【工藤先生インタビュー前編】若いころの海外経験が形づくったアイデンティティ|ALiveRallyインタビュー#7
今回の記事は、国際教養大学(AIU)の卒業生でもあり、現在は准教授を勤める工藤尚悟先生をフィーチャーしました。高校には通わずホームスクーリングをし、単身でニュージーランドに渡り、東大大学院で博士号を取得するというなんとも異色の経歴を持つ工藤先生。海外でのどのような経験が先生のフラットなものの見方を形成したのか?また、「異質であれ!」という言葉の裏にあるものとは?普段はなかなか聞けない先生の価値観についてお聞きしました。日常に飽き飽きしているあなたの中にくすぶる好奇心を、工藤先生のストーリーがきっと掘り起こしてくれるはず。前編と後編に分けてお送りします!
「若いころの海外経験がその後の世界観をつくる」の言葉を信じて飛び込んだニュージーランド
ーー本日はよろしくお願いします!
A. こちらこそお願いします。
ーーまずは工藤先生が初めて海外に行かれた際のご経験についてお伺いしたいです。
A. 実はそこまで海外経験が豊富というわけではないのですが、10代のうちにどうしても留学がしたくて、単身で語学学校を探しに行きました。
ーー10代でひとり旅!凄い行動力ですね。どこに行かれたんですか?
A. ニュージーランドです。1回目は北島、2回目は南島へ行きました。その旅がきっかけで、19歳の時にニュージーランドへ1年間の留学をしました。クライストチャーチという南島で一番大きな都市があるのですが、私が渡航したのはそこから2時間ほど南にあるティマルという小さな町です。
ーー(写真をググりながら、)すごい自然豊かで素敵なところ!
A. そうなんです。ニュージーランドは、時々「世界の田舎」と言われたりもするところで、海もあり山もあり、とても良い環境でした。ここでの経験が自分のアイデンティティ形成に役立ったと思っています。
ーーなるほど。現地では具体的に何をされていたのでしょうか?
A. 現地の専門学校でファウンデーションコース*を受講しました。そこでは、英語の他に、大学に入学するための基礎的な科目を学んでいました。
*ファウンデーションコース:大学進学を目指す人の為の大学入学準備コースのこと
ーー留学はどのような目的で行かれたんでしょうか?
A. 正直、明確で具体的な目的は無かったです(笑) その時は結構洋楽が好きで、普段聞いている曲の歌詞の意味を知りたい!とかそんな感じでしたよ。
ーーへぇ!意外と衝動的な理由からだったんですね!!工藤先生は若いころから着々と計画されていたのだとばかり思っていました…
A. これがやりたい!という目的は当時無かったですが、今振り返ると、周りの大人に「10代のうちに海外に長く行くと、その後の世界観が変わる」という言葉をもらったことが、自分の背中を押してくれました。この言葉をきっかけに、あまり深く考えることなく、一味違った世界が見えるんだったらちょっと行ってみようか、という気軽な思いから留学を決意しました。
ーーなるほど。自分も憧れやかっこいいなどの直感的な感覚が背中を押してくれたことがあったので、ちょっと分かる気がします。
A. ですよね(笑)当時は、地元(秋田県)のホームセンターでアルバイトをしていたんですが、「一生これを続けていくのはしんどいな」と思っていました。そういう日常から脱したかったんですよね。でも、仮に海外の代わりに東京に行ったとしても、アルバイトが続く代り映えのない日々を過ごすことになりそうな気がしたんです。
ーーなるほど。日常を変えるためのきっかけが欲しかった、と。
A. はい。それで、上京というステップを飛ばして海外へ行ってしまおう、と決めました。
ーー思いきった決断ですね。私なら最初から海外に1人で渡航することに心細さを感じて、足踏みしてしまいそうですが、工藤先生にはそのような不安は無かったのでしょうか?
A. もちろんありましたよ。でも、自由だなあと思う感覚の方が強かったですね。
ーー自由、ですか?なるほどなぁ。今となっては海外で過ごす時間の尊さは身に染みて分かっているつもりですが、仮に高校生の自分が海外渡航できるチケットをもらったとしても、「一人で海外渡航」という選択には尻込みしてしまう気がしています。このような大きな決断を支える原動力は何かあったのでしょうか?
A. 地元での常識や社会でこうあるべきだという社会通念に縛られるのがとにかく窮屈でした。ニュージーランド渡航前は、高校に通わず、ホームスクーリング*をしていました。その後、17歳の時に大検(現高校認定試験)を取得して、いったん高校の勉強を終えました。今でこそ「ホームスクーリング」という言葉が定着してきていますが、当時は、フリースクールなどの学校外での学習方法はほとんど知られていませんでした。
*ホームスクーリング:自宅を中心に、自主的に学習を進める教育
ーー時代が追いついていなかったんですね。特に秋田での風当たりは強そうです。
A. はい。地域社会でレールから外れてしまった子どもとして見られることがしんどくて、そこから早く出たいという思いは強かったです。例えば、「何歳の人は何年生であるはず」という社会のレールから外れてしまっている自分に対して、親戚たちがどう接していいのか分からなくなっている、とか(苦笑)
ーーたしかに。親戚の集まりとかはしんどいものがありそうですね。
A. 今でこそそのような周囲の反応も理解出来るのですが、当時は「こんな窮屈なところ早く出たい!」という思いで一杯でした。
ーーだんだんとわかってきたような気がします。今の状況から脱したい!と強く思われていた当時の工藤先生にとって、留学は自分の殻を破るための一大チャンスだったんですね。たしかに東京なんて行っている場合じゃない!(笑)
肩書きじゃない、1対1の関係性
ーー今まで留学を決断された背景について聞いてきましたが、実際にニュージーランドへ渡られてからは何か変化はありましたか?
A. 多様な人々との出会いを通して、現在も大事にしている価値観が形成されたような気がしています。当時通っていた語学学校には、様々なバックグラウンドを持った人たちが来ていました。現地の人に加えて、アジア、中東、ヨーロッパなど国籍が本当に様々でした。また、ワーキングホリデーで有名な国だったので、仕事を休職して来る人や、ミッドキャリア*に入る前の語学習得のために来ている人達、大学を終えて社会を見たいと思っている人など、年齢もバラバラ。滞在期間も人それぞれ。そのような人たちと話していると、みな持っている前提が異なるということに気付いたんです。
*ミッドキャリア:10年程度の実務経験を有する層のこと
ーーなるほど。宗教も、母語も、年齢も、考え方も違う…まさにサラダボウルですね。
A. まさに。今までものすごい同質な社会に居たのに、一気に多様なコミュニティに入った実感がありました。自分も含めて「みんな違って当たり前」の価値観が体現されていましたしね。また、ニュージーランドで、”Should be fine ーなんでも大丈夫” という言葉が頻繁に使われるんです。気候も穏やかだし、自然もダイナミックで、すごく寛容な場所なんですよね。日本のように常識を押し付けられるわけでも、欧米のように強烈な個人としての存在を求められるわけでもない。「まずは座って話そうぜ」みたいな、そんな空気感がありました。
ーーニュージーランドでそんな多様な人たちに囲まれて過ごす中で、実際にどのような価値観や考え方の変化がありましたか?
A. 「人と会う時は1対1」というのを大事にするようになりました。肩書きや年齢が上だったら、人間関係においても上だと決めつけずにいたいと思っています。失礼な接し方をするというわけではなく、相手の社会的なステータスで判断せず、あくまで「あなたはどんな人なんですか?」というスタンスで接するようにしています。
ーーなるほど。違うことが当たり前だからこそ、常識をあてはめずに一人ひとりと向き合うことも当たり前になっていると。
A. はい。そしてそこで得た価値観が、自分の中のアイデンティティとしてとても強く刻まれて残っています。だから帰国してAIUに入ってからも、先生の言ってることがすべて正しいとは全く思わなかったです。留学して海外の大学に行くと、みんな「先生違いますよ」とか言ったりするじゃないですか。
ーー私も留学をしていた時に、授業中にずっと手を挙げている人が居てびっくりした記憶があります(笑)
A. 先生だから偉いとか、社長だからこう、という肩書きで偉さを規定する文化って日本だと根強いですよね。立場を超えて発言することに必要なエネルギーの量が、海外と日本だと全然違います。ニュージーランドでは、授業のときは先生だから、宿題忘れて怒られたり、テストの点数が悪くてこんなんじゃ駄目だとか言われたりもしますが、終わった後は一緒にバスケやビーチで遊んでました。
ーーすごいフラットな関係性ですね!
A. 日本だと先生と生徒だとそういう関係はないけど、ニュージーランドだと、教室という設定を抜けたときはあくまで1対1。そういう立場も超えて、個人として対等に接する経験を若いうちからできたっていうのは、すごく大きかったと感じています。
「工藤くん、ブータン行かない?」
~チャンスが転がり込んだ、AIU時代。~
ーーニュージーランド留学を経てAIUに入学した工藤先生ですが、いつから現在の研究テーマであるサステイナビリティ学に興味を持たれたんですか?
A. ちょっと遡るんですが、学部3年のときにブータンに行ったことが大きなきっかけでした。
ーーブータン!?
A. はい。ブータンはGDPで国の発展を図るんじゃなくて、GNH(Gross National Happiness)、つまり国民の幸福度を測りましょう、と世界に向けて発信した国ですね。
ーーまさに幸せの国。
A. そうそう。それでそのGNHがすごく盛り上がって、日本でも取り入れようみたいなのがあったし、世界的にも「経済成長だけで本当に人間社会が豊かになってるのか」みたいな議論がすごく盛り上がってたときだったんです。
ーーブータンブームが来てたんですね。
A. そのタイミングで2週間ぐらいブータンに行って、現地の大学とかJICAのオフィスとかを視察して、ブータンの人たちの幸せの考え方とかを見て帰ってきたわけです。僕は秋田出身なのもあるし、農村調査のアルバイトも経験していたので、「秋田の地域コミュニティの中での幸福とは何か?」という問いについてぼんやりと考え始めていました。
ーー面白いですね。ほとんどの人は、そもそもあまりブータンに行こうとしないと思うんですけど…
A. そう言われると思ってました(笑)そのときは開発学の先生が、ユネスコの基金を取ってきて、「工藤くん、ブータン行かない?」みたいな感じで声をかけてくれました。
ーーやあ、羨ましいです!コロナ前は、そういう海外のスタディーツアーに赴く機会もあったんですね!
A. そうですね。そんな感じでインドと中国にも行きました。「工藤くん行かない?」って聞かれて、「はい!」って。
ーー軽やかすぎるノリですね(笑)
A. ですね(笑)今でこそコロナでなくなりましたが、AIU生はあっちこっちに、そういうチャンスがあるから、いいですよね。フットワークが軽いことは大事なことだと思います。
後編では、大学院に進学したあとのお話を伺いました。現在の研究テーマに行き着いた経緯や、南アフリカのクワァクワァと秋田を比較しながら地域コミュニティについて考える「トランスローカルな研究」。そして、そこで見出した「異質であること」の価値とは。
📍後編の記事はこちら!ぜひ併せて読んでみてくださいね😌
Interviewer: Ayusa Haga / Ryohei Yamada
Writer: Ayusa Haga / Ryohei Yamada
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