都市に王はいない ー都市犯罪としての交換殺人ー
「過去に書いた評論をネットに載せておこう」シリーズ第三弾。久々の今回は、2017年に同人誌『PHOENIX 第139号』に掲載した「都市に王はいない -都市犯罪としての交換殺人-」を公開します。
もともとは『PHOENIX 第139号』の特集として「都市」をテーマにした評論や創作をクラブが募っていたので、学部4年でまだサークル現役だった自分も寄稿しようと思ったのが執筆の経緯です。
当時、笠井潔や内田隆三の著作群や、カルスタ寄りの社会評論への憧れから「社会学の用語交えてミステリ評論書いてみてーな」と思っていたので、このテーマはちょうどいいチャンスだと思ったのです。
ただ、原稿を読んでくれた社会学専攻の同期から「ジンメルの引用の仕方、おかしくね?」といわれた記憶があるし、厳密なアカデミックさは追求できてないので、その部分は軽く読み飛ばしてもらえればと思います。
今回これを公開しようと思った理由について、ここ最近のコロナウィルスにおける社会情勢の変化が念頭にあります。論では都市の「群衆」が交換殺人を生み出したと説明していますが、今は「群衆」が忌避され、「ソーシャル・ディスタンス」が叫ばれているわけです。この状況で都市はどのように姿を変えるのか、そしてそこで生まれるミステリとはどのようなものなのか、夢想したくなる自分がいます。
短い文章ですが、個人的には気に入ってる文章なので読んでもらえたら幸いです。
都市に王はいない ー都市犯罪としての交換殺人ー
「探偵物語の根源的な社会内容は、大都市群衆のなかで個人の痕跡が消されることである」と喝破したのはベンヤミンである。「ボードレールにおける第二帝政期のパリ」に記された彼の考えによれば、探偵小説の誕生は近代都市の形成と密接に関係している。犯人は群衆――近代都市に出現した匿名で交換可能な個人の集団――の中に姿を隠し、探偵はその中で遊歩者――群衆から一歩身を引き観察を行う個人――として犯人の痕跡を探す、それがベンヤミンがポーの諸作を参照しながら見出した探偵小説のモデルである。
もちろんすべてのミステリが都市で起きた犯罪を描いているわけではない。それでも探偵小説の始祖と呼ばれるポーの作品が都市に表れた犯罪の恐怖を描いており、世界的な探偵であるホームズがロンドン中を駆け回っていることを思い浮かべるとミステリと都市の関係の深さを実感できるだろう。
ではこのようなベンヤミンの言う「犯人が群衆に隠れる」ことを、最もミステリとして意図的に行ったトリックとは何だろうか。
それは交換殺人ではないだろうか。交換殺人の元祖と言われているパトリシア・ハイスミス『見知らぬ乗客』を見てみると、このサスペンス小説が都市空間に依拠した物語であることに気づくだろう。
新進建築家のガイは別居中の妻と離婚するために故郷へ列車で向かうが、その列車内で富豪の息子であるブルーノーと出会う。話をしているうちにブルーノーは父を嫌悪していることを知り、ガイも妻とのトラブルをブルーノーに話す。するとブルーノーはある計画を持ち掛ける。それはガイの妻をブルーノ―が殺す代わりにブルーノ―の父親をガイが殺す交換殺人計画だった。実行犯と被害者の間には警察の捜査で容疑者とされることはない。最初はためらうガイだが、やがてこの計画に乗る気になり……。
以上が「見知らぬ乗客」のあらすじである。
交換殺人は共犯のAとBが、本来は接点のない人物である必要がある。このような人間関係は前近代的な村落などでは発生しにくい。前近代的な集団は前提として血/土地に縛られた狭いコミュニティであり、そのコミュニティにいるだけで何らかの接点が生じてしまい、交換殺人には不向きな環境である。しかし近代都市に生じた「群衆」はそのようなコミュニティではない。血/土地から離れて都市に集った人々はあくまで偶然であり、互いに無関心である。そのような中から共犯者を見つけることで完全犯罪としての交換殺人は成立するのである。
このとき興味深いのがガイとブルーノーの出会いが列車の中で行われたことである。都市において交通手段は不可欠であり、これによって人々の遠距離の移動が可能となり、人々は従来の共同体から都市へ移動し、さらには都市間の移動を可能とすることで都市の流動性を生み出した。この流動性こそが群衆の中での偶然の出会いを生み出すのである。 ベンヤミンは探偵小説の起源を論じた前述の著作の中で、ジンメルの『社会学』から以下の文章を引用している。
都市における人間相互の関係は、……視覚活動が聴覚活動に比べてあきらかに優勢であることを特徴とする。その第一の原因は、公共交通機関にある。十九世紀におけるバス、鉄道、路面電車の発達以前には、人びとは何十分、それどころか何時間も、お互いに一言も交わすことなしに見つめあっていなければならない状態に置かれることはなかった。
一言も話さずに同じ場所に集う互いに無関係な人々の集積が群衆である。それが生まれた要因とされる列車の中でこの群衆の特性を用いた殺人計画が生まれたことは象徴的ですらある。
またガイとブルーノーの関係に注目したとき、ここには都市的なコミュニティの在り方が表れている。二人とも殺したい対象は親族であり、それを偶然出会った他人を信頼して交換殺人の計画を立てている。
ここで思い出されるのがウェルマンの「コミュニティ解放論」である。ウェルマンは都市のコミュニティを、従来のものとは違う「ネットワークとしてのコミュニティ」として捉えた。交通手段の発達によって高率の社会移動が生じ、親族などとのつながりの空間的分散によって「近くの誰かより遠くの誰かの方が親しい」ようなネットワーク・コミュニティが形成されたとされる。親族という従来のコミュニティの人間ではなく、列車の中で偶然出会った相手に親近感を抱く二人の関係は都市の中で生じたネットワークであり、その要因はここでも交通手段、つまり列車なのである。
交換殺人はその後もハイスミスのような倒叙形式の心理サスペンスだけでなく本格ミステリの中でも様々な方法で用いられてきた。その中で最もこの交換殺人の都市的性格に自覚的な作家は法月綸太郎であろう。
そもそも法月は同時期に登場した作家の中では都市を舞台にしたミステリを中心に書いてきた。たしかに処女作の『密閉教室』やシリーズ第一作の『雪密室』などはいかにも新本格といった非日常的舞台設定だったが『頼子のために』以降の長編作品の多くは現代日本の都市を探偵の法月綸太郎が駆け回っており、その筆致はむしろハードボイルド作品に近いものもある。
そんな法月が都市犯罪として交換殺人を扱うのは当然だろう。法月は短編で三作、長編で一作、交換殺人をテーマにしている。
その中でも長編の『キングを探せ』はその集大成とも言える作品である。この作品では四重交換殺人という複雑な犯罪計画を、犯人側と探偵側両側から描く半倒叙形式で物語が進んでいく本格ミステリである。この作品で法月は交換殺人の都市的性格を最大限活用して本格ミステリを構成しているのである。
※以下では法月綸太郎『キングを探せ』のネタバレや核心部分について書かれています。
法月が注目したのは「匿名性」だ。群衆に紛れる犯人はその匿名性によって探偵から身を隠している。作中で犯人側の視点のとき犯人の名は「りさぴょん」「カネゴン」「夢の島」「イクル君」とニックネームで表記されており、その匿名性が保たれている。また探偵側も捜査を行う上で、交換殺人計画を立てるうえで使われたトランプになぞらえて首謀者を「キング」として探そうとしている。法月自身が講談社ノベルス版のカバー袖に「匿名かつ離散的な都市型犯罪を相手に、圧倒的データ不足に悩まされながら、仮想ロジックを積み重ねて未詳の犯人「キング」をあぶり出そうとする名探偵」と記しているところからも、この匿名性については自覚的に書いていたようである。
しかし本書の画期的なところはこの匿名性を犯人だけでなく、被害者にも適用したところである。四重交換殺人という複雑な計画では犯人だけでなく、実は被害者も匿名性の中に隠れてしまうのだ。
そこに法月は驚異的なミスディレクションを仕掛けてくる。トランプを使った四重殺人だと推測した綸太郎たちは使われているカードのイニシャルが被害者を表していると予想、さらに発見されていない4枚目のカードは「スペードのキング(K)」と予想する。そこから「K」がイニシャルの人物が4人目のターゲットだと推測して捜査をするのだが……。
実際に使われたカードは「ジョーカー(Jo)」であった。ターゲットに「上嶋」と「謝花」がいたため「ジャック(Ja)」と「ジョーカー」を使ったのである。
このとき「謝花」の名は「J」の被害者を探す際にリストアップされるが結局は「上嶋」が「J」であると思われたため無関係だろうとして他の「J」がイニシャルの人物たちとともに捜査から除外された名字である。都市にあふれる犯罪の他の被害者に紛れて「ジョーカー」も紛れてしまったのである。
ここで使われたカードの中に「キング」はそもそもいなくて、首謀者としての犯人「キング」はいないことが判明する。
物語は綸太郎の父である法月警視のアリに関する蘊蓄で締めくくられる。
「面白い話をしてやろう。法医昆虫学に詳しい鑑識技官がアリとシロアリのちがいを教えてくれた。シロアリの巣には女王アリと王アリがいるが、メス中心のアリ社会には女王だけ――」
法月警視はにんまりして、こう付け加えた。
「王はいない」
もちろんこの最後のセリフは事件の真相にかけたものだが、都市犯罪として交換殺人を扱った作品としてもふさわしいラストである。なぜなら血/土地によって規定された封建制度が崩壊したのちに平等で匿名の群衆が築き上げた近代都市には、特権的な王は存在しえないのだから。
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