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愛着障害のわたしを変えた【辛い自信】という言葉

オンラインカウンセリングどころか、カウンセリングさえはじめてだったわたしですが、臨床心理士さんはしっかりと傾聴してくださって、わたしはとても安心したのを覚えています。

そんなわたしが、初回のカウンセリングの締めに切り出したことがあります。

あなたも「たいしたことない話だったなと」思いますか?

当時のわたしは、「自分の悩みはたいしたことがない」と思っていました。
なので、誰かに何かを相談しても、あとで「たいしたことないことで悩んでるんだな」と思われたのではないか、と不安になるということがしょっちゅうでした。
(今思うと、逆に謎の思考です)

だからこのはじめてのカウンセリングのときも、わたしのこの考え癖を打ち明けて、「あなたは、カウンセリングの後、わたしのことを『たいしたことないことで悩んでるな』とは思いませんか?」と恐る恐る訊いてみました。

カウンセラーさんの答えはこうでした。

「たいしたことないどころか、専門家としてこちらが慌てるくらい、もう大問題。どこから話したらいいかわからないくらい、ありすさんは今、ボロボロです」

そんな答えが返ってくるとは思ってもいなくて、戸惑いました。でも今思うと、これは誰にも顧みられることのなかった、わたしの生い立ちと、その痛みをはじめてわかってもらえた瞬間でした。

「辛い自信がない」

それから、同じ臨床心理士さんのカウンセリングを何度か受けました。たしか2回目か3回目のときのことです。
わたしが何度も何度も「わたしの生育環境なんて、そんなにたいしたことはないのに、なんでこんなに生きにくいのだろう」というようなことを口にしていたら、心理士さんが言いました。

「ありすさん、『辛い自信』がないんですね」

辛い自信。

不思議な日本語です笑

「たいしたことないと思っていないと、ここまで生き抜いてこられなかったんですよ」とも言われました。
ほんとうにそのとおりでした。

わたしは無意識に「自分の痛みはたいしたことがない」「辛いはずがない」と思い込むことで、こころの痛みを麻痺させてきました。強くそう思い込んでいないと、生きることができなかった。

「わたしも、辛いんですけど!」

わたしも、辛いのだ。
母に散々、過去の辛い話を聞かされた。親族は余裕のないひとが多かった。わたし程度が、辛いと思ってはいけない。

そんなふうに、わたしはわたしの傷を無視しつづけてきたのでした。

大人にどんな事情があろうとも、誰にどんな悩みがあろうとも、
「わたしも辛い!」
そう言えていたら、ずいぶん楽だったと思います。

たったそれだけのことが言えない環境が、わたしを愛着障害にしたわけですが。

「たいしたことない」は大嘘だった

これは、わたしひとりの問題ではないように思っています。
同じように生育環境で大変な思いをした友人が、過去の話を聴かせてくれたとき、その方も同じように「たいしたことないんだけどね」と言ったのを、わたしは鮮明に覚えています。

「わたしの過去なんて、そんなたいしたことないんだけどなぁ」の裏側には、傷ついたままのこころが隠されているのかもしれません。

まとめ

それ以来、わたしは「辛い自信」をもつということからはじめました。
誰がなんと言おうと、自分が辛かったことは、辛かった。
そう素直に思うことを自分に赦しました。

蓋をして、なかったことにしてきた傷を感じることでもあるので、しんどいことですが、まず「自分のこころは傷ついている」だから「ケアしよう」という視点に立てたことは、とても大きかったです。

今回は、これにて。
あなたのこころも、健やかでありますように🌸

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