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【杉本麗百さんインタビュー前編】異国への旅が紡ぐ、学びと行動の連鎖|ALiveRallyインタビュー#16

今回は、国際教養大学 (AIU) 13期の卒業生、杉本麗百 (すぎもと れも) さんにお話を伺いました!
モロッコでの教育ボランティア、カンボジアでの国連ユースボランティア、秋田での学生団体立ち上げ、フランス留学。華々しい経歴を大学4年間で築き上げたレモさんですが、その裏には悩みや葛藤が。苦しみと向き合いながらも行動を起こし続けたレモさんが、様々な海外経験を通して得た気づきとは...?前編・後編に渡ってお届けします。
挑戦してみたいことがあるけれど、不安でなかなか行動を起こすことができないという方にぜひ読んでほしい記事です!

【基本情報】
名前: 杉本麗百 (すぎもとれも) さん
AIU入学時期: 13期 (2016年 春)
現在: 「自閉症」という発達障がいのある方々を専門的に支援する会社で、新規事業立ち上げ担当として勤務。傍ら完全個別のオンライン英語教室も運営中。



閉ざされた扉が開く 
ー AIU1年目/モロッコ/教育ボランティア 

ーー 今日は、レモさんの学生時代の海外経験から、これまでの歩みについて語っていただきたいと思います。実は私たち(ハナ&レモさん)一学期だけシェアハウスで一緒に暮らしていたんですが、レモさんの行動歴については謎がいっぱいだったので(笑)、今回のインタビューはとっても楽しみです!

A. ハナちゃん、久しぶり!今日はよろしくお願いします〜!

ーー AIU入学の頃のレモさんって、どんな感じだったんですか?

A. 実は高校生の時、AIUにめちゃくちゃ入りたかったけど、入学試験のA、B、C日程全部落ちちゃって、浪人も家族に受け入れてもらえなくて...。それで1回AIUを諦めて、地元の大学に通いながら独学で勉強した。5回目の受験でやっと受かって、自分のお金でAIUに入ったっていう経緯があったの。

ーー 独学で、自分のお金で…!すごい。

A.だけどAIUに入って1年生の頃、私、めちゃくちゃ病んだんだよね。親から学費、生活費は一銭も出さないって言われてたから、自分で稼がないといけないっていうのがあって。奨学金も受かったり受からなかったりで、いつお金が尽きるかなとか、今月払えるかなとか、不安になることが結構あった。働かないといけないからって友達の誘いを断ったり…。なんにもできなかったんだ。

ーー そんな経験があったんですね...。

A. だけどこれじゃダメだって思ったのが、大学1年生の冬くらいかな。そこから色々調べたり、お金を貯めたりとかして、モロッコの教育ボランティアに参加したの。

自分自身、お金がなくて夢を諦めることが多かったんだよね。それでもニュースとかを見ていると、いわゆる発展途上国っていうところでは、学校すらない地域もあるんだっていうのを知って、何かしたいと思った。自分自身と途上国の学校がない子どもたちを重ね合わせていたのかもしれないね。

ーー レモさん自身が苦労してきたから、同じ苦労を味わう人を減らしたい気持ちがあったんですね。

A. そうだね。与えられた環境によって人生が制限されることがやるせなかった。だから大学1年生の最初の方は、国際機関で教育支援をやりたいなって思って。モロッコでのボランティアはその最初のステップだと思って参加したんだ。

ーー そもそもなぜモロッコだったんですか?

A. アフリカはどういうところなんだろうっていう漠然とした興味があったのと、モロッコのサハラ砂漠とか、青い町とかをネットで見ていて、行ってみたいとずっと思ってたの。それで、モロッコで教育のボランティアプログラムがちょうどあったから、よし、行ってみようって思って。

ーー もともと行ってみたい国だったんですね!実際にモロッコではどんなことをしていたんですか?

A. ちっちゃい学校でなんでも好きに教えてみるっていうプログラムだったから、子どもたちに日本の文化を紹介したり、歌を使って手の洗い方を教えたりした。1週間で子どもたちに何ができたかって言ったら、何かを残せたわけでは全然ないんだけどね。でも、そこで見た村の人たちの生活に衝撃を受けたな。

ーー どんな衝撃を受けたんですか?

A. モロッコで私が訪れた地域には、電気もガスも水道も、学校も病院もなかった。だけど、作物を自分で育てていたり、動物を狩って食べていたり、木から火をおこしていたり...。自給自足で生活がきちんと成り立っていた。豊かそうに見えたんだ。だから彼らの暮らしを見て、“貧困”ってなんだろうって思った。


ーー 貧しいといわれる人や地域に対しての印象が大きく変わった体験だったんですね。でも、AIUに入学したばかりの1年目からモロッコに行くのって、大きな決断じゃないですか。その決断をする上で、レモさんを突き動かしたものってなんだったんですか? 

A. 振り返ってみると、大学1年生の夏に参加したTABIPPOっていうコンテストは大きなきっかけだったかも。どんな世界一周をしてみたいかっていうのをプレゼンして、優勝すると世界一周のチケットがもらえるっていうコンテストなんだけど。そのコンテストを通じて、意味わかんないような面白い人たちと出会って、あ、なんか、全然自由でいいじゃんって思えたな。

ーー TABIPPOで出会ったユニークな人たちから影響を受けたんですね。

A. そうそう。さっきも言った通り、大学1年生の時は自分の命に価値を見出せなくなるくらい、かなり病んでいて…。死と近い場所にいたと思う。そういうときって、何かやりたいっていう気持ちがもう、なくなってしまうんだよね。やりたいこと、好きなことってなんだっけ?そもそも私にそんなのあるんだっけ?って。でも、もがいてもがいて、TABIPPOに応募したりっていうちっちゃいアクションから、いろんな人の話を聞いてインスピレーションを受けて。そうしたら、だんだんやりたいことが見えてきたの。その中で1番やりたかったモロッコに行くっていうのをまずやってみよう、って思った。

ーー そんなふうに思い切ってモロッコに行ってみて、自分の中で変わったなと思う部分はありますか?

A. 行く前は、お金がないっていうのを言い訳にして、全ての選択肢を自分から排除してしまっていたんだよね。でも意を決してモロッコに行ったっていう、そのこと自体が、もうすごく意味があって。なんだ、お金も全然大丈夫じゃん、なんとかなるじゃんって。あと、自分のやりたいこと、今しかできないことをやらないともったいないと思った。それから、あれをやろう、これをやろうっていうのが爆発して、色々やったね。閉ざされていた扉が開いたって感じ。

ーー レモさんの行動力が爆発したのはこの時だったんですね!

A. そうかも。だって、いつ死ぬかわからないじゃん。明日死ぬかもしれないのに、 お金がない、時間がないとか言って、できないまま死んでいく人生がいいのか、 それともやりきってから死ぬ人生がいいのかって考えたら、私は後悔のない人生を生きたい


ラクダに乗ってサハラ砂漠にある小さな村へ移動中。



現地の同世代たちからの気づき
ー AIU2年目/カンボジア/国連ユースボランティア 

ーー そこからレモさんは更にいろんな挑戦をするようになったんですね。次に訪れたのはカンボジアだったということですが、そのときはどういうモチベーションでしたか。

A. モロッコのいわゆる貧困地域に行って、 “豊かさ”ってなんだろう?って考えて、貧困イコールかわいそう、悪いこと、みたいな価値観が変わった中で、じゃあ、国際機関がやっている開発途上国の支援のあり方って一体何がベストなのかっていうのを疑問に思ったのね。その答えを知るために、国連ユースボランティアに応募したの。それがAIU2年目。

ーー モロッコで感じたことと繋がっているんですね!でも、どうしてカンボジアだったんですか?

A. 国連ユースボランティアにはいろんなプログラムがあったんだけど、その中でもカンボジアでは、現地の若者が地域をより良くしていくために考えたプロジェクトをサポートする、プロジェクトコーディネーターを募集していたの。現地の人が主体となっているっていうところに惹かれて、カンボジアのこのポジションに応募したかな。

ーー 実際に行ってみてどうでした?

A. カンボジアで、自分たちの地域にはこれが必要だって提案して自ら動く同い年くらいの人たちを目にして、すごくかっこいいと思った。カンボジアの若者がそうやって一生懸命になっているのを見て、私もめっちゃ本気で向き合ったな。最後は粘って任期を1ヶ月間伸ばしたりもしたけど、それでも100パーセント満足行く活動はできなかった。でも、できることは全部やった。


カンボジアの現地の若者チームと。

ーー すごい、滞在を1ヵ月延ばして...!それだけ本気だったんですね。カンボジアの人たちと本気で向き合って、レモさんの中で何か変化したことはありましたか?

A. 自分の地域の問題について考えて行動する同年代のカンボジアの人たちを見て、私自身は身近な問題を解決するために行動したことあったっけ?って思い返すきっかけになったんだよね。実際に振り返ってみると、身近な地域や人に対して私は何もできていなくて。そこから、自分の地域や家族のことにもっと目を向けるようになったかな。

ーー これまでは世界の  “貧困地域” での問題に関心があったのが、カンボジアの人たちの影響を受けて、レモさん自身の視点も自分の身の回りで起きていることへと移ったのですね。



足元に目を向けて 
ー AIU3年目/秋田/Glocal Youth Akita,
4年目/フランス/留学

ーー その視点の移り変わりがきっかけで、3年生になって、大学がある秋田の文化や人、課題についてもっと知るために Glocal Youth Akita という学生団体を立ち上げたんですよね。どんなことをする団体だったんですか?

A. 阿仁マタギの人とか、男鹿のハタハタ漁師、オーガニック農業をやっている人、酒造の人... 留学生と日本人の学生みんなで秋田の色んな人に会いに行って、どういうことをしているのかとか、そこでの課題を知ったりして、何か私たちにできることはないかなっていうのを模索するスタディーツアーを企画・運営する団体だったの。

ーー 面白そう…!

A. そうなの、とにかく楽しかった!人の温かさを感じたし、秋田の人から無条件の愛を受け取ったな。これまでのモロッコ、カンボジア、秋田の活動も全部そうだけど、 特別何か大きな成果を残せたわけじゃない。私が何か役に立ちたいっていう気持ちでやっていたけど、 結局は自分が与えてもらってばっかりだったな。

ーー とっても素敵な経験をされたんですね。私も参加したかったなあ。


Glocal Youth Akita のメンバーと。

 A. 実は、その次の年にしたフランス留学も Glocal Youth Akita を立ち上げたときと同じで、カンボジアでの経験を経て、自分の身近な人たち、家族に目を向けるようになったことと繋がっているんだよね。

私にはずっと目を背けていた家族の問題があったんだけど...。弟が最重度の自閉症で、自分の気持ちを言葉で伝えることが難しかったりだとか、こちらが言ってることもほとんど理解できなかったりして。

特別支援学校を卒業した後、弟を受け入れてくれる施設がないっていうことを聞いたとき、それに対して自分にできることはあまりないなって最初は思ってたの。だけど、 カンボジアでの衝撃もあって、自分にできることはなんだろうって考えるようになって。結局、弟が入れる施設を探しても見つからないなら、自分で作るしかない!と思って、起業を専攻できるフランスのビジネススクールを留学先に選んだんだ。

ーー それまで目を背けていた家族の問題に改めて目を向けるのは、辛くなかったですか?

A. 辛いね...。やっぱり目を向けたら、社会に対するキリのない怒りが溢れてくるもん。なんで私たちだけこんな目に遭うのって。でも色々調べているうちに、弟とか私の家族だけじゃなくて、同じような困難を抱えてる人が全国的にたくさんいることを知ったの。だったらもう、社会を変える必要があるよねと思って。個人的には辛いけど、何か社会にアクションを起こしていかないといけないんじゃないかなと思って頑張った。

ーー そういうモチベーションがあって、実際にフランスに留学してみてからのお話をお聞きしたいです。生活のことだったり、勉強のことだったり。

A. フランスでは想像以上に辛い時期を過ごしたな。気候は寒いし、日本では当たり前のサービスを受けられなかったし、人もあんまりフレンドリーではないことが多くて。私がいたルーアンっていう地域は観光地でもないから、フランス語しか喋らない人が多い生活圏の中で、全てがうまくいかなかったんだよね。日常生活もままならないみたいな感じだった。しかも、授業のレベルもAIUと比べると低くて。本当に辛くて、最初はほぼうつ状態になって、もうやめようかなって思った、留学。 


留学中つらい時はよく教会に行っていた。写真は、一人旅したフランスの田舎町にて。
教会の屋根には、幸せの象徴であるコウノトリが暮らしていた。

ーー 辛い日々だったんですね…。それはずっと続いたんですか?

A. 実はそのあと、夏休みが5ヶ月あったんだよね!フランスから逃げ出して、 カンボジアとモロッコに行って、やっと自分を取り戻したかな。



ピンチから学んだこと 
ー AIU4年目 / フランス / 留学 

ーー 1、2年生の時に一度訪れたカンボジアとモロッコですね。夏休み中のお話も聞きたいです!

A. 最終的には自分を取り戻すきっかけにはなったんだけど、フランスを出てからの夏休みもはじめは大変だった(笑)。その時は奨学金をもらって留学していて、それがないと自分では払えないくらいのお金がかかっていたんだよね。だけどその奨学金って、事前に提出した留学計画をまったくその通りに実行出来ないと、全額返金しないといけなくなる可能性があったの。

ーー なかなか厳しいんですね…。

A. その計画の一部に、夏休み中にカンボジアでインターンするっていうのがあったんだけど、色々あって途中でインターンが打ち切りになってしまって、計画通りにはいかなくなって...。

ーー えええ!

A. カンボジアでのインターンが打ち切りになってからが大変だった。計画通りにいかないから奨学金を打ち切られそうになって。結局、モロッコ人の知り合いに頼んで、代わりのインターンシップを受け入れてもらったの。奨学金の事務局の人には最初は受け付けてもらえなかったんだけど、必死に頼んで交渉して、カンボジアでのインターンからモロッコでのインターンへの計画書の変更を受け付けてもらって…。危機一髪、ギリギリサバイブした。

ーー すごい...。

A. 計画変更の申請を受け付けてもらえなかったり、モロッコでのインターン代替案が却下されていたら、奨学金を打ち切られていたし、大学も中退していたかもしれない。

ーー 壮絶すぎますね。

A. そうだね(笑)。カンボジアでのインターンシップが打ち切りになった時は、本当に病んだ。でも、落ち込んでる暇なかったんだよね。もう、動くしかなかった。

この奨学金がないと大学卒業できないっていう強迫観念で、出した計画通りに進めなきゃとか、ちゃんと成果を出さなきゃとか、それまでもずっと自分にプレッシャーをかけていたんだよね。でも、奨学金打ち切られるかもっていうのが現実になった時に、吹っ切れて。それでもしょうがないよねって思った。私の人生、色々あるしって。そこで、奨学金がないといけないっていう強迫観念を手放せた。結果的に奨学金は打ち切りにならず、無事最後まで受けることができたよ。当時の大学の事務局の方にはたくさん迷惑をかけてしまったけど、最後まで一緒に伴走してもらって、今でもほんとうに感謝しかないな。

ーー でも、そこで気持ちを切り替えられたレモさんも、本当にすごいです!

A.  そもそもなんでこれやりたかったんだっけ、そもそも私がワクワクすることってなんだっけ、 留学でやりたいことってなんだっけ、みたいなところをもう1回思い出して、楽しもうって思った。 楽しくていいじゃんって。

ーー 楽しむこと! それは大事ですよね。結局そのあとはどうなったんですか?

A. これを通して学んだのは、苦しい時は逃げてもいいっていうことで...。実は私、留学後期に環境をがらっと変えたんだよね。新しいシェアハウスに住んで、そこでは多国籍で素敵な人たちに囲まれて。それから、起業専攻の大学院生プログラムを受けることにしたの。大学院生に混じって一緒に授業を受けさせてもらうっていうので、めちゃくちゃ高度な内容だった。前期の授業は物足りなかったけど、後期はもう、難しすぎてついていけないぐらいのガチビジネスが学べて。本当に楽しかったな、後半の方。


シェアハウスの友達と。

ーー 思い切って環境を変えたのがすごくよかったんですね!

A. 私、結構粘り強くて、苦しくてもその場にとどまってなんとか解決策を模索しようみたいなタイプだけど、その時に心を削られてしまうんだよね。でも、その場から逃げたり、別の道を探したりするのもありだよねっていうのを、その時期に学んだかな。

ーー 確かに、レモさんはすごく粘り強いですね。けど、もうどうにもならない時は逃げよう、環境を変えるのもあり、みたいなところをここで経験したんですね。

A. そうだね。粘り強い性格っていうのはきっと長所でもあると思うんだけど、同時に、自分を追い込んじゃうこともある。人生における全ての場面で120パーセントの力を出し切ると疲れちゃうからね。

ーー がむしゃらに突き進むのだけが正解じゃないってことですね。

A.  この環境では自分の目的を果たすことが無理だなって思ったら、別の道を探すのもありだよね。



後編では、波瀾万丈な留学生活を乗り越えたレモさんのその後についてお聞きしました。秋田での手探りな就職活動を経て選択した道、自閉症という発達障がいとそれに向き合うお仕事について、そして後輩へのメッセージ。どれもレモさんにしかできないお話だと思います。

ぜひ併せてお読みください!


Interviewer: Shojiro Matsunaga, Hana Oishi, Ayano Fujiwara
Writer: Hana Oishi, Ayano Fujiwara
Thumbnail design: Iori Maeda


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