリーブ焼きをげっと~!
ヽ(゚∀゚)ノ うぇ───ぃ♪
「酒を持ってこい~!」なんて思いつつ、あっという間に平らげて!(笑)
その後はさんさんの商店街のお店でお土産などを購入してから、旧・防災対策庁舎へと続く大きな橋を渡りました。
(ボクにはちょっと勇気が必要でした。。。)
そしていよいよ、旧・防災対策庁舎の建物とご対面。
この建物が建っている場所がもともとの南三陸町の地面なんですけど、見上げるとホントに大きくて立派な、鉄骨造りの建物でしたよ。
2011年3月11日、南三陸町を襲った津波の高さは平均16.5m。
ここでは、防災無線で避難を呼びかけ続けて亡くなった、とある女性職員のことがあまりにも有名ですが。
実は当日、この建物の屋上にも多くの方が避難していて、そのうち43名の方が犠牲になったそうです。
巨大な津波は、この大きな建物すら丸ごと飲み込み・・・無残にねじ曲げられた鉄骨が、津波の恐ろしさを雄弁に語っていました。
5月の爽やかな風の中に佇む、破壊された建物。
澄んだ青空があまりにも美しすぎて、とても哀しくなりました。
ボクはそっと手を合わせて犠牲になった方のご冥福を祈り、
この場所を離れました。
さてさて!
ここで、箸休め的なちょっとしたネタをご紹介しますね~♪
南三陸さんさん商店街から国道45号線を渡ってすぐの場所に、”それ”はありましたよ~!(・∀・)ニヤニヤ
”それ”はなんと!
あの「モアイ像」じゃないですか~!(*ノ∀`*)キャッ
ちなみに、どうしてこの南三陸町に「モアイ像」があるかと言いますと。
1960(昭和35)年に発生したマグニチュード9.5の巨大地震=チリ地震のとき、実は地球の反対側にあるこの南三陸町でも、津波の被害が出たそうなんですよね。
で、それをきっかけに南三陸町とチリが友好関係を結び、モアイ像が贈られたんだそうです。
ところが・・・東日本大震災で、その時に贈ってもらった「モアイ像」は流出してしまい、街の人たちはとても嘆き悲しんだのだそう。
(後に頭部だけ発見され、今は南三陸町の高校に保存されているとか)
しかし!
それを伝え聞いたチリの皆さんが神対応!∑(*゚艸゚*)オオッ!!
なんと今度は、門外不出のイースター島の石を使い、イースター島の職人さんの手による「本物の中のホンモノ」のモアイ像をどどーん!とプレゼントしちゃった!!∑(゚Д゚)スッ、スゲー!!
というわけで、この「目が入ったモアイ像」は世界で唯一、イースター島の外にある「本物のモアイ像」だそうで~( *´艸`)
南三陸町の旧・防災対策庁舎を見学された際にはぜひ、この「本物のモアイ像」も訪ねてみてくださいね☆
~つづく~