砂漠を歩く幽霊たち 米津玄師とマーク・フィッシャー(試し読み)
2020年11月22日(日)に文フリ東京に、不毛連盟(ブース:チー11)という団体で参加します。新刊『ボクラ・ネクラ 第三集』を発売します。
自分は『砂漠を歩く幽霊たち ―—米津玄師とマーク・フィッシャー――』という音楽評論を書いています。
目次は以下の通りです。
「砂漠を歩く幽霊たち――米津玄師とマーク・フィッシャー――」目次
0 時代の閉塞感に耳を澄ませ
1 オートチューンとしてのボーカロイド
――『808’s&Heartbreak』とハチの同 時代性
2 メランコリー・ノイズ・箱庭
3 オリジナリティ信仰と資本主義リアリズム
4 砂漠へ出よ、と幽霊は言った
ミステリ評論しか今まで書いてこなかったのですが、今回はポップミュージックで評論を書くことに挑戦してみました。
今回はその一部分(2節まで)を「試し読み」ということで先行公開します。これを読んで興味を持った方は、ぜひ文フリで新刊を買って読んでいただけると幸いです。
砂漠を歩く幽霊たち――米津玄師とマーク・フィッシャー――
イアンもカートも昔の人よ/中指立ててもしょうがないの (「LOSER」)
0 時代の閉塞感に耳を澄ませ
フィードバックとともに後景から聴こえてくるノイズ、イアン・カーティスとカート・コバーンという固有名詞、そして「過去も未来もない現在」の閉塞感を嘆きながらもかすかな希望を手放さそうとはしない姿勢……。
マーク・フィッシャー『わが人生の幽霊たち うつ病、憑在論、失われた未来』を読み終えたあと、私はずっと米津玄師の曲「LOSER」、そして収録されたアルバム『BOOTLEG』のことばかりを考えていた。
『わが人生の幽霊たち』は『資本主義リアリズム』で有名なマーク・フィッシャーによる文化評論集である。マーガレット・サッチャーが「この道しかない」と言ったように「資本主義以外の代替物の創造が不可能となってしまった状態」である「資本主義リアリズム」に対して、フィッシャーはジャック・デリダの「憑在論」というキーワードを軸に、映画やドラマ、そして「憑在論的な」音楽(特にイギリスのクラブ/ダンスミュージック)といったポピュラーカルチャーから抵抗の兆しを見出そうとしている。
フィッシャーがJPOPに興味を持っていたかどうかは知らないが、少なくとも『BOOTLEG』を聴いていないことは断言できる。『BOOTLEG』が発売されたのは二〇一七年十一月、その十か月前の二〇一七年一月にフィッシャーは自殺を遂げているからだ。
にもかかわらず、である。マーク・フィッシャーの思想と米津玄師/ハチの音楽性には、どこか共鳴するようなものが感じとれてしまう。それは影響関係ではなく、時代の感受性に起因するものだろう。イギリスと日本、場所は違えど彼らはおそらく時代の閉塞感を音楽から敏感に聴きとっていた。そして一方は文章をブログに発表し、もう一方は音楽を(ニコニコ動画を経由して)CDにして世に発表していった。
二〇二〇年に「STRAYSHEEP」を発表し、おそらくJPOPで最注目のアーティスト、米津玄師の音楽から、幽霊のように潜んでいるマーク・フィッシャーの思想との共鳴を聴きとる試み、それは日本においてフィッシャーの思想はどのように変奏されうるのか、その検証になりえるはずである。
1 オートチューンとしてのボーカロイド
――『808’s&Heartbreak』とハチの同時代性
『わが人生たちの幽霊たち』に収録されている評論の中で、米津玄師の音楽と最も共鳴していると思えるのは、「もうひとつの灰色の世界 ――ダークマター、ジェイムス・ブレイク、カニエ・ウェスト、ドレイク、そして「パーティー憑在論」」である。というのも、ここで論じられているアーティストたちからの影響を、米津玄師の音楽からうかがえるからである。
中には米津自身が影響やファンであることを公言している人物もいる。カニエ・ウェストはその一人だ。シングル『LOSER/ナンバーナイン』を発表した際のインタビューでこのように発言している。
――サウンド面では、『Bremen』で示された米津さんの音楽スタイル、つまり歌やメロディの強さやドラマチックさ、練り込まれたアレンジという“必殺技”を踏襲するのではなく、新しいものをやっていこうという意気込みを感じました。
米津:これは分かりやすく、最近ヒップホップが好きでよく聴いていて、それを自分に取り入れたらどうなるのかな、と。とは言え、ゴリゴリのヒップホップをやるつもりもなくて、あくまで日本におけるロックン・ロールとして、ヒップホップのニュアンスを加えてみようと思ったんです。
――ヒップホップも新旧幅広いですが、どのへんがフィットしますか?
米津:昔のものも好きだし、最近のものも好きですが、一番はカニエ・ウェストですね。あの人はすごいバランス感覚の持ち主だと思います。ぶっ飛んでいることをやりながら、それを最終的には成立させる、ギリギリのチキンレースができる人だというか。それをすごく尊敬していて、自分もそういうものが作れたらなって。
「ぶっ飛んでいることをやりながら、それを最終的には成立させる、ギリギリのチキンレース」が何を指しているかは明言されていないが、おそらくカニエの音楽でもっとも有名な「ぶっ飛んでいること」となると、『808s & Heartbreak』 におけるオートチューンの使用ではないだろうか。現在のトラップミュージックが流行したアメリカのヒップホップシーンでは、オートチューンなどありふれたボーカルエフェクトの一つであるが、二〇〇八年段階でオートチューンを使用し、ラップよりも歌うことで自身のメランコリーを表現したカニエは、当時としてはかなり異端であった(そもそもマッチョイズムが支配的なヒップホップにおいて、内面、ましては「男らしくない」とされるメランコリーを表現すること自体が当時は珍しいことであった)。マーク・フィッシャーはこう述べている。
『808s・アンド・ハートブレイク』のなかにあるのは、二一世紀という巨大な娯楽施設の中心から聞こえてくるすすり泣き声である。カニエの涙を誘うアンドロイド的な才能は、驚くような曲である「ピノキオ・ストーリー」において極度に感傷的な深みに達している。この曲はスピルバーグの『AI』(二〇〇一)に登場する、新たなピノキオであり、アンドロイドのオイデュプスであるデイヴィッドが歌ったらこんなふうだとおもわれるような、オートチューンによる哀歌のようなものである。
また、フィッシャーはカニエのこの内省的なアルバムの空虚感の延長線上にいるアーティストとしてジェイムス・ブレイクを挙げているが、このアーティストも米津に影響を与えていると考えられるアーティストの一人である。それは「KARMA CITY」のような(ブレイクが確立したと言われる)ポストダブステップ的なチューン、内省的でありながらダンサブルなサウンドからうかがうことが出来るだろう。『YANKEE』というバンドサウンドへの接近はあるものの(不思議なことに、このアルバムの中で唯一バンドサウンドではないのが「KARMA CITY」なのだが)、その前後のアルバムである『diorama』や『Bremen』からは、イギリス発祥のダンスミュージックのエッセンスが随所に散りばめられている。
この二人が奏でるメランコリックなサウンドの正体は何なのだろうか。「BASEMENT-TIMES」のメインライターである石左は「vivi」を取り上げて、初期の米津玄師のサウンドとジェイムス・ブレイクに共通点を指摘している。
初期米津玄師と言えば、1stのdioramaにて随所にて聴けるこの不協和音のようなサウンド。これ、不協和音に聴こえるだけで実際に音を取ってみるとイントロ全てキーG#mで弾けるようになっている。
じゃあこの何とも言えない不気味な響きは正体は?というと、エフェクトでシンセのピッチを許容範囲ギリギリまでブッレブレにしたものだ。“ド”をブレブレにして“シ”と“レ♭”の間をわざと不安定に揺らしている。
普通はちょっとだけズレた音程を重ねることで響きの印象を変える為に使われるエフェクターだが、こんな使い方をしたミュージシャンを国内外通して彼以外誰一人として思い当たらない。あってもJames brakeとかが飛び道具的に使ったりしてるぐらいなもんで、歌謡曲でこんな危ない音程聴いたことがない。
カニエ、ブレイク、(特に初期の)米津、この三者に共通するメランコリックなサウンドにはデジタル技術が必須であったことを見逃してはいけない。ボーカルの音程をあたかもアンドロイドかのようにオートチューンやピッチシフターといったデジタル処理によって変更することによって生まれるメランコリー。機械的だからこそ人間の負の感情を表現できるという、ある種の逆説めいた音楽が、アメリカ、イギリス、日本で同時期に誕生していたのである。
ここで初期の米津玄師について忘れてはいけないことがある。彼のキャリアはボーカロイドのプロデューサーである「ハチ」としてスタートしているという事実は、メランコリックな作風とデジタル技術の関係性を踏まえると、とても示唆に富んでいる。
先述のように石左は初期の米津玄師サウンドの特徴を「不気味な響き」としているが、この特徴はハチ時代のボカロ曲にもそのまま当てはまる。歌詞の世界観はファンタジックながらも、デジタルから生み出される初音ミクの声はどこか不安定な響きを持っている。それは石左が指摘したようなピッチをいじる手法だけの産物ではない。ハチは何重にもコーラスを重ねることで、まるで幽霊が憑いているかのように多声的な初音ミクのボーカルの束を作り上げている。それはボーカルの芯を感じさせず、輪郭のぼやけた不安定な響きを聴く者に感じさせる。これによって電子音ながらどこかエモーショナルで悲しげな質感を生み出していると言えるだろう(このあたりの表現技法が、のちに「灰色と青」などで用いられる「デジタルクワイア」への着目などにつながってくるのかもしれない)。
デジタル技術によるメランコリーの表現。ハチ/米津にとってのボーカロイドは、カニエにとってのオートチューンだったのではないだろうか。
そもそも、当時のボカロシーンがある種の「鬱っぽさ」を伴って発展していたことは忘れていけない。社会学者の土井隆義は二〇〇〇年代以降の若者の人間関係とボカロの隆興に注目し、新自由主義が社会に浸透するにつれて人間関係すらも流動的になり、いわゆる「コミュ力」をもたない孤独感を抱えた若者の「代弁者」として、初音ミクは生きづらさを歌い上げていると指摘する 。
もちろん当時からパーティチューンやJPOPのような明るさを伴ったボカロ曲も人気を博してはいた。ryoの「メルト」はその代表例だろう。しかしハチやwowakaといったメランコリックで刹那的な世界観への絶大な支持は、土井の主張を裏付ける証拠の一つだろう。
しかし、ハチの曲は他のダウナーなボカロ曲と一線を画しているように思える。それは楽曲のクオリティ面というよりも、先述したボーカルの質感、輪郭がぼやけた不安定な響きによるものだ。
一般的な多くのボカロPは初音ミクの歌声を、自然な人間の声に近づけることを競っていた。「神調教」という言葉はあたかも機械よりも人間の方が「正常」なものであるかのような印象を与える。だがハチは機械的な音声を、より人間から遠ざけるような加工を試みていた。それはデジタル技術自体を表現方法として確立しようとしていたことの証左である。しかもその試みは物理的な距離的が近いPerfumeのようなオートチューン――近未来に希望を見出すようなサウンド――ではなく、異国のカニエやブレイク――個人のメランコリーと時代の閉塞感をリンクさせるようなサウンド――の実験的なサウンドと共鳴するものであった。
そしてそのような試みを「ハチ」は「米津玄師」として、自らの声でも実践するのである。
2 メランコリー・ノイズ・箱庭
サウンド面から言って、米津玄師のファーストアルバム『diorama』はハチ時代のボカロ曲の延長線上にある。それゆえか、フィッシャーが取り上げたアーティストとの共鳴をもっとも感じさせるのはこのアルバムだ。
それは形式的な面(ジャングルなどイギリスのダンスミュージックの影響をこのアルバムから感じることは可能だろう)によるものもあるが、やはり肝となるのはメランコリックなサウンドだろう。前節で述べたようなボーカルエフェクトによる不安定な響きを、このアルバムにて米津は自身、そしてシンセやギターにも適用している。米津の声にエフェクトがかかるのは一曲を通してずっと、というわけではない。むしろ曲の要所要所で突然現れるその響きは、まるで幽霊のように常にそこにいるわけではなく、ふとした時に我々の前に現れては心を揺さぶっていく。ある時はイントロで、ある時はAメロの出だしで、ある時はサビの終わった直後に……。
石左が指摘した「vivi」のシンセに対するエフェクトもその一つだ。他にも「ゴーゴー幽霊船」で聴こえる調子が外れたようなギターのチョーキング(MVを見るとこの音が聴こえてくるのは少女がロボットらしきものを殴った後からだ)なども同じような効果をあげている。そしてその極地が「caribou」で聴くことのできるボーカルエフェクトだろう。「caribou」の曲調自体は明るく弾むようなシャッフルビートなのだが、各小節の歌い出しで、米津は自身の声に対して機械的に音程を上げるようなエフェクトをかけている。これによってギターにおけるチョーキングのようなピッチの上げ方をし、その音程の不安定さが明るい曲調の中で異彩を放っている。
またもう一つ指摘できるのはノイズの多用だろう。フィッシャーは憑在論における重要なサウンドとして「クラックル・ノイズ」を挙げている。
じょじょに憑在論的と分類されていくことになるアーティストたちはみな、途方もないメランコリーにさいなまれていた。彼らは、テクノロジーが記憶を物質化するあり方に心を奪われていた。つまり彼らはTVやLPレコード、カセットテープにたいして、そしてそうした破綻したテクノロジーの生みだす音にたいして魅了されていたのである。物質化された記憶にたいする強迫観念は、憑在論における音の重要な特徴、つまり、LPレコードが生みだすその表面のノイズである、クラックル・ノイズの使用へとつながっていく。(中略)いまのわれわれは、じぶんが聴いているものが録音されているものだということを意識しないばかりか、録音されているものにアクセスするために用いている再生システムを意識することもない。だからこそ、多くの音による憑在論の背後には、アナログとデジタルのあいだにある差異がつきまとっている。ひじょうに多くの憑在論的な楽曲が、デジタルという仮想的な物質の時代に、アナログ・メディアのもつ身体的な特徴をふたたび取り上げることにかかわるものとなっているのである。
ノイズの多用も初期の米津玄師サウンドの特徴と言ってもよいだろう。『diorama』においてもポップミュージックのアルバムとは思えないほど、多くの楽曲でいたるところにノイズが現れる。もちろん米津の用いるノイズがすべてクラックル・ノイズというわけではない(むしろ使用頻度としてはギターアンプから発せられているようなハム・ノイズの方が多いだろう)。しかしアルバムのラストを飾る「抄本」ではクラックル・ノイズから曲が始まり、幽霊のむせび泣くような声がサンプリングされており、まさにフィッシャーの言う「憑在論的な音楽」に仕上がっている。アルバム全体を通して奏でられてきたメランコリックなサウンドの極致のようなこの曲は、聴く者にノスタルジーすら感じさせる理由はここにあるのではないだろうか。
ここで一つの素朴な疑問が浮かんでくる。マーク・フィッシャーの言う「憑在論的な音楽」は過去の幸福なポピュラーカルチャー――特にレイヴカルチャー――への憧憬と、それがもはや存在しないことへの絶望が同居しているものだった。そしてそれこそが資本主義リアリズムに対するオルタナティブを提示することになりえた。
では、サウンド面から言って「憑在論的な音楽」との共通点を多くする米津の音楽も、レイヴカルチャーを切望しているのだろうか?――正直に言って私にはわからない。米津玄師の音楽が「憑在論的な音楽」のように聴こえるのは、「資本主義リアリズムへのオルタナティブ」という思想を共有するものではなく、単なる音楽的な影響関係にすぎない、という批判は妥当なものかもしれない。
そもそも、「diorama」が「箱庭」という意味であるように、このアルバムは米津の心象をスケッチした極私的な作品であって、そのファンタジックな世界観は時間的にも空間的にも閉じ切っている。そのような作品から社会や時代との結びつきを強引に引き出す試みは牽強付会なのだろうか?
しかしである。マーク・フィッシャーはこうも記している。
この本は私の人生の幽霊たちについてのものであり、したがって必然として以下に、個人的な次元を含んでいる。しかし私は「個人的なことは政治的である」というフレーズを、主観性の(文化的、構造的、政治的な)条件を探究するためのものだと考えてきた。(中略)文化や文化にたいする分析が価値をもつのは、それがじぶんじしんからの逃走を可能にするかぎりでのことなのだ。
以上のような見通しは、それほど簡単に手に入ったものではない。鬱は私の人生を犬のようにつけまわしてきたもっとも悪意ある亡霊である――この場合鬱とは憑在論的なメランコリーの叙情的で(そして集団的な)荒廃とは区別される、健康状態におけるより荒涼とした独我論のことである。
フィッシャーは自身の鬱と向き合うことを通して、資本主義リアリズムに抗うすべを模索していた。憑在論、そして彼が繰り返し登場させる「幽霊」というモチーフは、彼のメンタルヘルスと密接にリンクしている。
そして興味深いことに、米津は自身が鬱であったことを公表している (私はそのことをフィッシャーの著書を読み終えた後に知った)。実際の関係を立証することは難しいが、「diorama」という心象スケッチが憑在論的な音楽に仕上がっている理由を、彼の鬱に見出すのはそれほど飛躍したことではないだろう。
ここで若者とダウナーなボカロ曲の関係を論じた土井の主張を思い出してほしい。彼は若者の孤独感の根源に新自由主義(資本主義リアリズム)があることを指摘した。彼らがハチ/米津玄師に救いを求めること、それはフィッシャーがベリアルの音楽に「レイヴ以後のロンドン」という幽霊を幻視したこととパラレルなのではないだろうか。
米津玄師がJPOPとして最も話題になること、それは現代日本社会の閉塞感に対するある種の抵抗なのではないだろうか。米津玄師を憑在論的な音楽として聴くこと、そこに資本主義リアリズムの只中にある日本から抜け出すヒントがあるのではないだろうか。
次節では私が考える限り最も憑在論的なアルバム「BOOTLEG」について見ていきたい。
(試し読みはここまでです。続きは新刊をお買い求めください!)
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