無意識に持っている枠、既にある解りやすさに落とし込もうとするような軽率な手つき、考えの無さを見逃さなかった 飯岡幸子(撮影監督/『すべての夜を思いだす』『偶然と想像』)
佐藤さんは、生徒たちが撮ってきた映像に対して、こうしなさいああしなさいということを全く言わない人でした。
初めてカメラを持ったような私達が撮ってきた、振れていたりピントが外れていたり、そもそも何を撮っているのかすらよくわからないような映像を、どうやら佐藤さんは本気で見ていた。そして、撮った本人も気が付いていないようなその映像の面白さや美しさを見逃さず、同じように、撮り手やドキュメンタリーという形式が無意識に持っている枠、既にある解りやすさに落とし込もうとするような軽率な手つき、考えの無さを見逃さなかった。
それは、教えるのではなく同じ作り手としてほんとうのことを言う、ということだったのだと思います。そんな、教えてなんかいる暇はないとでも言うような佐藤さんの真剣さは、厳しくて、ユーモアがあって、対等で、教わってなんかいる暇はないのだと気付かされるものでした。ほんとうの意味で愉しかった。
佐藤さんが見せてくれたそんな在り方が、気づけば撮り続けて来てしまった私が持っているほぼ唯一の、途切れない支えのように思います。
飯岡幸子(撮影監督/『すべての夜を思いだす』『偶然と想像』)