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46. 雲の中揺れ続けている初飛行

 松江と隠岐西之島を結んだ水上飛行機は、日本海航空という会社の飛行機で、大阪、城崎、松江 、隠岐を結ぶ路線を運行していた。『城崎町史』によれば、日本海航空は1931年(昭和6年)に城崎にできた会社で、当初は三菱式MC-1型改良の水上飛行機で城崎周辺の遊覧飛行を行っていた。乗員2名で、乗客は5名だった。

 「昭和七年からは定期航空の営業もなされ、七年に城崎―鳥取、城崎―天橋立、八年に城崎―松江、十年に大阪―松江、松江―隠岐、十一年に大阪―城崎などが始まった。その営業成績は、昭和八年に飛行機五台をもつまでになり、・・・」

 とあって、徐々に売り上げは伸びたようだが、経営状態は決して芳しいものではなかった。大阪は木津川、城崎は円山川、松江は宍道湖(現在の中海)に水上飛行場があった。1935年(昭和10年)の『航空要覧』を見ると、当時設置されていた公共用・非公共用の飛行場22ヶ所のうち11ヶ所は水上飛行場(2ヶ所は水上・陸上両方を持つ)であり、飛んでいる飛行機の多くは海軍から払い下げを受けたものだった。日本海航空の飛行機も、一三式水上機や一四式水上偵察機を改造したものだったようである。しかし、日中戦争の影響もあり、国策によって民間航空会社再編が行われ、1940年(昭和15年)に日本海航空株式会社は消滅した。城崎にも松江にも、そして隠岐西之島にも大都市から人を運んで、地域の活性化を図りたいという強い思いを持って行動した人々がいたのである。さぞかし悔しい思いをしたことだろう。

 野原茂の『日本の水上飛行機』には、一四式三号水上偵察機(E1Y3)の戦艦「金剛」搭載機の美しい絵が掲載されている。そして、

 「一四式水偵は、木製主材骨組みに、合板と羽布張り外皮という旧式な構造であったが、性能はまずまずで、操縦、安定性は良好、実用性も高いという、水上偵察機にはうってつけの出来映えであった。」

 と書いている。通信士を搭乗させるためにそれまでの乗員2名を3名の三座水偵にしたことが一四式水偵の大きな特徴だったが、それにしても、まだ木製で布張りの飛行機が飛んでいた時代なのである。飛行機の黎明期と言って良いのだろう。その黎明期、水上飛行機の日本初女性操縦士が西崎キク(旧姓松本キク)である。一三式水上機に乗って郷里の埼玉県上里町(当時の児玉郡七本木村)へ飛んだのが、1933年(昭和8年)のことである。小学校の教員時代に見た飛行機に魅せられ、1931年(昭和6年)に小学校を退職して飛行学校に入学、二等飛行操縦士の免許を取ったのが1933年(昭和8年)、その年の十月には郷里への凱旋飛行をしたのである。免許取り立てで故郷への初飛行。晴れがましさと緊張の混じった、21歳の秋だった。『紅翼と拓魂の記』には、

 「オープン飛行機で冷え切った私は、着水して利根の河原にへあがった。そこには式場のやぐらが建っていて、紅白のまん幕がはってあった。その周囲は人、人でむれていた。今日の人出は五万だ、いや七万は下らないだろうといっていた。」

 と、故郷の歓迎ぶりが書かれ、その中には教員時代の教え子もいた。

 「『先生!よく勉強して頑張ったね。今日の先生は最高に素敵き! やれば出来るんだね。俺たちも頑張らなくっちゃあ――』私の担任だった小二の子も五年生になっていて、こんな一人前の呼びかけをしてくれるように成長していた。」

 とあり、教え子が祝詞を述べている写真が載っている。当時の新聞記事の見出しは、

 「萬雷の如き歡迎の嵐 空の女王初見參 見よ松本嬢の雄々しさ! 感極まって泣き崩れる父と母」

 と最大級の賛辞を送っている。

 黎明期は美しい。そして、新しい技術は世間の関心を集める。しかし、優れた技術であればあるほど世間は放っておかない。その危うさに触れたのが宮崎駿の『紅の豚』だった。第一次世界大戦後のイタリア、アドリア海が舞台になっているから、時代は1920年頃だろうか。サボイアS-21、カーチスR3C-2などの水上戦闘機が登場する。主人公の乗っている水上飛行機が紅なのである。『ジブリの教科書7 紅の豚』には、青い海や空に映えて綺麗な絵が載っているが、映画の内容は結構シリアスである。宮崎駿は、

 「空を飛ぶことが何をもたらしたと思いますか。飛ばなければ良かったとも言えるんです。どんなものでもキラキラしているんですよ。黎明期というのは。だけどそれが現実に資本や国家の論理に組み込まれたり、地上のいろんな利害関係の中に組み込まれて、いつの間にか汚れてくるんです」

 と、言っている。黎明期の飛行機がやがて戦争の道具へとなっていったことをさしているのだろうか。人間と技術の間の永遠の課題である。技術は更なる進化を求められ、また技術自らも進化を求めていく。我々は、その恩恵にあずかりつつ、その恩恵がもたらす恐怖や理不尽さに慄くという現実。だからこそ、『紅の豚』のような映画が必要になる。今年も、世界ではいろいろな出来事が起こるに違いない。

●『城崎町史』 城崎町史編纂委員会編 1988年
●『航空要覧』 編輯:遞信省航空局 1935年 
●『日本の水上飛行機』 野原茂 潮書房光人新社 2022年
●『紅翼と拓魂の記』 西みさき 発行:西崎キク 1975年
●『ジブリの教科書7 紅の豚』 編:スタジオジブリ・文春文庫 文藝春秋 2014年

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