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わたしの好きな場所

「夜中のラブレター」なんていう言葉があって、お日様がさしている時に人間は文章を書くべきと、多分物書きの人なら誰もが耳にしたことがあることだと思う。

と、そんな感じで日々を過ごしていると、この日記のようなつれづれしたエッセイのようなものを書くのも週一で今の所ようやくといった感じか。SNSに疲れて(といってもこれといって嫌がらせにあったとかいうのではなく、なんだかSNSには自分のキラキラした面しか載せてはいけないような気がして、だんだんと遠のいていってしまった)ここ数年インプットしかしてこなかったせいか、アウトプットしないと!という気分になってきたのだ。随分前はブログでオタクな日記も書いてたし、noteでも何年か前に少しだけ日記的なものも書いていたので、その要領ですれば良いと思いつつ、どうも書こうと思った時にはお日様はとうの昔にとっぷり暮れてしまっているのだ。


思いついた時に書けばいいのであるし、それができるのではあるのだけど、公園や森に散歩に行った時に書きたい気分にはならないし、電車の中で目的地に向かう時は本を読みたい。そこまでして書かなくては!というのでもないのがまたなんともね…。代わりにメモは取っているから、書きたいことには困っていない。


思いついた時に書けるのは、スマートフォンのおかげ。これの登場と進化で様々なことが便利になったけれど、わたしからは集中力をごっそり奪っていったように思う。

スマートフォンのせいでわたしは時間を忘れて作業に没頭することが出来なくなってしまった。そういっても大袈裟ではないと思うし、多分わたしの意見に賛成する人たちも多いと思う。

スマートフォンに限らずだけども、テレビ全盛期の頃から、映像で観た擬似体験でそこにいったような気になる、変な満足感っていうのがあって、それってどうなんだろう?ってかなり前から疑問に思っていた。

もちろん映像を観てその場所に行ってみたいと夢を持って実現する人もいるし、映像だけで満足ならばそれでいいとも思っているけれど、行った事もないのに映像だけの知識であれこれ言う人がたまーにいる。わたしはそういう人が苦手である。ただそれだけのことだ。

年々友達に会いに行くことが主な旅行になってきていて、そうなると必ずお気に入りのところに毎回行っている。年とともに、ここに行きたい!ではなく、またあそこに行きたいというのが強くなってきているのかな。

そんなわたしの多分一番のお気にいりの場所は、V&Aのキャンティーンである。ウィリアムモリスの内装の気さくなキャンティーン、いつも人で溢れてます。

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