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持続可能な歌劇への道

宝塚歌劇団は世界で唯一の女性だけの劇団です。
私にとってはそれが当たり前で、逆に宝塚以外の舞台を観劇すると男性がいることに違和感を感じるくらいなのですが・・・
実は初期の頃には男性の加入についてもたびたび議論されていたそうです。

実際、師匠の岸田辰彌が小林一三に招聘されて宝塚に入った時、当時19歳だった白井先生は男性の俳優を養成するための「男子選科」に入ったのです。

しかし、少女歌劇の人気が根強く、男性の加入に反対するファンが多かったようで、男子選科は数か月で解散となりました。

演出家となり、パリゼットで大成功をおさめた白井先生は、持続可能な少女歌劇を目指しました。

パリゼットと同じようなレビューをずっと作っていては観客に飽きられてしまいます。マンネリ化の対策として、スターの育成に取り組みました。

パリの劇場ではミス・タンゲットが絶大の人気を誇り、観客は彼女を観るために劇場に足を運んでいました。

歌・ダンス・芝居の何か一つでもいいから一芸に秀でたスターを・・白井先生は1932年『サルタンバンク』葦原邦子さんを主役に抜擢し、葦原さんはその期待に見事に応え、注目されました。

1936年、白井先生は2度目のパリ留学に行きます。しかし、初めての時と比べて感動は少なく、むしろ遠く離れた宝塚の良さを改めて感じたようです。

帰国後作った作品が『たからじぇんぬ』。パリの娘をパリジェンヌというなら、宝塚の生徒はタカラジェンヌということで、現在まで続く愛称となっています。

また『たからじぇんぬ』で白井先生は「宝塚我が心の故郷」の作詞をしています。現在上演している雪組公演『ベルサイユのばら』でもフィナーレで彩風咲奈さんが歌っていていますね!

本格的な芝居をするために男性を入れた方がよいのではないか、という意見もある中で、白井先生は断固として「男性を入れる必要はない。少女歌劇として立派にやっていける」と女性だけの劇団を貫いたのです。

「白井鐵造と宝塚歌劇」の中で田畑きよ子さんは次のように言っています。


白井が帰国後に発表した「宝塚の進む道」の内容は、非常に興味深い。これを読んで、白井の存在がなければいまのような宝塚歌劇は存在しなかった、と確信できる。男性を加入させないという方針を貫いた白井の功績はきわめて大きい。

田畑きよ子『白井鐵造と宝塚歌劇』、青弓社、2016年、126頁

宝塚はどの組にも素敵なスターさん達がいることが魅力だと思うのですが、その昔に白井先生がスターの育成に尽力されたからなんだなあと思うと改めて白井先生の功績はすごいなあと思うのでした。




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