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感情と言葉

人生はせつないけれど、
きっと、自分を理解してくれるのは自分しかいないんだと想う。
いや、それもできてないかもしれないけれど。

感情を言葉に表現することが当たり前なことが最近の驚き。
本当はこの逆が当たり前なのに。

自分の中に生まれた感情を、
言葉にすること自体、
全くの正反対行為。

そこに気付かなかった自分に更に驚き!!!!

事実を述べること、
伝わる最低限の言葉を発することしかできないもどかしさ。
感情を言葉にしてしまったら、
きっと百億分の一くらいでしか、
今の私をあなたに伝えられない。

私からしたら、
言葉と感情は、
猫から犬が生まれるような、
それくらい全く違うものでしかなくて、
あらゆる内に生まれる'素晴らしい'や'美しい'や'感激感動’っていうものは、
言葉にしたところで全くの代物。

私は特に言葉にすることが苦手でいて、
あまりに綺麗過ぎるこの世界を伝えられないことに自己嫌悪でいたけれど、
こんなにも違うものを一緒にしようとしていたことに無理があるんだと、自分ができなくてもいいんだと理解できた、納得。

そうだよ、猫から犬は生まれない。

言語も一種のルール。
法律みたいな。
それとはちょっと違うような、いや、そうのような。
コーヒーといったら頭の中に浮かぶ絵を相手も描いていると思い込む不思議。
この言葉というもので人に何か伝わることの不思議を想う。

ぼやーんとした感覚ないものをみんなが認識してそのものと理解して生きてゆく。

なんだかすごいなーと、
昔は飲めなかったコーヒーを飲みながら、
私のこの言葉の羅列で、
私のことを理解できてるのは私だけなんだと深々と想う。

あぁ、今日も平和でしかない。

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