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諏訪大社

諏訪大社の考察まとめ(仮)です

諏訪大社は全国に約2,600社(全国神社祭祀祭礼総合調査)ある、諏訪神社、諏訪社、南方神社の総本社です。
諏訪大社は二社四宮あり、諏訪湖の南側にある上社に本宮と前宮、北側の下社には春宮と秋宮が鎮座しています。

上社本宮「入口御門 布橋」 文政12年(1829)建立
約70mの長廊は明治以前まで上社の大祝のみが通ることが出来た場所

御祭神

上社本宮は建御名方神(タケミナカタノカミ)
上社前宮は八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)
下社秋宮と春宮は建御名方神、八坂刀売神、八重事代主神(ヤエコトシロヌシノカミ)の三柱です。

本地仏

神仏習合の時代は神社と寺が並んでいました。諏訪の上社すぐ隣地には明治の神仏分離まで神宮寺がありました。
本地垂迹説は神は仮の姿で本当は仏や菩薩という考えで、各宮の本地仏は次のようになります。
上社本宮 普賢菩薩
上社前宮 如意輪観音
下社秋宮 千手観音
下社春宮 薬師如来

諏訪明神、お諏訪さま

しかし、タケミナカタや普賢菩薩を祈るというよりは、諏訪明神お諏訪さまに祈るという感覚です。

信仰に対する研究が進んだ近年では、ミシャグジさまというイメージも強くなっているようです。

どうやら、縄文あるいはそれ以前からの自然崇拝、祈りや精霊の気配が残り、神話の神々や仏たちなど、時代ごとの信仰が重層的に祀られて諏訪明神となっているようです。
諏訪は古くからの聖地なのです。

諏訪信仰発祥の地といわれる上社前宮本殿

時代ごとの諏訪の信仰考察

現代視線が強いものになりますが、諏訪の信仰について、太古から現代まで時代ごとの変化を次のようにまとめました。

■太古からの聖地
日本列島の中央構造線糸魚川静岡構造線が交差する諏訪湖は、断層の動きにより構造線が約12km引き裂かれたように出来た構造湖です。約120万年かけて生じたとされます。
中央構造線上にはゼロ磁場があり、そこには聖地やパワースポットが点在し、伊勢の神宮や諏訪大社、鹿島神宮などがそうだと言われています。

諏訪湖周辺の構造線イメージ図

■縄文の祈り
日本海側から、関東方面や岐阜方面からなど人の行き来があったようです。諏訪の黒曜石は当時のブランド品であり、諏訪産黒曜石の出土分布調査などから大昔のことが判るようになりました。
縄文時代中期(約5,000年〜3,000年前)、八ヶ岳山麓を中心に縄文文化の最盛期でした。住居跡や縄文土器が多く出土しています。
この地域の縄文土器にはカエルや蛇の紋様が多くみられるのが特徴となっています。
また研究により、狩猟だけでなく畑耕作も行われていたのではないかとされています。
縄文時代の石棒がミシャグジさまの御神体になっている場所もあり、ミシャグジとは原初的な自然崇拝とも石神とも蛇神とも推定されているようです。
ただし現代人の考える自然崇拝とはまた違うものだったのではないか、と注意する必要があります。

■弥生の祈り
稲作技術を持つ弥生人も移住するようになります。急に縄文から弥生に変わる訳ではなく、長い時間をかけて混じりあったのだと思われます。
稲作は水の神、風の神は蛇神龍神として農耕や開拓の神となっていったのではないでしょうか。
縄文時代から鹿や猪は既によく食べられていましたが、鹿は田を荒らすためよく狩られるようになったかもしれません。
生きた鹿を捕らえて、その血に稲を蒔くと一夜にして苗が育ってきたという『播磨国風土記』の話から、鹿狩りは稲作の豊穣をもたらす行いであったのではないかという考察があります。
「御頭祭」神事は一見縄文のように見えますが、狩りと豊穣がセットになった祭りなのだと思うと弥生の祈りであるように思います。ちなみに弥生時代の銅鐸には鹿の姿がよく描かれています。

■神話の合流
・タケミナカタ
『古事記』ではタケミナカタは出雲の国譲りのあと信州諏訪に移ってきます。そして諏訪では土着神モリヤ神を降ろし従えたとされます。
タケミナカタを家祖とする諏訪氏は神氏(みわし)と称し、上社の大祝(おおほうり)となりました。みわしという名称は出雲大社や大神神社との関係を思わせます。おそらくイズモ系弥生人なのでしょう。
三輪山(大神神社)のオオモノヌシは蛇神だったという話とも重なります。
・ヤサカトメ
タケミナカタの妃神であるヤサカトメは海の神であるワタツミを始祖とするアズミ系弥生人の神です。日本海側から安曇野を経て諏訪湖の北側へ進出し、アズミ系の金刺氏は下社の大祝となりました。大祝については後述します。

■仏教と狩猟(殺生肉食)
神仏習合により御祭神の本地仏が定まり神宮寺には堂塔が立ち並びました。仏教思想により殺生禁止となった時代、日本で唯一の狩猟の神となりました。

鷹狩は諏訪社の御贄狩以外は禁止、江戸幕府による鷹狩は「諏訪流」と呼ばれ現在まで続いています。
中世に使われた諏訪大社下社の狩猟神事の祭事場「旧御射山遺跡」なども残っています。
肉食が許されるとされるお札「鹿食免」(かじきめん)は現在でも諏訪大社のみで授かることが出来ます。

ミシャグジ

近年、諏訪の歴史が調査が進み縄文時代の遺物調査から考察が深まりました。縄文あるいそれ以前の古い時代からの、大地のエネルギーや自然など目に見えない精霊へのミシャグジ信仰など古い時代から連綿と紡ぐ諏訪の歴史が見直され、それらに関わる神事や儀式への研究や考察に注目が高まっているように感じられます。
実際にミシャグジとは文字文化以前からの呼び方なのでしょう。他にもミシャクジ、ミシャグチ、サクジ、シャグチともいくつかも呼び方が伝わっています。

大祝と神長官

大祝(おおほうり)とは諏訪明神の現人神であり、諏訪大社の頂点にたつ役割でした。はじめに金刺氏が下社の大祝となり、上社は諏訪氏が大祝となりました。下社と上社の本宮争いや武家社会を背景に室町時代に金刺氏は滅びます。

本宮は上社と定まり、現人神である大祝諏訪氏のもと神事を取り仕切る神長官(じんちょうかん)にはモリヤ神の末裔である守矢氏が代々務めるようになりました。
大祝と神長官は明治政府による制度一新まで続きました。
マンガやアニメ『逃げ上手の若君』(作者:松井 優征)に登場する北条時行を支援する諏訪頼重が登場しています。

神長官守矢資料館の内部展示

諏訪の祭り

【御柱祭】
数えの7年ごとの神事。巨大な柱を山から神社まで運ぶ、巨木にひとが跨がり山の斜面を滑り降りる様子で有名な諏訪を代表するエネルギッシュな祭りです。

【御頭祭】
鹿の頭などを神前に捧げ五穀豊穣を願う上社前宮で行われる儀式。

【御作田神事】【御射山神事】など。
作物の豊穣祈願や、狩猟神事で弓矢を使って祈願する祭り。

【御室神事】
現在は途絶えてしまった神事にして最大の秘儀。
大祝、神長官、神使という限られた人数により、縄文時代の竪穴式住居の様式を残す御室という場所に籠もって行われる神事。
ミシャグジ精霊と諏訪明神をあらわす蛇神との秘儀が行われたといいます。おそらく豊穣に繋がる性的な内容もあったのだろうと思われます。大祝や神使は少年が選ばれたというので何らかの通過儀礼的なこともあったのかも知れません。

映画『鹿の国』

2025年1月2日に公開されました。
弘理子監督による98分の映像は、鹿狩猟と稲作の豊穣を描きながら、自然と人の関わり、諏訪の四季の移ろいを背景に、諏訪の信仰や歴史、失われた御室神事の再現を追ったものです。なかなか良い内容でしたのでおすすめです。

下社秋宮拝殿

諏訪大社に関係する公式サイト

■信濃國一之宮 諏訪大社

■御柱祭(式年造営御柱大祭

■映画「鹿の国」

🔳神長官守矢資料館


諏訪の社や周辺のあれこれ

今後追加するつもりです
(予定)


最後に

お諏訪さまを知るためにまとめた記事ですが、その奥深さに沼にはまった気がしています。
諏訪に住んでいる訳では無いし間違いや表現違い、不足している事があると思います。ぜひ詳しい方に教えて頂きたいと思います。よろしくお願いします。(拝)

夕刻の諏訪湖畔 シルエットは八重垣姫像

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