見出し画像

【番外編】やっぱり美味しい! 「南無アジフライ」

 7月の終わりに、鯵の水揚げ量日本一を誇る長崎へ行った。鯵は、生はもちろん、煮ても、焼いても、揚げても、さらには叩いても美味しい。特に、暑い夏は鯵の美味しい季節でもある。私たちには身近な鯵だがヨーロッパの人たちはあまり食べないらしく、日本人が食べる鯵の不足前たらずまいはヨーロッパから輸入されている。スーパーなどで売っている鯵の開きの多くはドーバー海峡で獲れた鯵だという。日本人は知らぬ間にはるか彼方から運ばれたヨーロッパの鯵を食べているのである。しかし、今日ばかりは日本の鯵、しかも長崎県は松浦の鯵を食べなければならない。

バラモン食堂へ向かう
 
浦上天主堂から戻る途中、タクシーがホテルに近づいたところで浜町のアーケードを横切った。話好きの運転手が「小さい頃はですね、『町へ行くから、はよ、洋服ば着替え。』と親から言われとったですよ。」と、話してくれた。町と言えば百貨店もある浜町商店街だったそうである。他所行きの服に着替えて買い物や食事をする場所だったのである。今じゃサンダル履きでも行けるようになってしまって、昔の活気は無くなってきたとも教えてくれた。ここまでくると新地中華街もすぐそこである。最近、駅やその周辺には話題となる大きな施設ができて長崎の街が変わってきているのだが、長崎の昔の繁華街はこの辺りだったのである。浜町を過ぎてすぐのところに、アーケードこそ無いがちょっとした商店街がある。万屋町という。いろいろな商家が集まってなんでも売っていたので、この名前がついたのだろう。商店街のそばに川があり、その下流には船宿があったり魚市場があったりして随分と栄えたようである。江戸時代半ばには、長崎くんちで「鯨の潮吹き」を諏訪神社に奉納したというから、裕福な商家がたくさん集まっていたに違いない。そんな万屋町の中にバラモンという名前の食堂がある。バラモンと聞いて古代インドのバラモン教と関わりでもあるのかと思って店の外を見回したが、特にインドらしい雰囲気はない。この店で松浦産のアジフライを食べさせてくれるとの話なのだが、店の名前とはどうもそぐわない。今風の小洒落た町の洋食レストランという感じである。

万屋町のバラモン食堂

時間は午前11時過ぎ。もうオープンしていたので、恐る恐るガラスの扉を開けて中に入った。先客が一人いた。うどんを食べていた。うどんもあるのだ。ますます古代インドとは関係なそうである。可愛らしい女の子が、「カウンターへどうぞ。」と言ってくれた。カウンターの上のメニューを見て、インド料理ではないことがはっきりわかった。誤解のないように言っておくと、インド料理が嫌いなのではなく、今日はアジフライを食べるという感覚情報が、すでに私の中枢神経に流れ込んでいるのである。メニューにはアジフライ定食の他に、サイコロステーキ定食やハンバーグ定食、刺身天ぷら定食などが写真付きで並んでいた。アジフライ定食850円の文字の上には、フィレ(半身)3枚が盛り付けられた写真と、期待通り松浦産アジフライとの書き込みがあり、写真の下には自家製タルタルソース100円とあった。迷わずアジフライ定食と自家製タルタルソース、そしてビール中瓶を注文した。先にきたビールを飲みながらメニューをじっくり見ると、サイコロステーキは五島牛を使い、ハンバーグは五島牛と五島豚の合い挽き、天ぷらには天草産車海老や対馬産穴子といった文字が並んでいた。長崎近海の海の幸や五島の美味しいものを食べさせる店なのだ。ということは、先客が食べていたうどんは五島うどんということか。ますますバラモンというのはなんだろうということになるが、そうこうしているうちに

「お待ちどうさま。アジフライ定食です」

 の声とともに、松浦産アジフライがカウンターの上に乗った。玄界灘に面した松浦は長崎から車で2時間、電車だと3時間くらいの距離にあり、近年「アジフライの聖地」を宣言している街なのである。その聖地から運ばれてきた鯵なのだから、聖火のようなものと言っていいのかもしれない。多くの人の手によって、松浦から長崎までリレーされ、この店で捌かれフィレとなって小麦粉や卵を纏いパン粉を身につけて、私のために揚げられたのである。明るく清々しい狐色に揚がった3つのアジフライのフィレは、千切りキャベツの上であたかも3本のトーチがひとつになり、美しい炎となって燃え上がっているかのようであった。トレイの上ではご飯と味噌汁とお漬物、ひじきの小鉢、さらに長崎生まれのウスターソースとして有名な金蝶ソースの小瓶、特別ゲストの自家製タルタルソースといった面々が主役のアジフライを取り囲み、お昼ご飯の開始を今か今かと待っているのである。

松浦産のアジフライ定食


小説に出てくる鯵
 
鯵は古くから日本人の食生活に馴染んだ魚で、文豪たちも鯵の渋い料理を小説に登場させている。アジフライ定食を食べる前に、鯵の世界に浸ってみる。
 谷崎潤一郎の『猫と庄造とふたりの女』には、かなり重要な役どころで鯵の二杯酢が出てくる。鯵の二杯酢、つまり鯵の南蛮漬けである。ご存知の通り、南蛮漬けは小魚を素揚げして、酢と醬油などで作ったタレに漬け込んで頭や骨も一緒に食べるもので、南蛮人が長崎に持ち込み、長崎から日本に広まった料理である。谷崎は二杯酢と書いているが、味醂などを加えて三杯酢で食べる人もいる。酢の酸味と醬油味が独特の旨味を引き出し、酒のつまみにもなるしご飯のおかずにもぴったりで、大人好みの料理である。昭和の初め、阪神間では魚の行商人が小鯵を売りに来ていて、安価で手に入ったようである。谷崎は次のように書いている。

 「阪神電車の沿線にある町々、西宮にしのみや蘆屋あしや魚崎うおざき住吉すみよしあたりでは、地元の浜で獲とれる鰺やいわしを、『鰺の取れ取れ』『鰯の取れ取れ』と呼びながら大概毎日売りに来る。『取れ取れ』とは『取り立て』と云う義で、値段は一杯十銭から十五銭ぐらい、それで三四人の家族のおかずになるところから、よく売れると見えて一日に何人も来ることがある。が、鰺も鰯も夏の間は長さ一寸ぐらいのもので、秋口あきぐちになるほど追い追い寸が伸びるのであるが、小さいうちは塩焼きにもフライにも都合が悪いので、素焼きにして二杯酢にけ、笙莪しょうがを刻んだのをかけて、骨ごと食べるより仕方がない。」

 おそらく谷崎自身も夏から秋にかけて行商人から小鯵を買って、二杯酢で食べたのだろう。ここでは、素揚げではなく、素焼きと書いてあるから揚げるよりは手軽に作れたのかもしれない。

 「一匹やっては一杯飲んで、『リリー』と叫びながら次の一匹を摘まみ上げる。皿の上には約二寸の程の長さの小鰺が十二三匹は載っていた筈だが、おそらく自分が満足に食べたのは三匹か四匹に過ぎまい。あとはスッパスッパ二杯酢をしゃぶるだけで、身はみんなくれてやってしまう。」

 ちなみに、リリーは猫の名前である。自分の口にしたものを、猫とはいえその口に入れるというシーンから、猫に対する庄造の深い思いが感じられる。それはさておき、焼いた香ばしさに醤油味と酸味が染み込んだ鯵は、「スッパスッパ二杯酢をしゃぶる」だけでも美味しそうである。子供の頃、父親が食べていた蛸と胡瓜の酢の物を一口食べて、大人はずいぶん酸っぱいものを食べるのだなとびっくりしたことがあった。そんな私でも、仕事帰りに居酒屋で酢の物や酸味の効いた鯵の南蛮漬けを食べるようになった。甘味は子供の頃から馴染んでいるが、酸味も体にある種の快感を与えてくれることが大人になって分かったのである。大袈裟に言えば、居酒屋の鯵の南蛮漬けが、酸いも甘いも噛み分けるということを教えてくれたのである。

 酸いも甘いも噛み分けながら、盗め人つとめにんに厳しく対峙したのは池波正太郎が書く長谷川平蔵である。平蔵の活躍を記した『鬼平犯科帳』には、白焼きにした鯵の煮びたしが登場する。調理法は載っていないが、白焼きとなっているから、谷崎と同様に鯵を素焼きしているのだろう。大きさは中位よりは少し小さめの鯵二匹くらいが絵になりそうである。この頃、まだあまり味醂も砂糖も一般には出回っていないはずだから、醤油と酒だけの出汁だったのではないだろうか。焼き上がった鯵をこの出汁で味が染み込むまで煮込み、生姜と青葱を添える。膳を前にして、おまさと大滝の五郎蔵の会話が交わされる。

「大滝の五郎蔵は、暑熱の日中を変装して江戸中を歩きまわり、
あやしい奴・・・』
に、目をつけていたのであろう。
おまさは、五郎蔵が好物の紫蘇しその葉をきざみこんだ瓜揉うりもみと、白焼しろやきにしたあじを煮びたしにしたものを膳へ乗せ、これも五郎蔵の好みで、冷酒を茶わんにんで出した。裏手で行水ぎょうずいを使った五郎蔵が、さっぱりとした浴衣ゆかたに着替え、
『宗平とつつぁんは、もう寝たかえ?』
『ええ、先刻さっき。このごろは暗くなると、すぐ眼がくっつきそうになると言いますよ』
『それだけ爺つぁんの躰が、よくなったのさ』
『そうですね・・・』
『おまさ・・・』
『え?』
『どうしたのだ、お前。妙に浮かねえ顔をしているじゃぁねえか』」

 わずかな灯りのある小さな部屋で、おまさと大滝の五郎蔵が差し向かう。贅沢はできないが、こざっぱりとした生活ぶりが窺える。「暑熱の日中」という言葉から季節は夏とわかる。瓜の淡い緑と刻んだ紫蘇の葉の濃い緑との取り合わせは、目にも涼しそうである。そして、旬の鯵を煮びたしにして、五郎蔵の膳に乗せる。茶わんに注がれた冷酒と行水後のさっぱりとした浴衣。心持ちとしての豊かさが感じられる描写である。鯵の煮びたしがよく似合って、江戸の落ち着いた町家暮らしの雰囲気が伝わってくる。

アジフライ定食を食べる
 文豪の記す渋い鯵料理に触れ、目の前のアジフライ定食を口にする心の準備が整った。まずは静かに金蝶ソースの蓋をあけて、アジフライのフィレのひとつにかざす。満遍なく、かつ掛けすぎないように細心の注意を払うことは言うまでもない。スパイシーな酸味が特徴である金蝶ソースは皿うどんのために開発されたらしいのだが、アジフライとの相性もいいに決まっている。ひじきやキャベツ、ごはんや味噌汁、漬物の視線を浴びながら、気を引き締めて金蝶ソースをかける。そして、箸袋から箸を取り出して右手に持ち、体制を整える。箸でアジフライのフィレを挟んで口にはこぶ。衣のカリカリが歯に当たり、揚げ物を食べられる幸せが体を包みこむ。ビールを飲む。続けて、二口、三口とアジフライを食べる。ソースがかかったややしんなりした衣の部分と、かかっていない衣の部分が口の中で程よく混ざり、その得体の知れないカオスの中でアジが身を逸らして跳ね躍っている。あたかも、アジが口の中で後方屈伸宙返りをしたかのようである。再びビールを飲んで、ご飯とひじきを食べ、味噌汁を飲む。2つ目は自家製タルタルソースをたっぷりとつけて食べる。当たり前だが、同じアジフライでもソースで味が変わる。自家製タルタルソースは少し酸味があって細かく刻んだ野菜がたくさん入っている。中央アジア発祥と言われるタルタルソースと、松浦のアジフライの一組み合わせは、高原と海洋の地球規模の出会いものである。口に入れると、アジが難易度の高い前方宙返り2回半ひねりで喉を越え、アジア全域を宇宙から眺めるような雄大な気持ちにさせてくれる。ビールで口を清め、ご飯とひじきと漬物を食べて味噌汁を飲む。いよいよ3つ目のアジフライに取り掛かかる。金蝶ソースをかけて、さらにその上に自家製タルタルソースをのせてダブルソースがけにする。地球規模の出会いに、江戸時代に異国文化の集まった長崎のソースが加わって、頭の中の広がりは想像を超えていく。金蝶ソースの少しばかりの辛みや甘みと自家製タルタルソースの優しい酸味、それにしっかりとしたアジの身が絡み、難易度の高さに芸術的な美しさが加わった後方抱え込み3回宙返り級の美味しさである。ご飯とひじきと漬物を食べて味噌汁を飲む。目の前から姿を消し、もはや残像となったアジフライの勇姿を思い出しつつ、コップに半分ほど残ったビールをゆっくりと飲み干して余韻に浸る。ひじきとご飯と味噌汁と漬物とキャベツ、そしてビールの声援を受けて、バラモン食堂の松浦産アジフライが見事に私の胃袋に着地したのである。ブレのない見事な着地は、酸いも甘いも混ざった金蝶ソースと自家製タルタルソースが支えたと言っても過言ではない。夏真っ盛りの長崎バラモン食堂で、お昼ご飯の金メダルを味わうことができたのである。
 谷崎潤一郎も池波正太郎も、鯵の南蛮漬けや煮びたしというシンプルな料理を使って登場人物の人となりや生活ぶり、時代の空気までを表現した。もちろん作家の力は絶大だが、日本人の生活に馴染んだ鯵の存在感も力を添えていることは間違いない。縄文の時代から、色々な形で日本人に食べられ続けてきた鯵の歴史的重みは計り知れないのである。近代になって登場したとは言え、アジフライ定食も歴史的重みの一端を担っている。エビフライ定食の後塵を拝しながらも、ミックスフライ定食の仲間に加わることもなく、独自の生き方をしているのがアジフライ定食なのである。どんな時にも世の中に背を向けず、身の程をわきまえて前へ進んでいく真っ当さがその信条なのである。フィレとなってキャベツの上に聳り立つその姿には、アジフライの矜持というようなものさえ感じられる。仏教には敬意や尊敬を表す「南無」という言葉があるが、あらためて「南無アジフライ」と心の中で唱えながら私は席を立ちレジへ向かった。中瓶一本のほろ酔いに任せて、レジの女の子に「ところで、バラモンってどういう意味なのかな」と聞いたら、「元気者という意味です」と、間髪を入れずに答えてくれた。五島の方言なんだそうである。

 バラモン食堂で食べたアジフライ定食。外は暑熱だが、午後に向かって元気をもらうことができた。店を出てから再び「南無アジフライ」と唱え、心の中で合掌しながらホテルへ向かって足取り軽く歩きはじめた。

⚫︎『猫と庄造とふたりの女』 谷崎潤一郎 新潮社 2022年(初版は1951年)・・・庄造が猫を可愛がる様が、「鯵の二杯酢」を通して書かれている。もちろん主題は、猫と庄造とふたりの女の微妙な関係なのだが、鯵の二杯酢は小道具として渋い役を担っている。
⚫︎『鬼平犯科帳10』 池波正太郎 文藝春秋 2006年・・・「むかしなじみ」という表題の話に「鯵の煮びたし」が出てくる。酸いも甘いも噛み分けた長谷川平蔵が、老密偵・相模の彦十に温かい情をかけるという何ともいい話である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?