地球が回る、レコードが回る
高校の修学旅行で行った沖縄で、自分へのお土産としてTOTOの聖なる剣Ⅳのアメリカ盤のレコードを買った。そして2020年のクリスマスにやっとレコードプレイヤーを買い、7年越しに聴くことができた。…が、音楽ではなく音飛びを聴いてるんじゃないかというくらい音飛びがひどく、肝心の音楽には集中できず、ひとつ音飛びするたび次はどこで飛ぶかとハラハラしながら聴いていた。保存状態がどうであれ、古いレコードだからそれは仕方がない。
聖なる剣Ⅳがリリースされたのは1982年だ。ロックに憧れた少年が毎日熱心に耳を傾けて聴いていたかもしれないし、今わたしがよく聴いているYMOのソリッド・ステイト・サヴァイヴァー(1979年)だって、ライディーンを踊りまくってた竹の子族のひとりが持っていたものかもしれない。
そんなレコードが、時を飛びこえてわたしのもとにやってきたのだ。レコードショップで買った中古のレコードだけど、1980年代にティーンだった見知らぬ少年が学校の授業よりも教科書よりも大切な何かを学んだレコードかもしれないし、今のわたしと同じ24歳だったかもしれない見知らぬ誰かの青春だったし、確実に思い出が1曲1曲に詰まっているアルバムなのだ。それが今2020年に24歳のわたしの手もとにあり、レコードプレイヤーの上を回っている。くるくると回るレコードを眺めていると、とても不思議な気持ちになる。
令和からまた新しい時代になれば、レコードは古いものになっていくかもしれない。けど、レコードがただ単に古いものだとしたら、もう完全に過去のものか過去の遺産になっているはずだ。
レコードには、レコードにしかない良さがある─昔わたしが聞いた、とあるレコードコレクターの言葉だ。それはレコード独特のモコモコした音質だろうか。それとも、昔の人が聴いていた音楽を、昔の人と同じように聴くことで感じられるある種のロマンだろうか。三島由紀夫の言い方を借りれば、新しそうな顔をして平然と古くなっていく潔い美しさだろうか。
わたしはレコードを聴き始めてほんの数日しか経っていない。今それを探し始めたばかりだ。たくさんの時間をかけて理解し、楽しみ、これから知っていくと思う。地球が回り続ける限り、レコードは回り続けるのだ、きっと。