【鑑賞記録】ルックバック
AmazonPrimeでルックバックが配信されたので見た。
1時間弱で見れるということもあったし、映画館に身に行きたかったけど出不精で行けなかったので、家で見た。
結果、よかった。でも消化するには時間がかかってしまった。
個人的に色々考えることが多すぎて、これが胸がいっぱいという感覚か、という感じ。ネタバレ含んで記憶に残ったところ、考えたこと、そういったものを書き残してみる。完全自分用。
そもそも1時間という尺の中で、どういう展開になるのか見ている間ずっと気になっていた。半分くらい経過したところで若干の焦りがあったけれど、後半は思考が追いつかない状態だった。見終わった後、やっと思考がついてきて、いろんな場面を振り返って繋がった時に、気が付いたら涙が出ていた。
この涙は感動とは少し違って、何かを受け入れた時に流れる涙のような気がした。
藤野が京本の絵を初めて見たとき、隣の席の男子が「京本の絵と並ぶと、藤野の絵って普通だな」という発言。
俯瞰した教室では、男子は普通のトーンで言っていた。
藤野が考えながら帰る道で、色んな人が京本の絵を褒めているシーンが入る中、その発言はかなり誇張した表現がされていた。
映画を見る時、時間配分をどうしても考えてしまう。この映画をどういう気持ちのスタンスで見ればいいか、登場人物の表情を見た方がいいか、言葉に注目した方がいいか、どこを掴めばいいかを考えてしまう。まずはこの小さなワンシーンで「この作品、好きかも」と思った。
そこからは、悔しいと思う感情、色々なものを捨てて頑張っても適わない存在を見つけてしまったときの虚無感、自分を応援してくれる人の存在を見つけたときの高揚感、そういったものを人生で感じてきたことがある人には、前半はかなり色濃かったと思う。
小学生ながらの分かりやすすぎる感情表現。だからこそ返ってクるものがあった。
私は小さいころからアニメが好きで、特に京都アニメーションのアニメが大好きだった。就職するときも自分に自信のある才能があったら入りたいとまで思っていた。でもそんな自信や技術は私には到底なく、趣味として社会人になってもアニメは見続けて陰で応援していた。だからこそ、あの時の事件は今でも鮮明に覚えているし、やり場のない気持ちでいっぱいになった。多分一生忘れられない。こんな私にですら忘れられないのだから、想像を絶する方々も沢山いると思う。こんな私が怒ったり悲しんだりするのは資格がないとも思ったし、今でも心の奥底にグチャグチャな感情が残っていた。この映画を見て、どうしても触れないことは出来なかったのでつい書いてしまったけれど。私がどうするとかないけれど。自分以外の人の葛藤というか怒りへの向き合い方みたいなものを見せてもらったような気がした。
私が感じ取った藤野が書き続ける理由は、京本というファンのためなんだろうなぁと思った。「背中を見て」の4コマを見て京本の部屋に入って、京本がいつも来ていたちゃんちゃんこの背中に書いた自分のサインを見て、京本の背中をみて、書くことを続けようと決められたんじゃないかなぁと思った。
書いても意味がないという世間の声がある中、続けることは難しい。でもそれを続ける理由は、自分が好きであることも大事だけれど、好きのまま続けさせてくれるファンがいるからなのではないかと思った。自分がやりたい・好きだからというのは大前提として、理解者やそれを応援するファンがいることは当たり前に大事である。
これは漫画だけじゃなくて、音楽だったり、いろいろな仕事だったり。誰にでも響くものだけど、特にクリエイターの人にはずっしりと来るものがある気がする。
言葉がライトすぎてしまうけれど、前向きにもなるし、昔の怒りや悲しみなどを包み込むような作品だなぁと思った。
「じゃあ藤野ちゃんはなんで描いてるの?」という問いについて、明確にアンサーがないところもよかった。回想シーンでなんとなく考える。これを言葉にするにはあまりにもチープである。これは藤野以外には答えてほしくないところ。(藤野なら曲がりくねった返答が返ってくる気がするが)
もしもの世界があっても京本は外に出ていたし、現実の世界線で「藤野ちゃん外に連れて行ってくれてありがとう」と京本は言っていた。
現実でも、もしもの世界線はどうしても考える。でもそれは現実があるからこそ、より切なくて、無力さを痛感してしまう。考えてもいいけれど、現実を受け入れなければならない。私ももっと強くならなければ。
ちなみに藤野が自分のデスクに貼った4コマは、白紙だと思うのは私だけだろうか。友人が京本が書いたやつではないかと言っていたのだが。
白紙の方がなんかロマンあるくない?真っ白って。
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