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合奏を楽しむためのヒントを見つけた、それは

出来る限りのことをして、いい合奏をつくりたいと思っている。
参加している人が演奏や合奏練習に満足できて、好きになってくれたり心に残ってくれたりしてほしいと願っている。

その思いに変わりはない。
けど、練習を休んだ日の音源を聴いて「自分がいるときよりいいかも」と思ってしまった。
それ以来、もしも私がいなければということを考えている。

そもそも、私が合奏でしなくてはならないことはない。
誰かに頼まれて入ったわけでもない。
純粋に私がやりたくて、合奏をしているはず。
でも、今はやりたいという気持ちは分からないし、楽しさや満足感も見当たらない。
はぁ。。。


みたいなことで悩んでいた。
そんな時に、noteを眺めていたらこんな記事を見つけた。

この記事を読んで、合奏を楽しむアイデアが見つかった。
つまり、驚きが手に入ればいいんじゃない?ということだ。


1年前からいい合奏進行について考え続けて、今年の春以降には見方が固まっていく感覚があった。
「何を考えたらいいか」という問題に70点ぐらいの答えを見つけて、そこで思考停止しているような。
だからコミュニケーションを楽しむはずの合奏が、徐々に作業と思えてきていた。

そう、もともとは合奏がコミュニケーションに見えていたのだ。
自分が作りたい演奏のイメージを持ち寄って、最善を探っていくための相互理解が合奏に含まれていると思っていた。
でも、イメージが次第にパターン化されていって、口下手な自分が仲間から引き出せるニュアンスも限定的で、脳内のいくつかの選択肢になぞらえる見方しか出来なくなっちゃった。


抽象的に。
「不満を感じるとき、私は状態変化量のどちらかで満たされていない」というのは私の取説。
この変化量に対応する感情を、驚きとみなすのは妥当だと思う。
状態の方は幸福感とかだろう。

あとは定期的に思い出される一節。
「近頃いつ僕は僕のことを 驚かせてやってあげたかな」

ここらへんの背景で、驚きが大切だと信じている。


とりあえずこれからについて。
自分が楽しいと思っていかないといけない。
だから楽しい合奏をしていきたいし、出来ないならその合奏は参加しない。

もう少しで学祭があって、いくつかの合奏はそこで本番を終える。
さらにもう少しすると定演があって、一年の大一番を迎える。
そこまでは今の合奏をどうしたら楽しめるかについて考える。

そこからは、自分も相手も驚かせられるような合奏を組んでいきたい。
それが一番自分にも、仲間にも誠実なふるまいだと今は思う。

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