ソングライター・滝沢洋一の運命を変えた「2つのメモランダム」①
text:都鳥流星
2015年に初CD化された唯一作『レオニズの彼方に』(1978/東芝EMI)が「シティ・ポップの名盤」「奇跡の一枚」と高く評価されているシンガー・ソングライター、作曲家の滝沢洋一(2006年に56歳で逝去)。
2021年3月頃、滝沢がアルファと作家契約をしていた70年代後半から80年代初期当時に、ハイ・ファイ・セット、サーカス、いしだあゆみ、ブレッド&バターらへの楽曲を、彼に依頼していたプロデューサー・有賀恒夫へインタビュー取材を申し込んだ。ソングライターとしての滝沢が最も輝いていた作家時代を知る人物は、有賀氏をのぞいて他にはいなかったからである。
有賀氏といえば、荒井由実(現・松任谷由実)の1st『ひこうき雲』録音時に、当時19歳だったユーミンに何度も歌を録り直させて泣かせた逸話でも知られている名物プロデューサーで、噂では「鬼の有賀」と恐れられていたと聞く。
そんな有賀氏と連絡する手段を持っていなかった私は、有賀氏の運営していたHPのインフォメーション専用アドレスにメールを送付したが、どうやらこのアドレスは長年使われていなかったものだったらしい。待てど暮らせど返信はなく、私は「迷惑メールフォルダにでも入ってしまったのかもしれない」と泣く泣く諦め、インタビュー取材は断念した。
そんな有賀氏へのインタビューを掲載できないまま、日本で初めて滝沢洋一の音楽活動と生い立ちを紹介した記事は2021年4月20日、滝沢の15年目の命日に公開された。
● シティ・ポップの空を翔ける“一羽の鳥” ~作曲家・滝沢洋一が北野武らに遺した名曲と音楽活動の全貌を家族やミュージシャン仲間たちが証言。その知られざる生い立ちと偉大な功績の数々(MAG2 NEWS)
しかし2ヶ月後の5月、有賀氏から突然メールが届いた。音楽関係者を通じてコンタクトを取っていただいたおかげで、私が3月に送付したメールに気づいてくれたのである。
「有賀恒夫です。貴方のメールが、いつもと違うアカウントに入っていた為に、お返事が著しく遅れて、お役にたてずに申し訳ありませんでした。
滝沢君は、ハイ・ファイ・セットの<メモランダム>からのお付き合いでした。個人的にもよくご飯をご一緒したものです。
才能ある大好きな作曲家です。当時は、おっしゃるようにハイファイ、サーカス(いちばん多くの曲を書いてもらった)、ブレッド&バターと、ユーミン以外の私の担当アーティストのすべてに良い曲を提供してもらいました。いしだあゆみのアルバムにも有ったと思います。若くして亡くなられた鬼才に、改めてお悔やみ申し上げます」
私は、有賀氏からの突然のメールに興奮した。そして御礼とともに、いかに滝沢作品がすばらしいか、ハイファイに書いた<メモランダム>がいかに名曲かなどを書き連ねたメールを送ると、ほどなくして有賀氏から以下のようなメールが届いた。
「<メモランダム>は、ハイ・ファイ・セットの中でも大好きな曲の一つです。この曲は私が発注したものでなく、アルファミュージックのスタッフが僕に聴かせ、彼との出会いがはじまったのです」
滝沢と有賀氏とのレコーディング秘話を含む、アルファ時代に関するエピソードは、このメールのやりとりの数ヶ月後に実現することになる、音楽ライター・松永良平氏による有賀氏へのインタビュー記事に詳しい。
● ALFA RIGHT NOW 〜ジャパニーズ・シティ・ポップの世界的評価におけるALFAという場所 第六回「滝沢洋一を探して②」 滝沢洋一とは何者なのか
しかし、有賀氏のメールはこれで終わらなかった。そこには衝撃的な一言が書かれていたのである。
「<メモランダム>には当初、別の歌詞がついていました」
私は、すぐさま滝沢のご遺族にこの件を伝え、ご自宅のカセットテープを捜索していただいた。その結果、1本のカセットテープが発見されたのである。
そのテープには、こうラベルに記されていた。
「メモランダム なかにし礼・小林和子2タイプ」
(つづく)