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42. 噴水の勢いで箱空を飛び

イサム・ノグチは彫刻家だが、1970年(昭和45年)の大阪万博の時には、噴水のデザインもしていた。噴水というよりも、水と金属を使った彫刻だったのかもしれない。

42.噴水の勢いで箱空を飛び

 前の万博の時に、イサム・ノグチがデザインした噴水は不思議だった。四角い箱が空中に浮いて、その箱から水が激しく流れ落ちていた。水を噴き下ろしながら箱が空に向かって飛び上がって見え、鯉の滝登りのようだった。高校生の私は「こんな噴水もあるんだ。」とびっくりしたことを覚えている。今でも、太陽の塔の北側の池にその形を見ることができるが、水を出していないので全く忍びない姿になっている。岡本太郎の太陽の塔では内部に生命の樹を復活させているのだからイサム・ノグチの噴水にも水の流れを復活してもらいたいと思っていたら、噴水として再生させる計画があるというので楽しみにしている。近い将来「タロウの生命の樹登り」の近くに「イサムの鯉の滝登り」を見ることができるかもしれない。

 イサム・ノグチの噴水は斬新なデザインだったが、皇居前の和田倉にはオーソドックスだが荘重な噴水がある。1961年(昭和36年)に上皇陛下のご成婚を記念して作られ、1995年(平成7年)に水路や滝が加わって再整備されたのだが、最初にできた当時は、3基の大きな噴水と周辺の小さな噴水だけだった。三島由紀夫はその噴水を題材にして「雨のなかの噴水」という短編を書いた。大人のふりをする少年と大人のような少女の話で、私は「こんな三島由紀夫もあるんだ。」とびっくりしたものである。コミカルとも思えるようなオチのある小説だった。別れ話をする。「そのためにだけ少年は少女を愛し、あるいは愛したふりをし、そのためにだけ懸命に口説き」そして、丸の内の喫茶店で少年は少女にいよいよ「別れよう」と言う。少女の大きな目。「そこから一せいに涙が噴出したのである。雅子はすすり泣きの兆候きざしを見せたわけでもない」そして二人は雨の中を歩く。泣く兆候ではないというのが伏線なのだが、読んだ時には気づかない。少女の涙の噴出を見て、少年は噴水を思う。二人は雨の中を和田倉噴水公園へ行く。「中央のはひときわ巨きく、左右のは脇士きょうじのようにいくらか小体の、三つの噴水を眺め続けた。」少年はさっき「別れよう」と言ったことを再度告げるのだが、少女は「へぇ、そう言ったの? 聞こえなかったわ」それを聞いて少年は衝撃で倒れそうになる。「だって・・・それじゃあ、何だって泣いたんだ。おかしいじゃないか」少年は少女が泣いたと思ったが、少女は涙を流しただけだという。「何となく涙が出ちゃったの。理由なんてないわ」少年が長年「夢にみてきた事柄」は、少女の理由のない涙と降り頻る雨の中、噴水のように噴き上がって見事に落ちていったのである。何だか涙と雨と噴水という水にちなんだ洒落た三題話を読んでいるようだった。そのあと二人がどうなったのかは書かれていないのだが、大人のふりをする少年と大人のような少女は、何事もなかったようにそのまま付き合い続けたのではないだろうか。

 ローマの街角に、クァトロ・フォンターネという噴水がある。クィリナーレ通りとクァトロ・フォンターネ通りの交差点にある4つの建物の各コーナーの壁に入り込みを作って嵌め込まれている。四つの建物のうち一つは、サン・カルロ・クァトロ・フォンターネ聖堂で、バロック建築の代表的な建物として有名である。この聖堂の素晴らしさは多くの人が語っているが、私が興味深いのは4つの建物には何の関係もなく、一連の彫刻とそれに付随して噴水が作られていることである。1585年から1593年にかけて教皇シクトゥス5世の命で作られたのだが、このシクトゥス5世はローマの大改造をおこなった人で、オベリスクや広場、道路を整備し、バロック都市ローマの骨組みを作った人なのである。古代遺跡から掘りだしたものやエジプトから運んだものを安易に市内の各所に設置をしたそうだが、今ではそれもローマを劇場都市たる所以にしているのだから批判は当たらないかもしれない。クァトロ・フォンターネもその一つで、古代遺跡から4つの彫刻をこの交差点の建物の外壁コーナーに移設し、自ら再整備したフェリーチェ水道から水を引いて噴水を作ったのである。ローマには多くの噴水があるが、このクァトロ・フォンターネは墳水というより可愛い流水という言葉がふさわしいかもしれない。それでも、この可愛い流水と彫刻は交差点に自然な一体感を作り出し、ローマをローマたらしめているのである。

 噴き出す水、湧き出す水、流れ出す水。自然界の水の動きに神の力を感じ、それを人工的に作り出すことで力を得ようとしてきた人間が、技術や美に目覚めたところから噴水の意味は変わってきたのだろう。落下する滝、寄せては返す波、震動からくる津波、緩やかな波紋、川の流れや澱み、雨や雪、氷など水はさまざまな性質を持つ形状に変化する。不思議な力を持つ水。水と折り合いをつけることは、自然と折り合いをつけることでもある。金沢の兼六園には動力を使わない噴水があって、噴き上げる高さは自然任せである。水面の高低差を利用して水が噴き上がっているのだが、自然の風景を見て思い付いたのだろうか。1861年(文久元年)にできたというから約160年前である。犀川の水を引いて、その水が兼六園で水景として使われ、金沢市内に流れて街に品格と潤いをもたらしている。金沢は水とうまく折り合いを付けている。

●三島由紀夫「雨のなかの噴水」 自薦短編集『真夏の死』新潮文庫に掲載 1970年

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