努力と自信 ー スリランカで見つけた「海外で働く」ということ|ALiveRallyインタビュー#6
今回は、国連ボランティア計画の一員として、スリランカで半年間インターンシップをされた卒業生の小古間隆(こごま・たかし)さん(13期)に、お話を伺いました。
上手く仕事をこなせなかったところから、最終的には、上司に 「Irreplaceable (=代えがたい存在)」だと言ってもらえた小古間さん。その裏には華々しい成功だけじゃない、失敗しても泥臭く努力する姿がありました。また、国際機関で働く面白さについてのお話しでは、どうすれば自分自身が”Irreplaceable”な存在になれるのかについてのヒントが、、。
海外でのインターンを知りたい方だけでなく、自分探しをしている方にも、少しだけ寄り道をして、読んでいただきたい記事です。
ではさっそく、本編へLet’s go!
そもそもどうして海外へ?
ーー小古間さんはスリランカでインターンをされたそうですが、海外でインターンしようと思ったきっかけは何ですか?
A. 壮大な話になるんですが、高校生の頃から海外で働くことやグローバルな人材になることが目標だったんです。海外で働くことを目標にしたときに、自分がどこまでいけるのかを試したかったというのが一番の動機です。
ーーなるほど、どうして海外で働きたいと思うようになったのでしょうか?
A. 僕は北海道の人口3万人くらいの小さな町で生まれ育ちました。そこでは町の外に出ずに一生を終える人がほとんどで、高校生になってから、何も経験せずにこの町で生まれて死ぬってまじでやばくない?って直感的に思ったんです。それがきっかけとなり、自分の人生を他の人とは違うユニークなものにしたいと思うようになりました。それが海外で働きたいと思えた原動力となり、インターンをする上でのモチベーションでもありました。
ーーそのような背景があったんですね。では、国連ユースボランティア(国連YV)でスリランカを選んだ理由は?何か特別な理由が?
A. 地域ややりたいことではなく、「自分ができること」をベースに選びました。
基本的に国連にはJob Description (職務記述書) と呼ばれるものがあるんですが、それには、この職ではをこういったスキルが求められますといった情報が書かれているんです。自分はSRT(北東アジアラウンドテーブル*2)の活動で渉外を担当していたり、コーディネート業務を経験していて、その方面で他の人たちと競えるなって思いました。そこで、そういった職務があるところを探しているときに、スリランカでの募集を見つけました。地域を軸に活動先を選んだわけではないなかったので、スリランカで国連ボランティア計画(UNV)のインターンをすることになったのは本当に運(偶然)でした。
スリランカでの業務について ー インターンで手に入れた学びと自信
ーー実際にスリランカに派遣されて、スリランカはどんな場所でしたか?
A. 都市部と地方で格差が大きい国だと感じました。都市部ではインターネットが通っていたり、デパートがあったりと、生活するのに困らないところが多かったです。しかし地方では、水や電気が通っていない地域もあり、生きていくのにギリギリな場所もありました。また歴史的な点でいうと、 スリランカでは2009年まで内戦があって、終結後に人生がボロボロになってしまったという若者たちもいました。そういった若者を支援することこそが、僕が参画したプロジェクトでした。
ー-内戦という歴史的背景が、今回のインターンに繋がっていたのですね。もう少し詳しくプロジェクトの業務内容を教えて頂けますか?
A. メインでやっていたのは、現地で活躍するスリランカ人を支援する仕事です。例えば、関連のある政府機関や団体の渉外をコーディネートしたり、現地で活躍しているスリランカ人ボランティアを表彰するパーティーの運営をしたりしていました。
上司に「他にも色々やってみなよ」と言われて、個人的なプロジェクトとして、スリランカと日本の学生をSkype上で繋ぐラウンドテーブルも企画しました。自分がプロジェクトマネージャーとして一から企画して、スケジュールを立て、関係各所を繋いで運営するというものでした。僕の上司はめちゃくちゃ厳しかったのですが、本当にいい人で、「君はまだ若いし、色んなことを経験した方がいい」って言ってくださって。本当に人に恵まれました。
ーー素敵な上司と小古間さんの努力のおかげで、色々な仕事をこなすことができたんですね。現地では他にも採用の経験もされたそうだとか。
A. はい、実は自分はこのプロジェクトの初期メンバーで、上司から「チームとフィットする人を採用したい。だから、チームメンバーのリクルートに関わってくれ」と言われて、参加しました。
最終的に誰を採用するか投票をするとき、僕以外のスタッフは既に全員投票し終えていて、「やばい、残りは自分だけだ」っていう状態になって。この面接で採用されると年収800万円くらいの仕事に就くことになるんですけど、年収800万円って参加者にとってすごく大きいじゃないですか。だから、自分のこの一票でこの人たちの今後が決まってしまうんだっていうプレッシャーがあって。
ーーこれは中々できない経験ですね。責任感がすごそう、、。
ーー小古間さんは、スリランカで責任の大きい仕事に挑戦されたようですが、こうした経験を経て、小古間さんは何を得ることができましたか?
A. 端的に言うと、海外で働いていけるという自信です。そして、自分の中で”軸”を持つことが重要だと気づいたことは、更に自信に繋がったと思います。
ーー”軸”というと、、?
A. アイデンティティーに近いかな。
インターン中、僕の周りはスペイン人、韓国人、他はスリランカ人で、日本人は僕だけでした。こうした環境にいると自分の中で軸がないとやっていけないんですよね。自分自身が誰なのか分かってないと自分を見失ってしまう。スリランカでのインターンを経て、自分の中では、価値観の変化よりも、自分自身がどうあるべきか(=軸)を固めることができたと思います。
ー-周りに日本人がいない環境で働いたからこその気付きですね。こうした環境下で働いてみて他にも気づいたことはありますか?
A. 周りに日本人がいない環境はすごい寂しさを感じました。
自分の言語も文化も理解してくれる人(共有できる)がいない環境にずっといると寂しいんですよ。例えば、自分がミスしたり、悩みがあっても、それを心の底から相談できる相手がいない。この環境はすごく寂しかったですね。
でもこうしたことを体験して乗り越えたおかげで、海外で働ける自信に繋がったんだと思います。
日々は消費するものではない ー スリランカでのインターンを振り返って
ー-小古間さんはインターン中に、「議事録真っ赤事件」というのを経験されたとお聞きしました。
A. 僕はインターン先で一番下っ端だったので、最初に任された仕事が議事録の作成でした。でも会議の内容が本当に専門的すぎるし、英語も分からなくて、何も理解出来なかったんです。だからとりあえず分かる単語を書き留めていきました。decidedとか(笑)。 そしたら、会議後に上司に呼び出されて、「本当にミーティングに参加してたんだよね?」って言われて。「これも違う。これも違う。全部違う」って一語一句全部直されて、「会議の時に話してたのは、こういう内容だ」って、議事録が真っ赤になって返ってきたんです。この時、自分ってほんとに仕事できないんだ、英語もできないんだって、かなりショックでした。
ーー最初に任された仕事を、自分が満足にこなせなかったのは、かなり悔しかったですよね。
A. 仕事って、理解できていることが前提だから、理解できないのは、自分の責任なんですよね。だから何とか理解しなくちゃいけないっていうプレッシャーがあって。
じゃあ、そこから何をしたかというと、2回目からは会議を全部録音しました。そこから文字化して、読んで理解して、もしそれでも分からなかったら、分かるまで録音を聞き直してました。だから、本来は15分ぐらいで作るものを、議事録1回作るのに、2時間ぐらいかかっていました。
でも、そうすると単語も覚えていくし、スリランカ特有の発音にも慣れていくし、自分の英語力がどんどん上がっていくのが分かりました。最終的には、メモして、すぐに議事録に起こせるようになりました。それぐらいスリランカにどっぷりはまったので、英語も自然とスリランカ訛りになっていました(笑)。
ーーかなりのハードワークをされたんですね。
A. 自分は量で勝負するしかないなって思っていました。
スリランカは元々イギリスの植民地で、みんな英語を話すんですよ。でも僕はネイティブではないから、 処理能力やアウトプット、インプットの能力が、ネイティブに比べて圧倒的に劣るんです。もちろん(英語力だけでなく)仕事のクオリティーもそうです。僕は、仕事に関しては、専門性(=質)か仕事の量かどちらかでしか勝負できないって考えていて、僕は専門性では勝負できない。だから仕事の量で勝負していこうってなって、これがハードワークになってしまった所以です。
ーーインターン中、小古間さんはかなりの努力をされて、多忙だったことが伺えるのですが、スリランカでのインターンは辛くなかったですか?
A. 本当に辛かったです。正直、日本に帰りたいとも思いました。チームメンバーはクリスマスにはみんな国に帰ってしまっていて、一人オフィスでひたすらエクセルを叩きながら夜を過ごしましたこともあります(笑)。でも、最後に上司に「You’re irreplaceable (=君は何にも代えがたい存在だね)」 って言われたときは、僕は必要とされてたんだって分かってめちゃくちゃ嬉しかったです。辛かったからこそ、当時を楽しく語れるし、記憶が濃密になるんですよね。
ー-辛い経験を経たからこそ、より濃い、充実した日々を送ることができたと思えるのですね。
A. そうですね。苦しい経験をするとその分記憶が濃密になるなと思います。
だから、日々を何となく、消費するように過ごすのではなく、辛いと思えるようなことでも、まず目標を持って取り組んでみる。後からその経験を振り返った時に、「辛かったけど、やってよかったな」と思える。その小さな積み重ねがその後の人生の活力になって、充実したものになっていくんだと思います。
スリランカと日本の両方で働いてみて ー 比較で見つけた「海外で働く」ということ
ーー小古間さんはスリランカでのインターンと日本での就職の両方を経験されていますが、日本と海外の両方で働けてよかったなと思う点はありますか?
A. 海外でのインターンを通して、日本の働き方をポジティブな面とネガティブな面の両方で分析することができるようになった点だと思います。日本で働くだけだと、比較対象がないから、何かと比べることが難しかったと思うのですが、スリランカでのインターンの経験は、自分が比較する際の良い材料になったと思います。
ーー海外と日本を比較した時に、小古間さんはどのようなところに違いを感じますか?
A. 国連という特殊な職場だったからかもしれないけど、やはり多様なバックグラウンドを持つ人たちが多かったと思います。もちろん、国籍や年齢も違いましたが、例えばヨーロッパの超一流大学院を出て、そのまま国連で働いているバリバリのエリート上司、元大学教員で国連で働きながら演劇のプロデューサーをやっているスーパーマンの同僚、大学は出てないけれどもこれまでのプロフェッショナルな経験を活かしてバリバリプロジェクトに取り組む同僚など、全く違う人生の生き方をしてきた人たちと仕事ができました。
ーー様々なバックグラウンドを持つ人と働ける環境だったんですね。
A. はい。そのような人たちがいる環境の中で働くことで、多様な価値観に出会って、自身の価値観が変化し、さらに洗練されていく。そういった面白さがあるのが海外、特に国際機関で働くことならではの面白さだったと思います。日本でも、自分のやりたいことなどへ「寄り道をする」ことがより寛容になれば、様々なバックグランドを持つ人々がお互いを認め合えて、共同できる社会により近づくと思うし、より多様性のある社会になるのではないかなと思います。
ー-「寄り道をする」とは具体的にどういうことでしょうか?
A. 敷かれたレールから逸れてみて、自分が挑戦したいことややってみたいことをしてみるという意味です。そして、そこで様々な価値観に出会って、自身の価値観も変化していく。それが考え方の多様性に繋がるのではないかと思います。
ーー多様な価値観があふれる社会にするためにも「寄り道」は重要なんですね。ただ、日本ではまだ「寄り道」をしようとする人はあまり多くないのかもしれませんね。
A. 多分「道を逸れる力」とか、「レールからはみ出してもいいんだ」って思えるかどうかは、今までの人生のバックグラウンドに影響されてくるんだと思います。道を逸れた経験と、逸れた先での成功体験というか、逸れてもやっていけるという自信を得る経験ですね。僕の場合はスリランカでの経験がそれにあたるのかなと思います。本当に貴重な体験をさせてもらいました。
読者に向けて
ーー最後に読者の皆さんに向けて、メッセージをお願いします!
A. 海外で働くと聞くと、キラキラしたイメージを抱かれる方もいると思いますが、案外そうでもない。結構泥臭いし、辛いことも多かったです。でも、その分自分の成長を感じることができましたし、後から振り返ったときに、濃密な経験だったなと感じることもできました。海外で働いた経験は、今後生きていく上で、代えがたいものになると思います。読者の皆さんも、ぜひ何かに目標を持って取り組んでみてください!きっとその経験が今後の人生で代えがたい、大事なものになると思います!
文責
Interviewer: Shojiro Matsunaga / Misaki Abe
Writer: Misaki Abe
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