経済循環
擦り切れてこれ以上着れないようなシャツやコートやスカート。
使える部分だけを再利用して、
アップサイクルしている今♻
そのときに使う針、糸、ミシン、端切れ。
全部知り合いから頂いたものだ😳😳😳
最近ミシンの調子悪くて手縫いが多いけれど、ハンドミシンでさえ頂きもの。
顔に使うクリームや化粧水や洗顔も知り合いが作ったもの。
歯磨き粉や塩も知り合いに頂いたもの。
今使っているパソコンや携帯、
イヤホンや充電器も頂いたもの。
読んでいる本、
使っているバッグ、
ネックレスや帽子、
ペンや切手や便箋さえも頂いたもの😳😳😳
よくよく見たら、
周りに在るものは、
ほとんど知り合いからの頂きもの。
それでほとんど成り立っている生活。
私はこれを『経済』と呼ぶ。
自分をまず使うことで生活を成り立たせること。
この地球という私たちが住む家を、
運営管理することを経済と言う。
その地球の中での私が生きる範囲。
それはここ、これ!っていう所有ではなく、
常に流動的なもの。
今はありがたいことに福島の実家に滞在できているけれど、
いつ何時出ていくことになるかはわからない。
そんなとき、私の地球という家の中には、
どれだけの私の家があるかというと、
この実家だけではなく、
存在するすべての家が私の家でもある、
ということ。
それは知らない人より、
逢ったことある人の方が、
家感は増すけれど、
初めて逢ったばかりの人の家も自分の家である。
ヒッチハイクで乗せてくれた人が家に泊めてくれたことも何度もあるし、
街を歩いていたら呼び止められて話し始めた人や、
カフェで目の前に座って話しかけてきた人の家にそのまま泊まりに行ったことも何度もある。
てことは、そこに居る一時の時間は、
さっきまでは知らない人だったけれど、
もう私の家でもあるんだな、ということ。
所有というよりは、
地球にあるものに本当は誰かのものなんていう概念はないんだよなーってこと。
だから私はオゾン層を屋根だと想い、
ベンチやその辺の草原も自分の部屋だし寝床。と想うようにしている。
そうすると、
自分の家!っていう1つの所有のみにならずに、地球全体という流動的な空間が全部私のもの、
そして、
私という名の他人の家でもある、
あなたは私であり、
私はあなたであり、
とゆうことは、、、
うわぁー!
地球に居る77億人も全部私かい!という、自分さえ所有しなくなる清々しさ。
そしたらその辺にとびきり綺麗な人が居たら、
羨ましいな~じゃなくて、
あれも、私です!ってこと笑
あなたは私だから😂
そしたら、私は今回の人生綺麗担当ではなく、何担当なんだろう。
綺麗は違う人におまかせだ。
どうせ、私なのだから♡
とばっさり自分の役割に目を向けられる😂
私には車もないけれど、
地球に居たら大量にある。
あれも全部私のものでもある。
運転できなくても指はある。
だからヒッチハイクで乗せてもらう。
そしたら乗っている一時は私の車でもある。
THE流動的所有。
なにか大事な物をなくしたり、
お金が誰かに盗まれたり、
そんなことも多々あるけれど、
地球が全て自分の家と想ったら、
部屋が広すぎて、
なくした大事なもの見つけ出せない😂
だけど、どっかにはあるのよ。
だからなくしたことにはならない。
お金が盗まれたとしても、
あなたも私なんだとしたら👀
私に渡したのと同じこと。
地球の運営管理することは、
自分という範囲を広げたり、なくしたり、固定することなく、
流動的な流れの中で身動きできる状態にしておくこと。
本当の意味での経済活動で在り、
生きていく術。
お金だけのことを経済というのではない。
お金は経済活動の一部。
地球の運営管理することは、
自分自身の運営管理をすることだから。
お金ではなく、
自分をまず使うことを考えるのが経済活動。
できる限り、
お金は最終手段として活用すること。
まずは自分というものを使い、
どう生活を回せるか。
自分は何が出来るのか。
モノや機械ばかりに頼るのではなく、
自分自身の手足を使い、
体全身を通して表現出来ること。
それを、見つけ、表現し、
形にするから経済活動に繋がっていく。
お金のために、
生きるために、
なんかのために、
ではなく、
できることをするから、
お金になる、
生きていける、
なんかに繋がっていく。
経済活動は、
この地球という家に、
どれだけ自分と関わりのある人がいるかでも広がりと深みが増す。
お金が稼げるものだけを経済活動と言うのではない。
お金持ちより、人持ち。
今の私は友達を作ることが仕事でもある。
これも立派な経済活動。
友達の家に行ったら、違う友達もいて、
次はそこに誘われて泊まりに行ったら、
また違う友達がいて。。
この連鎖で今まで生きてきたら、
職業、友達の家に行くこと、でもあるくらい、本当にたくさんの家に行かせてもらった。
世界中のみんなが友達になっちゃえば、
戦争にならないじゃない。
だから、友達になっちゃったらいい。
そして、その輪のお陰様で、
農業に興味があると話したら、
人を紹介してくれて、
お手伝いや、仕事をしたり、
またそこで人を紹介してくれて。
そうやって、
自分自身を使い、
流動的に在れば、
経済はまわっていき、
循環のある生活に勝手に回り始める。
自分の周りはほとんど、
知り合いからの頂きもので埋まるという幸せ。
お金さえも、直接頂くので、
使う時に顔が浮かぶ。
使う度に感謝が生まれる。
お金ももちろん人を幸せにするけれど、
自分自身を使わない、
経済活動の一部であるお金だけに執着するのは、
流動的なものではないので
本当の意味で自分を満たすことが出来ない。
経済活動は、
全身運動のようなもの。
家事は機械に頼らなければ、
全身を使う作業。
生きることは家事と関わる。
手だけを使っていたら、
いつか手だけに負担がきて、故障したら何も出来なくなる。
全身使っていたら、
一部が故障しても、どこかで補える。
だから、
仕事もひとつのものに従事するより、
いくつもあるほうがダメージが少ないし、
地球環境を考えて活動する時も、
人間だけの立場で考えて動くと他の種は途絶えていく。
地球全体の動きを把握して、
あらゆる連携を知り、
人間が何が出来るかを紡ぎ出す必要がある。
経済活動=お金
だけでは全体が流れないリスクがある。
お金だけが大事だと信じていたら、
お金が無くなったら生きて行けなくなる。
幸せになる方法は一種類だけではない。
それがいくつもあれば、
いつだって自分を幸せにできるように、
経済活動は、
自分という全体運動。
お金を作り出すという一部に目を向けるより、
自分の運営管理という全体に目を向ける。
だからお金だけでは幸せになれない所以。
全体のバランスが必要だから。
いかに自分を使い全身運動をするか。
どうしたら幸せで在れるか。
経済活動という、全体を把握し、
一部だけに固執しないこと。
まずは全体を見てから、
部分を見ていくこと。
全体を見るから、滞りがわかり、
ものごとが循環していくこと。
経済活動も、
自分の在り方が大いに関わる。
自分の周りが今何で囲まれているのか、
どういう経済活動で生活しているのか、
何をもって経済活動と定義するのか、
宇宙に広がる星々の公転や自転の動きで影響しあうように、
私達も経済活動という循環の中、
影響し合いながら日々を生きていく。
生きるということは、
どう在るか、
というシンプルな問いに答えてはまた問いただす、の循環で巡っていくのだろうね、
きっと。
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