その土地はあなたのものか?

先週は”お金”のことをあれこれ書きました。
予定では続きを書くつもりだったのですが一旦ちょっと離れます。
思った以上に伝えるのが難しくて、”お金”のことばっかりになってしまったので一旦、離れます。
なんでも、ほどほどです。
またある程度、距離を取ってから書きます。

今回書くことも、そんなに遠く離れていないというか。
意味が分かれば同じようなことを書いているとお気づきいただけるかも。
ぜんぶ根っこは同じですし。


はい、ではタイトルにもある、
【その土地はあなたのものか?】

なんでもいいのですが、やはり住んでいる場所が分かりやすいですかね。
自分がオーナーで、その土地で仕事している、でもいいんですけど。
あなたが起きて寝るまで、移動する場所。
テレビやパソコン、スマホで見るあらゆる景色や舞台。
実際に足を踏む場所、目にする場所は、一体誰のものなのか?

もちろん一般的には世界的に、それぞれの国でその法のもとに許可され認められたもの。


でも、その所有者たちはその土地を一から、ゼロから作り出したであろうか?

開墾したからって、開墾できる土地があるからできたことで、なんにもなければ開墾すらできませんね。


私もこの土地に住まわせていただいている、生かされている人間です。


いきなり、地球丸ごとの話をしてしまうより、自分に流れている”血”から辿っていく方がいいかもしれません。

あなたには”血”が流れていますね。
この文章を読めるということは血が流れている、生きている、生かされている証拠。
その血の中を潜り辿っていけば、沢山の、それはそれはたっくさんの大~勢のご先祖様方の存在が浮かび上がってきますね。

私には信仰心があります。神さま大好きです。
でもこの世の宗教や経典、説法はごめんなさい、そういったものには信仰心はない。
どういうことを教えているのかなって興味、好奇心から学びたいという気持ちはあっても崇め奉ることはないかな。
一切、全然。
関わりたい人は関わればいいと思うけど。

私の言う神さまとは、信仰心というのは。
今、自分やあなたに流れている血を辿った先にある存在。
親や祖父母、曽祖父母…、神さまの存在を真っ向から否定する人でもご先祖様方の存在は無視できませんよね。
ずっとずっとずーっと、ずーーーっと、ずーーーーーっと辿っていけば、当然「ヒト」という前の前の前の前の前の………………
もう今の私たちでは分からない『何か』から生まれ出でたってことに辿り着く。

うーん、、、信仰心っていう言葉にやっぱりアレルギーがあるな。
単純に信じているもの、でいいですかね。


私にとってはそれが神さまです。
私やあなたを作り、子どもを授けてくれ、今私が生きているこの環境を創ってくださった存在。
それが神さまで、私が信じているもの。

だからキリスト教でも仏教でも、ヒンドゥー教でもイスラム教でも、なんでも全部その上に乗っかっているものなので、私にとってはそれらすべてを乗せて存在を認めてくれたものが神さま。
他の誰が何を信じて動こうとそれは自由なので、どうぞご勝手にご自由にどうぞ、否定も肯定も何もしない。
一切関わらない。
「どんなこと教えてるの?学んでるの?何してるの?」という好奇心、興味だけ。

地球がなくなれば、そういった宗教を語れる人間がいなくなれば、痕跡を示すものが無くなってしまったら、それらのものは一切失くなってしまうけど、私が信じる神さまとはそれよりもっと広く大きい、宇宙を世界を丸ごと創ってしまわれる存在なので、失われることがないというか。


私が信じているものとは、そういうところからの視点。

だから、たとえ莫大なお金を払って、むちゃくちゃ苦労しまくって手に入れた土地でも、人間には通用しても、他からも認めてもらえるかどうかは定かではない。

もっと身近に、分かりやすくするならば、日本にはこれだけの神社がある。
私にも大好きなお宮がある。
「氏神様」というのは一般の成人であればほぼ知られているのではないか。
ビジネス、受験、恋愛、健康…あらゆる目的で神社に行く人も多いのではないか。
パワースポット巡りや御朱印帳が未だに人気高く売られているのもそう、無意識ながら、潜在的に”神さま”という存在を認めている。

高熱で頭に死がよぎるほど苦しいとか、想像以上の借金を目の前にして工面する方法が一切浮かばないとか、突然ガラの悪い連中に目をつけられお金をたかられそうとか、もう周囲にめちゃくちゃプレッシャーをかけられている受験とか、今後の活動に大きな影響を与える面接や仕事現場とか…
まぁなんというか切羽詰まった場面で思わず、「神さま助けて」というフレーズが出てくるのではなかろうか。

日頃は全く何も思わないのに。
「神さまなんて本当にいるの?」って。
神社に行くのもエンタメや趣味のひとつだったり。
「そんなことより目の前の仕事、家事、育児」「自分の手の届く範囲の中での生活で手一杯、神さまとか遠すぎ」と思う人も。
そんな人でも突然、熱中症で倒れ、かろうじて意識はあるけど全く体を動かせない、どうしようってな状況になったら、「神さま」ってワードが頭に浮かぶかもしれない。
「神さま、どうか助けてください」って。


『神さまは、本当にいるのか?』
見えない聞こえない、感じない、分からない。

うん、そうね。
【神さまという存在が一切消えたら、分かるよ】

いや存在が一切消えたら、「分かる」という認識もできないか。
(自分の存在も無いから)

【神さまという存在が一歩、一歩、少しずつ遠ざかっていけばいく程に、身に染みて分かってくるだろうね】
の方がいいかもしれない。


つまりね、ごめんね、これすっごい言いにくいんだけど。
現代の宗教論に関わりたくないから言いたくないけど。
でも伝えるためにあえて書くとするならば、

Aの宗教、Bの宗教って争っていたとするじゃないですか。
お互い「自分の神さまが正しい、そっちの宗教や神様は間違えている、存在しない」って言い合っている。
私の信じる神さまは、その争いごと丸っと全部、認めてる存在なんですよね。
Aの宗教もBの宗教も、争ってることも、言い合っている内容も、ぜんぶ認めている。
観察している。

まーでもある時うんざりして、「いつまでやってるの。もうちょっと止めて。え、止めないの?まだ続けるの?止めてってば。なんで止めないのよ、ちょっといい加減にして。はー?まだ聞かないの?続けるの?だったら、もういいですーブチっ(消去)」ってやっても不思議ではない。
こんなに感情豊かなイメージではないんですが苦笑


虫が苦手な人にはごめんなさいなのですが、虫の方がもっと残酷で過酷な世界かもしれない。
例えば蟻や蜂とか、”種(しゅ)”で考えて動いているというか。
私たち人間のひとりひとりの人権とか、そんなこと一切言わない、みたいな。
ずっと下半身が密入れる袋で一生そのまま固定されてたり。
敵と闘うときに自分丸ごと殺されちゃってもいいよ、とか(蜂が敵を中心に団子状になって高熱を出してやっつけちゃうってアレですね名前忘れました
)。
入り込んだ巣穴に自分の液をぶっかけるじゃないですか、そしたらそこの子どもたちが自分の親、女王(蟻だったかな?)をやっつけに行くんですよ。それまで仲良く一致団結して暮らしていたのに、子ども達が集団で自分を(女王)を殺しにやってくる世界があるんですよ。虫には。
いや他にも信じられないような、人間の世界じゃありえないだろうっていうことが虫の世界には沢山あります。
検索なり、図書館で本を借りるなり。
(一番は買って読んでほしい)


とんでもなく残酷で非道、過酷な環境が虫にはあって、人間にはどうか。
もちろん人間にもありますね。
同じ体のつくりをしているとは思えない、同じ血が流れているとは思えないほど酷いことをしている国や人や集落が地域がありますね。


そういったものをすべて、全部、つくった存在がありますよね。
実際に私たちが今、目にしているもの、知っていること、触って確かめられるものもある。

本当はぜんぶ”無”で、自分の誰かの何かの、想像上の産物だったとしても。


そういったところから見て、考えていくと、お金も土地も権力も他のあらゆるもの一切、「一体誰の何のためにつくられたもの?」って感じがする。
お金大好き、今住まわせていただいているこの土地も大好き、有難い。
お金を出して買った食べ物や着るもの、お金はそのお店に払ったけど、
作り出したのは、私が手に入れることができたのは、それは私の力ではない。


『ご縁』

この一言に尽きるかもしれない。

自分にとって良い縁もあれば、苦労が伴うご縁もある。


その”ご縁”はどういう存在が、何のために、自分と繋いでくれたんだろうか。


お金にしがみついたままで、
土地にしがみついたままで、
凝り固まった思考のまま、
果たしてこれからもそのままで生きていけるんだろうか。

これから先も生かされ続けるのだろうか。

なんのために、自分は、ここで生かされ続けているんだろうか。


その土地を追われた意味は、お金を失った意味は。
なんの意味もないことはない。
この世に生きる意味がないのであれば、すでにこの世とのご縁は結ばれていない。

その土地からも認めてもらえないことには、住み続けることも商売を続けることもできない。


もっと言うなら”地球が生きているから、その土地で生活できている”。
ちょっとまた話が拡がってしまうのでこの辺りで。


生まれてきたのも、ここまで生き続けてこられたのも、生活できているのも全部、自分の実力。
ぜんぶ自分の力だから、ぜんぶ自分の好きなようにやる。
神さまがいるとかいないとか全く興味がない。
落ちこぼれはその人の努力不足、金も名誉も財産も権力も影響力もぜんぶ自分の力で勝ち取ってきた。
自分の判断に間違いはない。
信じるのは自分だけ。
・・・こういう人でも私の信じる神さまは認めている。
むしろ、ここまで突出していたらこの先もどうなるか応援され、愛でられているかもしれない。

すべては自分のもの、と思っていても果たして本当にそうなのかは分からない。

ちなみに私は与えられたもの、授かりものという認識。
感謝し、これだけ与えられているならば私も何か行動しないといけないよな、というところ。


神さまやご先祖様の力は、遠くなり薄くなり、失われていく程にようやくやっと気づいていけるもの。
「そんなの本当にあるのかな?」って思えている内が華かもしれない。
気づいたなら感謝して、行動するしかない。

今のこの状態がずっと、永遠に同じように続いていく、訳がないのだ。







いいなと思ったら応援しよう!