祖母と浅草芸人の話
noteを登録して以来、読むばかりでしたがちょっと残しておきたいなと思う話題を思い起こし、ツイッターに書くのもどうかと思う話題なので、こちらに書くことにしました。
私の母方の祖母(故人)は大正5年生まれで、戦前から戦後すぐにかけて浅草で芸人をしていました。どういう芸風だったかは知る由もないですし、芸名も知らないので、芸人としては大成しなかったのだろうと思います。
その後、プロモーター業に転身し、少女歌手だった私の母のプロモーションも含めてそこそこの成功を収めたようです。売り込む側の人間なので、勿論劇場の支配人や各地の興行主とも懇意にしており、中にはビートたけし氏の師匠である深見千三郎氏とも、片やプロモーター、片や浅草フランス座の支配人として関り、母の芸能界引退に合わせ祖母も業界から身を退くのですが、その後も交流があり、孫(私の兄と姉)をフランス座に連れ、深見氏と会わせていたと母から聞いています(行く度に千円ぐらいの小遣いをもらっていたらしい)。
母曰く、昭和55年ごろまでフランス座で切符売りのパートをしていたそうで、あの当時のフランス座関係者ならツービート含めて知っているのではないかと言います。昭和50年代前半にフランス座に出入りしていた方で「アサコ」という切符売りの老婦人をご存じの方、いらっしゃいますか?
人探しみたいになってしまいましたが・・・