大地
5/15、沖縄返還50年。
そんな節目に沖縄に居るのもまた不思議な感覚。
波照間に居た時に、
その日はなにかお祭りのようなことをするのか、と聞いたら、
地元の人はそれよりも神事の行事の方を大事にしている人が多いかも。
という話。
人の枠組みで決められた土地というものを越えて、
神道での神事は、
自然に神が宿るというもの。
自然と密接に生活する人々にとっては、
そこかしこに神が宿り、
太陽が登っては拝み、
雨が降っても拝み、
どんな状況にも対応して生きていくこと。
自然とそうなっていく。
食べることが生きることだから。
ほとんどの人が、
自ら食べるものを自給していく生活の中、
自然は神様であり、
人間だけの区切られた社会よりも密接に関わっているのだと、
本質的に自然な生き方をしている。
そもそも誰かの土地、なんてものはない。
私たち人間の枠組みで決められた範囲での意味のわからないルールにヒーヒー苦しむより、
地球全体の本質で自分が在れば、
そもそも全てが自分のモノであり、
自分のモノではない。
自分の身体で例えたらわかりやすい。
人間のしていることは、
「はい、じゃあ胃はあんたのね、そしたら肺はあんたに、血液の赤血球はあんたに。」
と分けて区切ってバラバラにした結果、
機能しなくなるでしょ😳
っていうオチ。
分断して機能しなくなってワタワタしている。←イマココ
排除すればしようとするほどウィルスはグングン強くなるし、
分断すればするほど、
新たなルールに自分たちの首を絞める。
人間社会で問題と言われる全てのあれこれは、
自分たちでそうしまっている根深い仕組み。
単体で存在するものなんかない。
分断して平和に生きられるなら良いけれど、
今までかつてそんなときなどあったのだろうか。
全体を見て、
個の機能を見ていかないと。
全て繋がっているんだということを、
自分自身の身体の機能から体感しないと。
丸々人間という社会の本質を、
自然の本質に戻していかないと。
生きずらい世界への加速を、
結局自分たちでしていく愚かな状態は抜け出せない。
世界で1番恐ろしいのは自分自身。
そして1番愛おしいのも自分自身。
自分が愛なのだとしたら、
存在する全ての感情が自分自身に在るのだということ。
この感情は良いけれど、
この感情はいらない、などの分断が、
血液を介して全身に血が回るように、
地球全体に伝わっていく。
自分を分断するからこその、
地球分断を促進してしまう我々。
植民地にすること、
戦争をして奪い合うこと、
土地を返還すること。
当事者達はいろんな想いがもちろんあるだろう。
けれど、
そもそも故郷は地球で在り、宇宙、
そして自分自身。
その1つの場所から、
分断するモノも、されるモノも、
派生したことを忘れてはならない。
どんなに嫌だろうが、
繋がりたくなかろうが、
あなたもわたしも、
存在している時点で、深く関わり合う。
土地をわけようが、わけまいが、
地球は地球。
ただ在るその存在の本質に、
いざ、還る。
それこそ本当の意味での返還。
そう在りたい。
(2022.5.15の日記より)