孕んだ視線
人間は時折、粘り気のある欲を孕んだ視線を向ける時がある。
暗く、重く、何かを言いたげな視線である。視線を逸らしたその隙に喰われそうな、かといって逸らさずにいればそのまま押しつぶされそうな欲が、眼の奥にある。
それはブラックホールと称せるくらいに光が無く、真っ黒で、掴んだものを離さない引力がある。
私は、その重い視線が苦手であり、しかし見つめずには居られないような引力のある視線が好きでもある。
いつしかその視線がとても恐かった時があった。受け身の性を自覚した頃、大して魅力的でもない癖に親元から離れて自己責任となった自分の身体の心許なさに怯えていた。
だから、告白してくる人も、恋人でも無いのにホテルに連れて行こうとする人も同等に向けてくる、懸命で重たい視線が全て恐かった。
まるで今から「喰う」と言われているようで
ある日、その視線には「悲痛」が含まれているのではないかと思うようになった。
私が受け身の性をコントロールできないように、その能動的な欲もきっとコントロール出来ないものなんだと、そう解釈できた時がある。
あの暗い視線には「この欲を誰か抑えてくれないか」というSOSなのかもしれないと思う。
そういえば、視線の引力に怯えてぼやけていた表情は、あまり嬉しくなさそうな顔つきが多かった気がする。
いわゆる少年漫画のスケベがするようなニヤついた表情の人間は、ほとんどいなかった。
力が無い人間は「憐れむべき存在」であり、常に守られるように思う。だが、力を手に入れた人間はどうだろう?
コントロールしなければ加害者となるその獣が、とても獰猛なものだったら、飼い主はどんな恐怖を抱くのだろう。
そしてそれが自身と一体であるならば、どんな葛藤を味わってきたのだろう。
気づいた瞬間、獰猛な欲への憐れみと、行き場のない被害者意識との混乱で、声を上げて泣いたのを覚えている。
性というのは残酷だ、と思う。
動物のままであれば良かったのに、理性を獲得してしまったせいで誰もが窮屈になっているように思う。
幸せであり、快楽であるはずなのになぜこんなにも傷つけるものとなってしまっているのだろうか。
少なくとも、未だに互いの欲は互いにしか分からず、完全な理解は難しいのだろう。
しかし、歩み寄れるのであれば、私はその奥にある悲しみは汲み取っていきたいと思っている。
暗く、重たく、何かを言いたげな欲を孕んだ視線。その視線に怯えなくなったならば、相手のことを救うことは出来るのだろうか。
もう少し、強くなりたい。