アイドルの彼氏問題へのひとつの回答
※筆者が女性アイドルのオタクなので、主に女性アイドル。とくに地下アイドル想定で書いてます。
アイドルに彼氏の存在は相応しくない。なんとなくそんな風潮は間違いなくあるだろう。彼氏バレしたアイドルが、ほどなくしてグループを脱退するなんてことは決して珍しいことでもなく、不定期に現れる風物詩のごとく扱われる。
"アイドルに彼氏がいていいのか"
人権問題、フェミニズム、処女崇拝、さまざまな思想の入り交じるこの問題に、僕なりの答えをここで書こうと思う。
1.アイドルの魅力
結論から申し上げると、私はそれの存在の如何は問題ではなく、それを意識させてしまうか否かを問題と考えている。
筆者が嗜むのは、主に女性地下アイドルだ。
女性地下アイドルの楽しみ方はさまざまあるし、先日もとあるアイドルが後ろを向きMIXを打つ行為の是非を問うツイートが話題を呼んだのは記憶に新しい。
思うに、アイドル現場の魅力のひとつとは"解放"にあるのだと思う。声を張り上げたり、全身を動かして楽しんだり、一般社会秩序から肉体的に解放されることは最もわかりやすい"解放"の形であると言えるだろう。
2.解放のカタルシス
しかし、社会秩序からの解放の形態はそれに限らない。
一般社会を生きる中にはさまざまなエチケットがあり、無闇に他者に好意を伝えたり他者の容姿に(肯定的な内容であれ)言及することは、決してお行儀の良い行為とは見なされない。
ゆえに、容姿を褒めたり、好意を伝える行為が咎められることのない特典会の時間は、ある意味で解放に満ち溢れた体験であると言える。
極端な例を言えば、私物サイン特典を使えば、婚姻届にサイン(もちろん、これは法的効力を持たない)を貰うことすらできる。
別に僕はガチ恋勢というものでもないし、本気で彼女と結婚したいなどとは微塵も思っていない。それでもなぜこの行動に出たかといえば、大げさな好意の表明を行うことで、解放感を得られるからという側面があるだろう。
3.イデアのリアル
アイドル現場の魅力のひとつは"解放"にあるということと、思うままに好意を伝えられることは"解放"の一種であるとここまで話してきた。これが、僕がアイドルの彼氏の存在を感じたくない理由である。
無邪気に、軽口のように求婚して大げさに好意を伝えることが解放感を得られる行為であると述べたが、果たしてこの相手が既婚者であったら同じように軽口を叩き、解放感を得られるだろうか。
さすがに無理だ。既婚者に対して無邪気に求婚できるほど僕は狂っていない。既婚者でなくとも、既に交際相手がいるとわかってしまったら、無邪気に好意を伝えるなどできやしないだろう。
実を言えば、僕が高校生の頃に好きだった先輩がいて、結局すでにお付き合いしている方がいると知り、最後まで想いを伝えることは叶わなかったという過去がある。
だから僕は思うのだ、アイドルは、無邪気に好意を伝えられる存在であって欲しいと。ゆえに、その彼氏の存在を意識させることはあって欲しくないと。
この記事を読むあなたはどこかのアイドルのファンだろうか、あるいはアイドル自身だろうか。
こんな記事がためになるかは甚だ疑問であるが、何か得られるものがあれば幸いである。
4.補足
話は変わる。
たとえば推し(これはアイドルに限らない。声優、女優その他タレント類)が結婚したことにショックを受けるファンがいたとして、「推しの幸せを願えないのか」「推しの幸せを祝えないのか」「自分が結婚できるなんて思っていたのか」という言葉が浴びせられることもあるだろう。
実を言うと、僕も初めて推したアイドル(今はもうアイドルを名乗っていない)が、この前結婚した。
もうそれなりにいい歳っぽいし、個人としての幸せを掴んでくれたのはすごく安心できた。
推しの幸せは願っていた。推しの幸せを祝えた。別に自分が結婚できるとも思ってはいなかった。
ただ、今までのように軽口で求婚したりは憚られるようになってしまった。
それでも、代わりに得られたものがある。それは──
これを言う権利だ。
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