何もかもが中途半端だった過去の私へ
本当に、何もかも中途半端だった。
勉強にしろ、運動にしろ、何にしろ、親に言われるくらい、自分で分かるくらい中途半端だった。
1番記憶に残っているのは、高校の部活動だった。中学から吹奏楽部でTP(トランペット)を演奏していて、中学3年の時にコロナで制限がかかり、やれることは限られていたが、本当に楽しかったのを覚えている。
高校に入って、中学の時からは想像もつかない少人数の部活でやってきて3年目の春を迎える直前のお話。
顧問が失踪した。
12月に校内公演をして、その最後に顧問が言った言葉を私はお父さんとこう話していた。
先生、やめんじゃね?あの言い方
「この子達なら、私がいなくとも自分から練習して、高め合っていける、そう思っています」
演奏しながら本当にやめるんじゃないのかと思いながら演奏したのを覚えている。
私はあの顧問がいたから中学で辞めようと思っていた吹奏楽を続けようと思った。あの顧問のために頑張って演奏しようと思った。あの顧問が私を部長に推薦してくれたからやりたくなかったけど頑張ってやろうと思った、のに失踪した。
そこからの私は気力共々無くなって、挙げ句の果てには夏のコンクール3週間前に部活を辞めた。
正直辞めた理由は色々あった。代わりに顧問をやっていた副顧問が絶対王政で部活を進めようとして、陰で私が副顧問の尻拭いで校長に怒られていたことや、ストレスでおかしくなりかけたりしたこととか。
最後辞める時は職員室前でボロ泣きして退部届を書いた記憶がある。
(辞めたいって言って「なんで」って聞く前に「あんたがそれで楽になるならいいよ」って言ってくれた親には感謝でしかない)
そんなこんなで本当に中途半端だった私が唯一長続きしたことがある。それが競技シーンを見ることとゲームをすることだった。
小学校の時に親に買ってもらったスプラトゥーン。あれに人生を狂わされた。そこから色々なゲームをやって、色々な人たちに出会った。
暴言吐いてくる人なんて数えきれないほどいた。「女がゲームすんな」って言われた時はもう笑うしかできなかった。
長続きするきっかけは何だっていい。あの子に負けたくないから勉強頑張ろう、あいつより足早くなりたいからいっぱい走ろう。
私のきっかけは「応援していたチームの選手が笑顔で喜んでいる姿が見たい」だった。
元々スプラトゥーンのプロシーンを見ていて私がAPEXのプロシーンに来たきっかけはTSMの優勝動画がYouTubeに流れてきたことだった。最初は何も分からなくて右往左往しつつ流れに身を任せて今の今までこの界隈に居るわけです。
多分またいつかこの界隈を去る時は必ず来ます。その時まで、私は応援している選手がチャンピョンを取って、喜んでいる姿を見るためにこの活動はやめないと思います。
色々な人がいるからこそ、私のことを嫌う人たちもいると思います。ブロックしていただいても構いません。まぁ、そういう人はここまで読まないと思います。
私のモットーはずっと「繋がりを大事にしていく」だからこそ、今繋がってくださってる方を大切にやっていこうと思います。
本当にたかが視聴者がここまで大きくなると自分自身想像もつかなかったし、一つ一つの言動が火種になりかねないことも身をもって理解したし、本人様から言われたらそこまでなので、それまではこのスタンスでやっていこうと、心に決めました。
昔から何も長続きしなかった私の唯一の長続きしていること。いつまで続くか分からないけど。