体育会系の育成(根性論、精神論、先輩風)が時代遅れになっている件
こんにちはアルゴです。
私が昔勤めていた職場の先輩(元・上司)に、
「(´ε` )オレの背中を見てついてこい!!」
「(´ε` )仕事は気合だ!元気があれば大抵のことは乗り越えられるぞ!」
というスタイルの人がいました。今でも、その人の仕事ぶりを思い出すと、尊敬に値する素晴らしい人です。その人はもう60歳近くで、風の噂では介護の道を離れてしまったようですが、今でも私の憧れでもあります。
今日はその体育会系の上司と、今の時代にその育成が通用しなくなってきている点についてお話してみたいと思います。
私の尊敬する体育会系の元上司
よく、口ではエラそうなことを言いつつ何もしないような管理職もいますが、私の尊敬するその上司は口だけではなくて、
●責任者として、しっかり事業所・部署の売上を伸ばして…
●施設内でどんどん昇格していき…
●デスクワークだけじゃなく、何歳になっても現場の最前線にたって行動する…
私や周りの職員のお手本になっていました。部下の男性職員は影響を受け、みんな体育会系の感じになっていきましたね(笑
私は20代前半で介護の世界へ転職し、そんな環境で長い間やってきたので、体育会系の根性論は好きなのです。
プロ野球でも星野監督のファンでしたし。
そういう先輩は厳しく、そして飲みの席では優しく奢ってくれました。人間味があって、とても良いじゃないですか。
若い年代の価値観の変化(自己を認めてほしいという欲求)
2000年代後半からTwitterが日本へ上陸し、その後SNSが爆発的に普及していきました。
日本のみならず、世界中の人と即時につながることができ、多種多様な考え方について触れる機会が多くなりました。
ネット社会ではイヤな人は簡単にブロックできるし、見たくない情報にはフタができます。
さらに、今の10代、20代は子供の頃から一人1台のスマートフォンを与えられ、若いうちから触れる事のできる情報量が多くなり、情報を送受信できるコスパが40代〜50代の人たちとは比べ物にならないほど良くなっています。
そして、このようなITの成長、生活環境の変化に伴って、価値観の多様化がより加速化しているように思えます。
1、2年ほど前にアップされた鴨頭さんのYouTube動画で語られていたのですが、価値観を年代ごとに示すと以下のような感じになるそうです。
●70代より上 → 食べ物
●40代〜60代 → お金、仕事
●20代以下 → 自己の存在
これをちょっと掘り下げ、分析してみましょう。
70代より上の世代の人たちは、戦争を経験しています。
戦中〜戦後で食べ物がなかった時代に生きてきましたから、食べ物がどれだけ大切なものかという事を知っています。
介護業界で働いていると、お年寄りから「これはお礼よ」と言って、飴玉やお菓子を貰うことがありますよね…。
たしかに70代以降の人は、「食べ物をもらったら人は嬉しい」という価値観が染み付いている感じもします。
40代後半〜60代後半は団塊の世代、バブルの世代。
彼らが生きている時代はすでに食べるものには困っていませんでした。
そのような時代で重視されるのはお金でした。
『仕事=美徳』という価値観もあり、働く男はカッコいい!という考え。
景気が良く、仕事をすればするほど給料が貰える時代だったので、働くことが好きという人も多いのです。
残業を当たり前のようにやって悪意を感じない、それを下に世代にも強要するケースがあります。
この記事の主題である、『体育会系の育成法』も、この世代の考え方なのです。
そして、20代以下の価値観は『自己の存在』です。
食べ物もお金も苦労しない時代です。苦労しない・・・というのは語弊があるかもしれませんが、職を失っても失業保険がありますし、最悪、生活保護を受ければこの日本では餓死することはありません。
そういった中で重視されるのは、『自己の存在』です。
介護業界で働く方であれば、マズローの欲求段階説についてはご存知かと思いますが、人間の欲求は最低限〜下位の欲求が満たされていればいるほど、より上位のぜいたくな欲求を求めるようになります。
下位の欲求が当たり前に満たせる現代では、
「誰かに認めてほしい」という欲求が強く現れるのは自然なことでしょう。
体育会系の育成法(根性論、精神論)は通用しなくなってきている
私が中学2年の頃、サッカー部だったのですが、ある日、先輩数人に部室の裏に呼び出され、タコ殴りにあいました。
理由はややこしいので深く語りませんが、私に全く悪気がなくても、先輩のうちの一人がそれを誤解して聴き取って、ブチ切れたというわけです。
私は誰に密告することもなく、怪我をするだけでその場をさりましたが。
まぁ、それはさておき、そういった事って昔は当たり前のように行われていたんですね。
私は部活の先輩だけじゃなく、担任の体育教師からも普通に顔やアタマを殴られていました。
今、ちょっとでもそんなことをやったら大問題になってしまいます。
体育会系の育成法は何も学校生活だけじゃなく、現代の若い社会人には通用しません。
もちろん、会社組織の中で、実際に同僚を殴ったりしたら今も昔も問題になるのは変わらないでしょうけども、現代は実際に手をあげなくても、記事の冒頭でお話したような、
「俺の背中を見てついてこい!」
・・・的な育成方法に、今の若い人はそっぽを向く時代です。
「やる気がないなら辞めて良いんだよ」
・・・と優しく言ったら、簡単に見限って辞めてしまいます。
私は管理職として、自分より遅く入職した若い人が、そういった上司の説教、指導に耐えられないという理由で辞めたケースは幾度も見てきました。
若い人が辞めていくので、職場に残っているのは古株です。そして、職場の高齢化が促進します。
それは若い人たちほど、『自己の存在を認めてほしい』という価値観が強いからなんでしょうね。
年下に敬意を払うことの大切さ
キングコング西野亮廣さんの著書『革命のファンファーレ』の冒頭で次のような一文があります。
<引用>
「最近の若いヤツは…」という苦言は、それこそエジプトの古代遺跡にも刻まれていたくらい手垢のついた言葉で、おそらく人類誕生時から今までずーっと言われ続けていることだろう。
もし、その言い分が正しければ、理論上、人類なんて、とっくに絶滅している。
スケールダウンを繰り返している生物が生き残れるわけがない。
年配の人たちの考え方では、
「(`Д´)俺がこの職場の先輩だ。俺が仕事ってモンを教えてやる!」
的な考えが自然です。
これは、自分たちが若い新人より能力的に優れているという前提をもっている傾向があります。
若い人たちはスマホの使いこなし方も、情報の収集、情報の発信、仮想通貨の取り扱い・・・多くが年配の社員よりスマートにこなします。
それだけが優秀かどうかの優劣を決めるものではありません。ですが確実に言い切れることがあります。
自分自身より年齢が若いというだけで相手に先輩風をふかし、『俺の背中を見てついてこい的な考え方』では、今の時代、若い人たちは全くついてこないということです。
彼らが持っているのは自己を認めてほしいという欲求、それを大切にしてあげたほうが良いです。
年下に敬意を払う、これはとても大切なことで、私はどんなに新人だろうが年下だろうが、必ず『さん』付で呼びました。他の職員は『くん』だったり呼び捨てにしたりしてましたが、私は自分の部下、後輩を見下したり、手をあげたことなど一度もありません。
世代論よりも大切なこと
年配の職員は「最近の若いやつは・・・」と言う一方、
若い人たちの中にも年配、団塊世代の職員を
「だから団塊は使えねぇんだよ。一番仕事しない世代だ、あの老害どもが!」
というようなことを言っていた職員もいました。
こういった世代論は、やっぱり今後も無くなりそうにないですね。私達30代、40代がもっと年をとっても、言われ続けるでしょう。
ただ、そんなことを言うよりも、どんな相手でもまず敬意を払うことがやっぱり大切です。
体育会系の指導というのは、若い世代が自分より下ととらえている象徴のように感じます。
※マンガ『社畜のトリセツ』より
どの世代にも素晴らしい考え方はいるし、怠慢な職員もいるでしょうから、年下世代を見下しても、年上世代を馬鹿にしても、あまり意味がありません。
ただ、ここまで書いてやはり体育会系の考え方というのは、私は嫌いになれません。むしろ好きです。
10代、20代とそんな先輩の下でビシバシ鍛え上げられましたが、良いモノもたくさん得られたからです。
しかし、そういった考え方が受け入れられる社会は終わっていくということを認めざるをえません。
時代時代にあった考え方、相手の価値観・存在に敬意を払い、慎重に行動しなければならない時代になってしまいましたね。