曖昧さ
2018/12/31のFacebook投稿より
栄養素よりもエネルギーで生きてきたことを再確認した最近。
誰がそれを信じなくとも、
私がそれを信じるからいいんだ。
自信って自分を信じることだから。
ただただ、心流れるままに生活することで、居心地のよかった自分の居場所にストンと落ち着く。
良い人でいるより自分で居たい。
そのときの抱く感情で自分を表現していたい。
360度どこから眺められても、
他人に合わせた裏表な私ではなく
誰といても私は私でいられるように。
誰にどう評価されようと構わない。
それで周りが離れるならそれはそれでいい。
そもそも周りのために生きているわけではないのだから。
自分に肩書きを掲げると、
その時点で自分ではなくなってしまう。
自分の意志で作り上げたものではない場所で働くこと。
それが良い悪いではなく、
この社会はそれが当たり前。
だけどそれをすることは、
もう自分の感情だけでは動けないということを知ること。
自分としてではなく、
なんとか屋さんとして見られているということを知ること。
もうそうゆう仕事としての自分を生きるコトを辞めようと深く心に刻み、
慎重にこれからの道を選んでいく。
常に自分屋さんでいられるように。
私はそれしかできないなー結局。
肩書き'自分'。
自分が存在することでどうフリーエネルギーをまわしていけるか。
地球にとって良いエネルギー循環をしている場所でお手伝いしていけるように、
そして、作り上げていけるように、
まずはまたまた海外で人生修行を積んで参ります。
導かれているけれど、
本当の心の底では、自分でそれを決めていること。
自分としてしか勝負できない地球という場所で、
どれだけ自分で居られるか。
深いところで繋がれるか。
直感を大事にできるか。
毎度毎度新しいところに行くのは、
真っ白の画用紙に常に新しい絵を描いてみたいから。
恐怖心は好奇心だと自分に証明したいから。
旅を始めるのに理由もなければ、
終えることにも理由はない。
感じるからそうする、
いつだってただそれだけ。
それを大事に出来る自分でいたい。
最近は始まりも終わりもわからないくらい。
動くことが人生。
留まることを目指すでもなく、
今を生きれることに多大なる感謝を。