
頑張れないことを受け入れてさ、力を抜こうよ。
最近のあなた、全然だめだよね。
暑さと雨による不快が、一年で最もうっとうしい時期。
そんな最近は、自分の行動を上手くコントロールできていない。
無気力で無軌道な暮らし方で、日々の生活も勉強も精神管理も何もかもがままならない。
やらなくてはいけないはずのことから逃げて、それによる代償を想像することに怯えて、誰にも胸を張れない日々の中にいる。
そういう暗い時期にも良いと感じるものはある。
例えばr-906さんの新曲。
そういう尊いものに対して胸を張れない自分を意識すると、ますます自己否定の念が強くなる。
そのようなネガティブなループを抜け出す努力をしようと思う。
今のところ取り組んでいるのは
①パソコンなどの位置を高くして、立って作業する時間を増やす
②タブレットの電源を睡眠前に切り、寝起きに脳死でいる時間を減らす
といったことである。
おそらくアプローチとしては間違っていないので、しばらく試してみようと思う。
本当に頑張っているの?
それはそうとして、このアプローチには努力が含まれていない。
そもそも、私は自分が努力することを信じていない。
けれどほんとうにそれでいいのか。
前提として、冷静に行動できるかは精神論でどうこうできる問題ではなく、考えることに対するコストが小さくなるような環境に自分を置くことでしかコントロールできないと考えている。
だから冷静に考えられるタイミングでそのような環境を構築しようとする。
頑張ることは尊く、頑張っている人は見ていて眩しく感じる。
そういう姿に影響されて、ストイックに頑張ろうとしたことは何度もあった。
けれど、課題に立ち向かう内に積もっていくストレスにどこかで負けてしまい、今では意思頼みのアプローチが通用すると思えなくなってしまった。
だから、私はストレスに簡単に屈する。
ストレスを感じない、価値観に基づいて明確に取り組むメリットを意識できる問題にしか取り組まない。
って、ただ逃げているのと同じじゃないの?
正当化は出来たと思うが、この理屈には実際の行動が伴っていない。
自己批判をしていると、「自分は頑張っていない」「頑張ればもっといい結果になるのではないか」という意見に反論できない。
頑張ることができないという事実を受け入れられないのかもしれない。
とにかく実際の行動でこの方法がいい風に回ればよいのだ。
一旦このスタンスを念頭に行動してみようと思う。