ALFA+アルファ〜リアル・クロスオーヴァー進化論

⑪ハーヴィー・メイソン

Text:金澤寿和

 東のスティーヴ・ガッド、西のハーヴィー・メイソン。クロスオーヴァー/フュージョンの全盛期、セッション・ミュージシャンたちに熱い注目が集まる中、そのシンボルのように扱われたのが、この2人の名ドラマーだ。まさに互いに凌ぎを削っていたワケだが、ミュージシャンとしての指向性は必ずしも同じではない。軍の楽隊にいた叔父の影響でドラムを始めたスティーヴ・ガッドは、地元ニューヨーク州ロチェスターのイーストマン音楽学校でクラシックの打楽器を学んでいる。でもどちらかというと、現場主義の叩き上げというイメージが強い。彼自身、軍の楽団に在籍した時期があり、その後はニューヨークでセッションを重ねて腕を磨いてきたからだ。スタジオ・ワークを始めた頃はディスコ・ミュージックの仕事もこなし、ヴァン・マッコイのブレーンだったことは有名。ご存知のようにガッド自身は白人だが、彼が一躍有名になったスタッフは、主要メンバー全員が黒人ミュージシャン。ジャズというより、強靭なR&Bフィーリングが売りだった。

 対してハーヴィー・メイソンは、黒人ながらバークリー音楽学院やニューイングランド音楽院で打楽器と音楽理論を習得したインテリだ。L.A.に移ってジャズやポップスを含む幅広いセッション・ワークを開始しているが、73年にはハービー・ハンコック・グループに加入して名盤『ヘッド・ハンターズ』に参加し、脚光を浴びている。そして75年には、いち早く初リーダー作『マーチング・イン・ザ・ストリート』を発表。ドラムだけでなく、作曲や編曲、プロデュースにも才を発揮し、マルチな才能を持つトータル・ミュージシャンであることをアピールした。ホーン・セクションで有名になるシーウインドを発掘し、CTIからデビューさせたのもハーヴィー。他にもベテランのジャズ・シンガー:エスター・フィリップス、後にR&Bヒットを連発するミッドナイト・スターのデビュー作をプロデュースしている。日本ではリー・リトナー&ジェントル・ソウツでの活躍も有名だ。

 ちなみに、アレサ・フランクリンやボブ・マーリーの伝記映画、ミュージカル映画『ドリームガールズ』などの音楽監督を務めた音楽プロデューサー:ハーヴィー・メイソンJr.は、彼の愛息。最近はグラミー賞の運営母体レコーディング・アカデミーCEOとして活躍している。そのあたりもインテリだった父親譲りと言えそうだ。

HARVEY MASON「STONE MASON」(1985年)

 ハーヴィー・メイソンSr.は、初ソロ作以降81年まで、アリスタからコンスタントに5枚のアルバムを発表している。そのあと85年にアルファから、通算6作目にあたる『ストーン・メイソン』をリリース。その後しばらく自分名義のアルバムを出さなかったものの、アリスタ時代諸作は国内外で順次復刻され、すべてCDで手に入るようになった。ところが40年以上が経過した今も、『ストーン・メイソン』だけは再発が手付かずの状態。詳しい事情は分からないが、何か権利的な問題が横たわっているのかもしれない。でも幻のリンダ・キャリエールの初リリースが叶おうとしている今、このアルバムも蘇ってしかるべき、だと考えている。

 では何故、ハーヴィーがアルファからアルバムを出すことになったのか? その経緯を探るべく彼のキャリアを辿っていくと、ハーヴィーは意外に早くから日本人アーティストのUS録音に参加していたことが分かる。井上陽水、渡辺貞夫や高中正義、五輪真弓らだ。ことアルファ関係に限ってみると、アルファがまだ原盤制作会社だった77年に、ハイ・ファイ・セットのL.A.録音盤『ザ・ダイアリー』に参加していた。とはいえこの時は、単に一人のミュージシャンとしての参加に過ぎなかったと思われる。だがアルファがレコード会社に格上げされ、俄かに注目を集めるクロスオーヴァー/フュージョンにも積極的に関わるようになって、少し展開が変わったようだ。そしてレーベル第1弾として制作されたのが、渡辺香津美とリー・リトナー&ジェントル・ソウツが共演した『MERMAID BOULEVARD』(78年)。レコーディング自体はリトナー一行の来日公演時に日本で行われたが、それ以前から香津美とスタッフがL.A.に赴いて綿密な打ち合わせを行ない、彼らのライヴに香津美が飛び入りして注目を煽るなど、プロジェクトは周到に進められていた。

 おそらくその過程で、ハーヴィーとアルファ・スタッフが急接近したのだろう。アルファが発売した大村憲司のソロ・アルバム『KENJI SHOCK』に、ハーヴィーはアレンジ&プロデュースで参加。厚い信頼関係を構築した。更に翌79年には、モデル/タレントの朝比奈マリアのデビュー・アルバム『MIARIA』で、YMO勢とアレンジを分け合っている。こうしてハーヴィーと関係を深めたアルファは、彼をカシオペアに引き合わせ、5作目『CROSS POINT』のコ・プロデューサーに抜擢。更に彼らの世界進出作『EYES OF MIND』ではフル・プロデュースを委ねた。

 そうした動向の延長にあるのが、ここに紹介する『ストーン・メイソン』と言っていい。アリスタでの作品群はアルバム毎にポップ色が強くなり、彼がクインシー・ジョーンズ路線を狙っているのが窺えた。が、このアルバムでは、インストゥルメンタルのフュージョン・スタイルと、ヴォーカル入りのダンス・ポップが共存。ハーヴィーの持ち味をバランスよく詰め込んでいる。とりわけフュージョン・ナンバーでは、ボブ・ジェイムス、デイヴ・グルーシン、トム・スコットらをフィーチャー。一方の歌モノでは、レイ・パーカーJr.、リー・リトナー、デヴィッド・フォスター、TOTOのデヴィッド・ペイチやスティーヴ・ポーカロ、Mr.ミスターの前身たるペイジスらを招集し、コンテンポラリーな都市型ポップスを披露した。楽曲ごとに無名の若手実力シンガーをキャスティングしたあたりも、ハーヴィーが新人の発掘・育成に熱心だったことを物語る。日本だけの発売に止まったため、特別ヒットに恵まれたワケではなかったが、決して軽んじていい作品ではない。

 だがリリースから40年以上経過した現在も、それがデジタル化されずにいる。ハーヴィーの他の作品が復刻されているのを考えれば、その原因がアルファとの契約にあるのは容易に想像できる。もっとも原盤所有がどちらかで事情は多少変わってくるが…。でも寝かせてしまっている音源発掘に前向きに取り組んでいる新生アルファだから、ココは前回紹介のベナード・アイグナーと併せ、復刻に期待を昂ぶらせてしまうのである。