ALFA+アルファ〜アルファ・インターナョナル
②ビリー・ヴェラ&ザ・ビーターズ
Text:金澤寿和
前回に続いて、アルファ・ミュージックが世界戦略の一環としてL.A.に立ち上げた現地レーベル、アルファ・アメリカ関連のお話を。短命に終わってしまったアルファ・アメリカだが、実は意外に大きな爪痕を全米チャートに残している。1987年1月にポップ・チャートの頂点に立ったビリー・ヴェラ&ザ・ビーターズ「At This Moment」(発売当時の邦題:「もういちど…」)だ。ただしこの時は既にアルファ・アメリカはクローズされたあと。米国ではワーナー系のライノからレコード発売されていた。原盤権を所有していたアルファは、ビリー・ヴェラの要請に応じて楽曲をライセンス・アウト。それが見事に当たったのだ。
もともとこの曲は、ビリー・ヴェラ率いるビリー&ザ・ビーターズのデビュー・アルバム『AT THIS MOMENT』に収録され、設立直後のアルファ・アメリカからのリリース第1弾として、81年に発表。シングル・カット版としての全米79位をマークした。87年の全米No.1獲得は、実はリヴァイヴァル・ヒットだったのだ。
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ビリー・ヴェラ(本名ウィリアム・マッコードJr.)は、1944年カリフォルニア生まれ。父親がアナウンサー、母親がペリー・コモやレイ・チャールズに関わったプロ・シンガーだったことから、幼くして音楽に目覚め、10代半ばでレコード・デビュー。米北東部や南部エリアでローカル・ヒットを飛ばしたのに加え、ソングライターとしても頭角を現して、リッキー・ネルソンやバーバラ・ネルソンらにヒットを提供している。68年にはアトランティックと契約し、ディオンヌ・ワーウィックの従姉妹ジュディ・クレイとのデュエットでヒットを飛ばした。この時のプロデューサーがジェリー・ウェクスラー、アレンジがアリフ・マーディン。ヒットのおかげでアポロ・シアターに出演し、スタンディング・オベーションを受けたそうである。
70年代は苦戦したが、ドリー・パートンへの提供曲がカントリー・チャートで大ヒットしたのを機にL.A.へ拠点を移し、ビリー&ザ・ビーターズを結成。西海岸のクラブ・サーキットで積極的なライヴ活動を展開した。これが79年のことである。バンドは4管を含む10人編成の大所帯で、その多くが相応の実績を持つ中堅セッション・ミュージシャンたちであった。中には後年ブルース・ホーンズビー&ザ・レインジで活躍するギタリスト:ジョージ・マリネリJr.の名も。彼らは程なくしてL.A.界隈で話題となり、本格的なUS進出を目論んでいたアルファ・ミュージックと契約。トントン拍子でデビュー・プランが進んでいく。そのまとめ役としてプロデュースを任されたのは、元ドゥービー・ブラザーズのギタリスト:ジェフ・バクスターであった。彼は単に監督役に留まらず、準メンバー的に彼らと活動を共にし、ギタリストとしてもバンドに貢献している。
そうして生まれたのが、ここに紹介する1stアルバム『AT THIS MOMENT (ときめきの時)』だ。だがデビュー盤にして全面ライヴ・レコーディングという事実にビックリ。録音はL.A.の著名なライヴ・ヴェニュー:ロキシーで3日間に渡って行われている。もちろんメンバー全員がセッション経験豊富だからこそ可能になったことだが、アルファはUSではまったくの新レーベルなのに、その第1回リリースが新人バンドのライヴ盤というのは、極めて大胆不敵な所業だ。やはりそこにはアルファ創業者である村井邦彦の人脈と英知が生きていたに違いない。
そもそもビリー・ヴェラ自身が、30歳代後半の再デビューである。そのヴォーカルはオールド・スクールなブルー・アイド・ソウル・スタイルで、彼自身、60年代のロックン・ロールやR&Bのレコード・コレクターだったらしい。だからバックの演奏もそれ風のブラスを効かせたバンド・サウンド。つまり80年代当時のハヤリとはかけ離れた、オーセンティックな音作りを目指していたのだ。今にして思えば、お隣サンフランシスコから登場して82年からヒットを飛ばし始めたヒューイ・ルイズ&ザ・ニュースあたりの動きを、横目でこっそり眺めていたのかもしれない。
かくして世に出たビリー&ザ・ビーターズは、最初のシングル「Can Take Care Of Myself(うわさのあの子)>」を全米トップ40に送り込み(最高39位)、なかなか幸先良いスタート切った。これに続いたのが、前述「At This Moment」。この頃には東京音楽祭出場のため来日し、見事に金賞を獲得して日本での知名度もアップさせていた。ところが83年になると、アルファ・アメリカからビリーの初ソロ・アルバム『BILLY VERA』が登場。旧知のジェリー・ウェクスラーがプロデュースにあたり、伝統あるマッスル・ショールズのミュージシャンがサポート参加した。ビーターズは解散と伝えられ、一部の元メンバーたちもソロ・セッションに加わっている。おそらくビリーの持ち味を存分に発揮させるべく、アルファが戦略的にソロ名義にスイッチさせたと推測するが、如何だろうか?
ところがそのアルファが、リリースから日が経たぬうちにL.A.のオフィスを閉鎖。満足なプロモーションも為されぬまま、無情にも時間ばかり流れていった。でもビリーはその後もビーターズを維持して、クラブ・サーキットでライヴ活動を続けていた。そしてそこから次なるチャンスを手にする。NBCのプロデューサーがたまたまビリーのライヴを観に来て、「At This Moment」をたいそう気に入り、自身が関係していた人気ドラマ『ファミリー・タイズ』の劇中歌に採用。これが85~86年に繰り返しTVで流れ、それが翌年の大ヒットに繋がったのだ。これに合わせて組まれたベスト盤は、81年の『AT THIS MOMENT』、83年の『BILLY VERA』からのセレクト。日本では普通にアルファ・レコードからリリースされている。
最近オフィシャル・リリースされたリンダ・キャリエールも、日本と世界のマーケットの違い、リスナーの嗜好の差が、お蔵入りの原因の一端とされている。それだけ海外進出は難しい、というコトの現れだが、近年の世界的シティポップ・ブームを見れば分かるように、ネットというツールを間に挟むと、タイミングとニーズさえ噛み合えば、アッという間に火がつく。ネットのない時代に生まれた「At This Moment」のリヴァイヴァルは、メディア・ミックスによる再評価潮流の先駆けのひとつだったのかもしれない。