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【連載小説+あとがき+論文】恋愛ファンタジー小説:気づいたら自分の小説の中で訳あり姫君になっていました(63)+独学論文「不可逆的幹細胞iPS細胞は宗教と対話できるのか 序」

前話

「ウルガー」
 私は名を呼んで彼の肩に頭を預ける。
「わかっている。辛いな。俺も辛い。救えぬ命に出会うといつもそうだ。ゼルマは一層辛いな。トビアスを可愛がっていたから」
 それを聞くとどっと涙があふれてきた、会えぬまま引き裂かれた父と息子。そして夫と妻。その組み合わせが悲しかった。
「大丈夫。マチルダ様はもう悲しみから抜け出されている。だから、余計に言わない方がいいんだ」
「もしかして・・・新しい、恋?」
「そう。あの男には辛いだろうがな」
「そう。そうなの。ってウルガーどこ行くの。キンモクセイの宮通り過ぎたわよ」
「俺と君との秘密の場所」
 ばこん。
 鉄拳制裁が下る。
「大丈夫。君が考えるよりも健全な部屋だから」
 ふいに、柔らかいモノに体を降ろされた。
「何これ? クッション?」
「クッションって言うんだ。俺もなんだかわからないけれど、ある姫が作るように命じたものなんだって。人間をダメにするほど心地いいからここは本当に心が折れかけた人しかこれないんだ」
「折れかけたって……」
 私が言うとウルガーは隣に座る。
「実際そうだろう? 涙も凍っていたじゃないか」
 そう言って肩を寄せる。
「気持ちいいクッションね。人間をダメにするクッション、って名前つけようかしら」
 いいね、とウルガーは言う。
「父上も、此度のクーデターで政権が変わって同盟国の理由もないからマチルダ様に離縁をしてはと言っている。ただ、そうするとトビアスの存在が問題になって……」
「認知して実子扱いだから?」
 打てば響くと言う具合に答える私をさらにぎゅっとウルガーは抱き寄せる。
「君は本当に聡明だな。その頭の良さでここを作ったんだね」
 こことはこの物語の世界。私が書いた世界だったけれど予想に反して広がりを見せてあり得ないことばかりが起きていた。どうも私の意識と何かの無意識が繋がっているらしいんだけど……。それはあとの話でいいわ。今は、マチルダ様の事よ。
「恋人がいるならその方の養子に入ればいいんじゃ……」
「だと、思うだろ? その相手がダーウィット兄上の側近なんだ。陛下の子を自分の子にするなんて、思うかもしれない」
「そんなの、なって見なければわからないわ。マチルダ様が離縁して、トビアスだけを放り出すよりその側近の方と一緒になって生活してみれば愛着もわくかもしれないわ。どうせ、この貴族通りの屋敷に住んでいる方でしょ」
 私を養子にした、お父様の家も、フローラお姉様の嫁ぎ先もその貴族通りに屋敷を構えている。城から出たって、あっという間に入れるわ。
「そうだけど、まだ父上を父と思っている。母上の事も。新しい人をお父さんと呼びなさい、と言って納得できる?」
 ウルガーの言葉に私はうなる。そうね。お父様と最近菜園をしてるわ。慕い始めているトビアスには辛い事ね。
 私とウルガーはこの企み事をこの人間をダメにするクッションのある部屋でああだこうだと言っては考えあぐねていた。


あとがきからの~次は草稿
過酷な事を書いておるなー。これより大変な伏線がまだまだあります。そしてゼルマは心の勤続疲労になるのです。こんだけ人が死ねばそらなるわな。今日は野球がない。他球団も。どこかで野球があれば生き返るのに、とチャンネルを回してもない。しばらくビジターゆえ、ネット回線で飛ばすことはできないため、テレビかラジオにたよるしかない。なんだか、今回は月曜日が休みでなくて木曜日が休みのよう。阪神だけかと思えばどこもやってないとなると全球団か?交流戦は見たくないけど、息抜きにはいいか。とにかく野球がないと困る。そして、論文用にいるかと蔵書を見ればかなり増えてきた。あっちもこっちも抜粋に必要。アメリカ学は一応参考程度に加えた。身体観とか類型化とか歴史学とか歴史神学とか医療の分野も必要だし。ES細胞がむずい。わかるけれど説明しがたい。現在、科学者が科学の謎を解きながらも信仰があったという本を読書中。今、光の粒子のところで混乱中。数学式出されてもわからん。前はそこでストップしてたんだけど、今はなんとか読み進められている。非常に短いセンテンスを読んでは止めての繰り返しだけど。ホーキング氏まで行けばそこそこ収穫があるだろうと踏んでいる。カトリック神学の独学できる本を持っていてびっくりした。改めて目次を見たらテキストにレッツトライ、なんぞあって、見れば課題がでていた。これ解けばカトリック神学概説オッケーかも。あとは絶版になった本しかない。進化論がかなり関係するので、古い論理としても扱わないと行けない。原本は岩波でもってるけれど。そしてその前段階の本をこの間ゲットしていてこれを読めば多少見えるかな、というところ。ヨハネ・パウロ二世の回勅すら出してきている。押し入れのふすまが閉めれない。そこを資料ほんの棚にしてるから。運気が下がると怒られたけれどどこに並べるの? なのです。プリンターの上でもいいけど。高さ間に合うか?あとでやってみよう。でも聖書を足下に置くのはちょっと。(この間、プリンターを下段にいれて整理した)今、中段の箱物が置いてあるのをよけて入れられるかみてみた。高さだけ気になるけれどあとで片付けてみよう。さて、ということで私の趣味の学問にこれから巻き込まれていきます。興味ない人は違う方の記事にいってくださいね。ま。序だけだから。

不可逆的幹細胞iPS細胞は宗教と対話できるのか



かつて、クローン羊ドリーの騒動の顛末を学位論文、修士論文の二本の論文にまとめた。
しかし、同じ事の記述であり、しっかり類型化、また歴史神学的考察ができなかったことに今まで後悔していた。
ドリーだけならば早期に書けばよかったのだろう。しかし、己の病を抱えて執筆するには無理があった。
ようやく、病が軽減し、書こうとした今。クローン羊はかつてのものであり、今や、iPS細胞による再生医療の応用にまで進んでいる。
簡単に、クローン羊技術の細胞移植技術、その後に現れたES細胞、そしてそれを抜いた画期的なiPS細胞の技術に触れてから組織神学的に考察するのが適切なところをあえて、誰も触れていない歴史神学的アプローチを試みたい。
なお、クローン羊ドリーの騒動の際に、かき集めた書籍は今はない。簡単にドリーの技術に触れるだけにして医学的領域はiPS細胞の説明に終始する。
倫理的な観点も加えながら歴史神学的にまた宗教社会学などの多角的な観察をしてみたいと思う。学び舎との接触なき今からのの執筆である。独学での考察をお許し願いたい。
また、クローン羊技術の欧米の大まかなまとめを記述したNABCの刊行物もない今、改めて資料を探しての小論文となる。今や、二十年前の技術に注目する人間などいないだろう。
過去の置き物を振り切る意味での執筆である。稚拙な論文となることは明白であるが、それもお許し願いたい。

尚、この論文は草稿である。書式の指定もないまま書くため、少しずつ改稿を加えながらの執筆となる。
まだ、資料を集め始めた段階である。どこから手をつければいいのかもわからない状況であるため、現在、この動機と流れを記した「序」のみの掲載となる。

最終論文「不可逆的幹細胞iPSは宗教と対話できるのか」

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