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2.炭酸水泡はじけ飛ぶ昼下がり

 鳥井信治郎の小西商店での奉公ぶりは、伊集院静の『琥珀の夢』に詳しい。小西儀助は西洋に負けない葡萄酒作りという夢を叶えることはできなかったが、1899年(明治32年)に信治郎は独立し、その後葡萄酒やウィスキーの販売・生産にのめり込んでいく。『琥珀の夢』には、彼が神戸の居留地で商いをしたあと、突然思い立って小樽へ行く日本郵船の定期客船、それも一等船室に乗り込む場面がある。信治郎は西洋の上流階級の人たちがどのような生活をするのかを観察・体験するために、一等船室の船賃に大枚をはたくことを即断したのだ。一等船室の日本人は信治郎一人で、他は高貴で裕福な西洋人ばかりであった。船内でイギリス公使家族と知り合い、葡萄酒やシャンパン・ウィスキー・ブランディーそして服装、マナー、音楽、会話などが彼らの生活や食事において大きな役割を果たしている事を目の当たりにした。そして必ず日本もそのような生活習慣が当たり前になると考えたのだ。信治郎が、客船三池丸の中で飲んだ国産の飲み物は炭酸水である。

  「平野水は日本の炭酸水のはじまりと言われ、神戸から近い兵庫の平野鉱泉から汲んだもので、主に居留外国人むけに製造販売されていた高価な炭酸水だった。」
   
 と、『琥珀の夢』には書かれている。

 兵庫県川西市の平野鉱泉には宮内省の御料品工場があって、その払い下げを受けた三菱商会が1884年(明治17年)「平野水」を販売し、その後、鉱泉の採取権を取得した明治屋が1889年(明治22年)に「三ツ矢印平野水」を売り出した。年代からすると信治郎が飲んだのは、おそらくこの三ツ矢印平野水である。明治政府が海外の賓客に炭酸水を提供するために、依頼を受けた英国人が良質な炭酸水の水源を平野で発見したことが始まりであった。ちなみに「三ツ矢印平野水」が三ツ矢サイダーのルーツであることは言うまでもない。宝塚でウィルキンソンが1890年(明治23年)に売り始めたのが「仁王印ウォーター」、本格的に炭酸水を販売し始めるのが1900年代初め。有馬鉱泉が有馬サイダーを売り出すのが1908年(明治41年)である。有馬や宝塚は古くから温泉が有名なのだが、この温泉には炭酸が含まれていて、温泉名物として炭酸煎餅が売られていた。有馬や宝塚、平野の山は天然炭酸水の湧くところだった。
 三ツ矢印平野水の販売当時の宣伝文句には、飲料として喉の渇きを癒すだけでなく、洋酒に混ぜて飲むと一層美味しく飲めることや、食物の消化を促進し、喉・気管・胃腸の諸症状を抑える効果があることが、書かれていたという。もっとも、炭酸水は日本人の口にはなかなか馴染まず、砂糖を入れたラムネやサイダーに変わっていった。1907年(明治4年)には三ツ矢平野シャンペンサイダーなるものが販売されたのだが、これは砂糖を高温で加熱したカラメルを混ぜて、炭酸水を茶色に着色したものであったという。

 立石勝規は『なぜ三ツ矢サイダーは生き残れたのか』に、夏目漱石が炭酸水を愛飲していたこと、そして漱石はロンドン留学で炭酸水を知ったと、次のように書いている。
 「ヨーロッパで飲料水といえば、今も昔も炭酸水である。漱石も留学中、炭酸水をよく飲んでいたであろう。彼は、当時、炭酸水に慣れていた数少ない日本人だった。もう一つの理由は、ロンドン留学中に神経衰弱が原因であった胃弱ではないだろうか。ヨーロッパでは当初、炭酸水は薬として売り出されており、宣伝された効用の一つが胃弱だった。漱石にとって炭酸水は、喉を潤し、胃弱を治す一石二鳥の存在だったことになる。」
 漱石は1910年(明治43年)に二ヶ月ほど「胃、常ならず。」として、修善寺で療養をし、「修善寺大患日記」にその重い病状や食事・来客のことを細かく記している。その中に炭酸水系のお菓子、ソーダビスケットを好んで食べたことが書かれている。今では家庭でも炭酸水ができるようになった。漱石に最新の家庭用ソーダメーカーをプレゼントしたらきっと喜ばれたに違いない。

 ソーダメーカーで作った強めの炭酸水をコップに注ぐと、コップの中で沢山の泡が我先に湧き上がっていくのが見える。勢いよく駆け昇っていく泡を見ていると、ひたすら真剣に自分の思いに向かって突き進む明治の人たちの姿と重なってくる。『琥珀の夢』では、鳥井信治郎や小西儀助を始めとして松下幸之助、中山悦司、小林一三、高崎達之助、山本為三郎、江崎利一などの関西の産業人たちの名前が出てくる。明治を駆け抜けた彼らも、坂の上の雲を目指して新しい日本を作っていったのである。炭酸水を口に含むと泡の中の二酸化炭素が炭酸となって口中に強い刺激を与える。まるで明治の人たちに叱咤激励されているかのようである。

●伊集院静『琥珀の夢 上・下』集英社 2020年・・・「そこで私は初めて鳥井信治郎さんから、よくきたと迎えられ、温かい大きな手で頭を撫でられたことを今でもはっきりと覚えております。坊、気張るんやで、と励まされた時の、信治郎さんの笑顔が、今も目に浮かびます・・・」松下幸之助が鳥井信治郎に初めて会った時の様子が、この本に書かれている。
●立石勝規『なぜ三ツ矢サイダーは生き残れたのか』講談社 2009年・・・「炭酸水の最大の存在価値は長期間、腐敗しないことにある。炭酸水そのものが殺菌力を持っているからだ。」と書かれており、長い航海をする船には必ず積み込まれていた。ペリーの黒船にも積み込まれていて、幕府の役人が炭酸水を飲んでびっくりしたという話も伝わっているという。
●夏目漱石「修善寺大患日記」・・・平岡敏夫篇『漱石日記』岩波書店 2019年に収録。

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