日記
いわゆる「名盤」として定着しきっているアルバムを先ずは聴いた方が良い、みたいなムードが希薄なのでVaporwaveを最近よく聴いています。作品を聴く順序が大きな意味を成すとは思わないが、散逸している多様な作品の中に手を突っ込んでただ探るような聴き方がしやすくて、より本来的な「音楽をディグる」行為が可能な気がするから。腰を据えて聴いていくと、逃避の音楽なのだな、という気付きがある。よくVaporwaveの空虚さは廃墟になぞらえて説明されることがあるが、作為的に人間がそういう虚ろな音楽を作製しているというよりも、アーティストの現実逃避の末の産物というイメージが強い。ドリーミーでアンビエントに傾倒しているような表現は忙しない社会からの逃亡を、また手の込んでいないチープなアートワークや往年のテレビ番組の音声を切り貼りするといった奇を衒った表現は、産業化され整然としてしまった音楽への批判的なスタンスを表しているようで、どちらも裏に日常に逃避的または批判的になっている製作者の存在を伺わせる要素になっている。その一貫性とコスト的にも内容的にも自由なものが発表できる広い裾野があるからこそVaporwaveには惹かれているのかもしれない。