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「いいねの基準」を意識したこと、ありますよね

いいねとか高評価の基準は人それぞれだ。
私は多分厳しめで、かなり心を掴まれたものにしか反応を送らない。
それは私なりの誠実さの表し方なのだが、一方で無礼とか無愛想と受け止められるかもしれない。

これはSNSでのいいねだけでなく、現実の関係においても共通している。
相手が想定しているリアクションは曖昧にでもその時や、後から分かったりすることがある。

例えば、「前釣りに行ったときにこんなに大きい魚を釣ったんだ~」という風に聞いたとき。
「え、めっちゃでかくない!?笑」みたいに明るく返すのが無難だと思う。
ただ私の幼さのせいで興味を持てないとき、淡々とリアクションをして、あとから「良くなかったな~」と反省する。

そういうふるまいを重ねているから、人との距離を感じた時に「そうなって当然」だと考えてしまう。
他の人に対して正直でいたいのに、無愛想や失礼との境界が分からなくなる。
そこの境界線を弁えた行動を取りたくて、chatGPTにお悩み相談をしたり、図書館で本を読み漁ったりしたが、今のところ解消していない。


少し勇気をもって細かく分析して、「正直でいたい」「自己開示が怖い」みたいな感想がこの悩みを構成していると言ってみる。
でも正体は少し違うんじゃないかとも思う。

正直でいたい

お世辞を言いたくないという衝動は、大切にしている言葉「好き」「楽しい」が絡むと強くなるように思う。
「凄い」「良かった」「素敵」ということはまだ言えるのに、途端に息が詰まって次の言葉を上手く選べなくなる。

お世辞を感じる機会はよくあって、毎回自意識過剰も感じる。
例えば自分の演奏だとか、仕事の速さとかを褒められて、「凄い(です)ね!」と言われると、内心「ふ~ん」と冷めてしまう。
本当に良くない。

それはさておき、お世辞に対する過敏が翻って言葉遣いを慎重にさせているんじゃないかと思う。


自己開示が怖い

「いいね」は、ほんの少しだけポジティブな敗北感を示す気がしている。
というよりも「好き」が適切かもしれないが、「それには勝てないし肯定せざるを得ない」ニュアンスを感じる。

敗北感と敬意と恥を少しずつ混ぜたものだとしたら、それは矢鱈と人目にさらすものではないし、濫用したいものでもない。


他人に対する高評価やリアクションについて考えたが、そこに限らず人と仲良くなりたい。
小学2年生?

あと夏なので、熱のせいで考えを持たない行動に気を付けたい。
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