【雑記#9】"いいこと"は自分で作るものである
よく、「なんかいいことないかな」「面白いことないかな」と口癖のように言う人がいる。きっとそういう人は、生きていて何か悪いことがあるわけじゃないけど、刺激もないという感じなのかな。
今日はその"いいこと"や"面白いこと"について思うこと。
最初に言っておくと、「"面白いこと"が向こうから飛び込んでくるのを待つだけの人」と、私は仲良くなれた試しがない。私は自分から知識を吸収して、面白いことを見つけられる眼を養いたいと思うし、面白いことは、面白いことを自分から迎えに行かないとやってこない、とも感じる。
例えば、食べることが好きなら、美味しいものを自分で作るか食べに行くかすれば、それは"いいこと"に換算される。お酒が好きならお酒について人よりちょっと詳しくなってみてもいい。そしたらお酒を飲む時にちょっとだけ楽しい時間を過ごせるかも。好きなものについての勉強なら苦じゃないかも。
結局、人生の面白さって、その人自身がどれだけ知識を得て、隠れている面白いものを探し出せる土台や観察眼を手に入れられるかにかかっています。そうやって見つけた面白いものに興味を持って、さらに学んで…っていう好奇心とか知識欲に勝てるものってありません。
学問的な勉強じゃなくて、"教養"と呼ばれるものを養うことの重要性がここで出てきます。
そういう創意工夫の積み重ねが、人生を面白いものにするのです。
今って、スマホ一つでなんでも出来るようになっていてすごく便利だけど、それに伴ってすごく退屈になっているような気がしている。
だからと言うわけではないが、私は未だに現金派、本は絶対に紙で買うし、夜勤中は紙とペンでナンプレを解き、電子ポットではなくやかんで湯を沸かす。惣菜を買うよりも、ちょっと手間をかけてでもご飯を作る過程が好きなので、流行りのウーバーイーツとやらも使ったことがない。なんなら週一くらいのペースでスマホを忘れて仕事に行く。
昔と比べるとだいぶ自由になったけど、世の中の、特に私と同年代の人から見ると、アナログな生活をしているのではないだろうか。
そのことを話すと、「不便じゃない?色々使ってみればいいのに」と言われるのだけど、こういう不便さによって、私は充実した毎日を送れていると言っても過言ではないのだ。便利なことは、必ずとも充実しているとは言えないと考えています。面倒なこと・不便さ・嫌なこともあるから、楽しいことがより楽しくなるのでは。少しは自分でやった方が、多分何倍も充実するはず。
こういう不便なことを楽しむ余裕は、捨てずにいたい。