47. 湯けむりを心の傷に吸い込みて
飛行機の時刻表を見ると、伊丹空港から但馬空港まで35分と近い。空港ロビーの写真には、90数年前に城崎上空を舞った水上飛行機が飛んでいるかの如く展示されている。「城崎第一号」と呼ばれた飛行機で、円山川が飛行場だった。城崎はいうまでもなく温泉や蟹で有名だが、今から100年前、1925年(大正14年)5月23日午前11時9分にこの街を地震が襲った。北但大震災である。全死亡者数が428人で、そのうち城崎の死亡者が272人だったというから約63%は城崎の人だった。震災後の写真を見ると街の情緒の一つであった大谿川沿いの街並みが全く消失しており、見る影もない無残な姿となっている。お昼の支度時ということもあり、多くの女性が倒壊や火災で亡くなったそうである。『北但震災誌』は、
「六箇の温泉中地藏湯の一部を残して倒壊焼失し無慙にも破壊された浴槽には湯氣のみが無常に立ち上がりて寂莫荒涼の中に轉た昔日の俤を偲ばしむるのみ」
と、その悲惨な姿を書き留めている。震災前の風景は、1913年(大正2年)の『城崎温泉誌』に、
「渓流を夾んで軒を連ね、樓を構ふ、或は二曾、或は三曾、瀟灑典麗、錯絡參差の間、温泉處に湧出す、(中略)五十餘の大小旅館は浴場の各附近に甍を列べ、料亭、雑貨店等其間を點綴す」
と書かれている。10年ほどかけて外湯を中心とした震災前の風情を取り戻していったというから、多くの人々の努力に頭がさがるの一言である。1935年に、水上飛行機を大阪まで飛ばした気持ちがヒシヒシと伝わってくる。復活の狼煙だったのだろう。
志賀直哉が大きな事故に遭って養生のために城崎に滞在したのは1913年(大正2年)のことである。その12年後に地震が城崎を襲ったわけで、志賀直哉と交流があった方も亡くなったのではないだろうか。1995年(平成7年)阪神大震災の朝、家が並の地震より激しく揺れ、ベッドから飛び起きたのを思い出す。幸い大きな被害はなかったのだが、少し時間が経って最寄駅の近くの住宅が倒壊し、死亡者が出たという話を聞いて再び恐怖が襲った。志賀直哉も、自らが大事故に遭って九死に一生を得たわけだから、震災にあった城崎と城崎の人に思いを馳せたに違いない。震災前にも城崎を訪れていたようだが、震災後にも馴染みの旅館を訪れている。さぞかし、城崎の様子が気になったのだろう。『暗夜行路』の中でも、大山に行く主人公を途中で城崎に立ち寄らせている。
「城崎では彼は三木屋というのに宿った。俥で見て来た町の如何にも温泉場らしい情緒が彼を楽ませた。高瀬川のような浅い流れが町のまん中を貫ぬいている。その両側に細い千本格子のはまった、二階三階の湯宿が軒を並べ、眺めは寧曲輪の趣に近かった。又温泉場としては珍しく清潔な感じも彼を喜ばした。一の湯というあたりから細い路を入って行くと、桑木細工、麦藁細工、出石焼、そう云う店々が続いた。殊に麦藁を開いて貼った細工物が明るい電燈の下に美しく見えた。」
暗夜行路は、1921年から1937年の長きに渡って執筆されたので、最後の方に登場する大山行きは1937年に近い頃に発表されたのだと思う。北但大震災から12年が経過したその頃には、前述した『城崎温泉誌』の風情に戻っていたのである。志賀直哉は城崎温泉を随分気に入っていたようで、『城崎町史』によれば、記録に残っているだけで震災前に9回、震災後に4回、合わせて13回城崎を訪れているという。
志賀直哉と城崎温泉との関係も含め、27人の作家と温泉の深いつながりについて書かれたのが、草彅洋平の『作家と温泉 お湯から生まれた27の文学』である。これを読むと、どうもこの27人は地中深くにあるエネルギーを温泉からもらって、それを文章にするという能力を持っていたのだとあらためて思った。頭から爪先まで体の全てに、穏やかに静かにエネルギーが吸収されるのである。彼らはそういう特別な肌を持っている。川端康成は温泉の匂いが好きだとも言っているから、鼻からも吸収したのだろう。「志賀直哉と城崎温泉」のほかに「折口信夫と浅間温泉」「吉川英治と温川温泉」など、作家と温泉の興味深い関係が綴られている。
「横尾忠則と草津温泉」では、横尾忠則がインタビューに答えて、
「先にマグマの話をしたけれど、温泉から感じるのは、水ではなくて火のエネルギーなんだね。これが創造のエネルギーに結びついていて、これからのぼくの絵は火がテーマになると思う。」
と言っている。温泉の効能の一つに転地効果があるが、一般的には100キロ以上離れたところで4〜5日は滞在するといいらしい。遠方で、かつ1泊や2泊でなく少し長めに滞在して、物事を考える時間を作らないと、火のエネルギーを吸収できないのかもしれない。昔、熱の移動は、伝導と対流と放射の3つあると習った、熱は高い方から低い方へと移動するのだが、単に熱が伝わるだけでは、私のように「あーー、いい湯だなー。」と言うだけである。エネルギーを受けて、蓄養して醸成し発露する力が必要なのである。27人の名作誕生には、温泉が一役かっているのは間違いない。
●『北但震災誌』 兵庫縣 1926年
●『城崎温泉誌』 城崎溫泉事務所 1913年
●『暗夜行路』 志賀直哉 雑誌『改造』に1921年(大正10年)1月号から8月号まで前編、1922年(大正11年)1月号から1937年(昭和12年)4月号まで断続的に後編を発表。志賀直哉唯一の長編小説である。
●『城崎町史』 城崎町史編纂委員会編 1988年
●『作家と温泉 お湯から生まれた27の文学』 草彅洋平 河出書房新社 2011年