考察/コンヴァージェンス・カルチャー=陰謀 『SIX HACK』論(試し読み)
5月19日(日)の文フリ東京に不毛連盟(ブース【J-24】)という団体で参加します。新刊『ボクラ・ネクラ 第七集』を発売します。
自分は「考察/コンヴァージェンス・カルチャー=陰謀 『SIX HACK』論」を書きました。だいたい10000字くらい。
この題字、なんか、変……? タイトル長いね!
(冗談で「察しの悪い雨穴っぽく」と言ったらこれができてきたのでめちゃくちゃ笑いました。いつも題字の製作ありがとうございます。)
ミステリマガジンで「陰謀論的探偵小説論」の番外編、という位置づけですが、なるべく連載を読んでいない人でも楽しめるように心がけました。
驚いたことに『SIX HACK』のプロデューサー、大森時生さんに把握されました。とてもうれしいけどホラー並みにビビりました。
目次は以下の通りです。
考察系ホラーとは何か
考察系文化とコンヴァージェンス・カルチャー
コンヴァージェンス・カルチャーと陰謀論
メタ陰謀論としての『SIX HACK』
今回は販促の意味を込めて、今回はその一部分を「試し読み」ということで先行公開します。これを読んで興味を持った方は、ぜひ文フリで新刊を買って読んでいただけると幸いです。
考察/コンヴァージェンス・カルチャー=陰謀 『SIX HACK』論
※本稿は『ミステリマガジン』で二〇二四年現在連載中の「陰謀論的探偵小説論」の番外編という位置づけのものである。そのため、連載の中で説明した陰謀論とミステリの関係について説明を省略している部分がある。また、本稿は『SIX HACK』のネタバレを行っている。
〇考察系ホラーとは何か
※この節は新刊をお買い求めいただき読んでください。
この節の概要だけ記すと、「フェイクドキュメンタリー Q」や「この動画は再生できません」などの考察系ホラーを取り上げ、このジャンルが「視聴者自身が謎を見つける」ことが重要であることを指摘し、その点から「意味が分かると怖い話」や叙述トリックとの近似性を論じています。
〇考察系文化とコンヴァージェンス・カルチャー
(この節の前半は試し読みでは省略しました。)
考察系ドラマや考察系ホラーなどといったものをひっくるめて「考察系文化」と呼ぶのであれば、それは物語やフィクションのジャンルではなく、上述のように考察を楽しむ消費者の態度・文化を指すと定義した方が適切であろう。というのも、ネット上で盛んに考察がなされているコンテンツ群は、物語ジャンルやメディアが多岐にわたっており、どこまで作者や制作側が意図的に視聴者/読者へ考察をするように仕向けているか判然としないからである。
たとえば、ドラマやモキュメンタリー以外で考察が盛んな作品として、アニメ『けものフレンズ』が挙げられるだろう。二〇一七年にシーズン1が放送された本作は、動物が人間の姿をした「フレンズ」の一人、サーバルが、記憶を失って自分が何者かを思い出せないかばんちゃんと出会い、彼女らが暮らす世界「ジャパリパーク」を旅する、というロードムービー的な物語だが、描かれる背景や建造物が現実の日本の風景や建物と一致するといったことなどに視聴者が気づき、ファンタジーの世界だと思われていた「ジャパリパーク」が、実は人類が滅びた後の世界なのではないかという「ポスト・アポカリプス説」が唱えられ、各話が放送されるたびにそういった説を検証する「けものフレンズ考察班」と呼ばれる視聴者ファンダムがSNS上で話題になった。『けものフレンズ』を普通のロードムービー的な物語として受容することもできるが、このように「考察」を楽しむファンダムが目立った点で、近年の考察系文化を考えるうえで画期的な作品だったと言えるだろう。
『けものフレンズ』は「かばんちゃんの正体」という物語上の謎が前述の世界観とかかわりを持つうえで、制作側はある程度こういった考察が出てくることを期待していた(少なくとも、物語上明示しなくても設定としては用意していた)ものと推測できるが、今やこうした制作側の「考察」をコントロールしようとする意思の有無に関係なく考察が展開されることは、YouTube上に数多いる「考察系YouTuber」を見れば一目瞭然だろう。彼らは人気アニメ・マンガの世界観や裏設定、今後の展開などを、今まで描かれてきた物語の中から「伏線」を見つけて考察を展開していく。その対象はありとあらゆるコンテンツであり、今まで紹介してきた考察を誘発することを企図した作品群のみに限らない。
以前からこうしたサブカルチャー系の考察・深読みムック本が存在したことを思えば、こうした考察系文化は近年誕生したものとは言えないだろう。とはいえ、こうした考察系文化が近年ますます盛んになっているように見えるのは、やはり誰でも発信できる動画プラットフォームやSNSの拡大が要因にあると考えても不自然ではないだろう。自らが考えた考察を発表し、他者から容易にレスポンスが返ってくるプラットフォームの存在は考察系文化の伸張を支えたに違いない。その点で、考察系文化はコンヴァージェンス・カルチャーの一形態であると言える。
コンヴァージェンス・カルチャーとはメディア研究者ヘンリー・ジェンキンズが提唱するファン参加型文化の概念である。彼は「①多数のメディア・プラットフォームにわたってコンテンツが流通すること、②多数のメディア業界が協力すること、③オーディエンスが自分の求めるエンターテイメント体験を求めてほとんどどこにでも渡り歩くこと、という三つの要素を含むもの」3をコンヴァージェンス・カルチャーの定義としている。彼はその一例としてアメリカで放映されたリアリティ番組『サバイバー』に対するネット上の「ネタバレ」コミュニティ(あらゆる手を使って『サバイバー』の先の展開や収録場所を明らかにしようとするファンダム)を分析したが、YouTubeやSNS上でファンがコメントやリプライで交流する「考察班(コミュニティ)」も同様にコンヴァージェンス・カルチャーだ。
コンヴァージェンス・カルチャーはコンテンツにまつわる「作り手から受け手へ」という単純で単線的な文化受容のフレームから逃れるための新たな参照軸だが、メディア・プラットフォームや視聴者(読者)の能動的な受容が核にある考察系文化を分析する上で重要な視点になることは間違いないだろう。
〇コンヴァージェンス・カルチャーと陰謀論
二〇〇六年に刊行された『コンヴァージェンス・カルチャー』で提起された論点は、現代の多様化するメディア環境において古びるどころかむしろ重要度を増していると感じる一方、ジェンキンス自身のコンヴァージェンス・カルチャーへのオプティミスティックな態度(彼はコンヴァージェンス・カルチャーについて市民が熟議することを可能にすると肯定的に評価している)は修正しなければならない部分もあるだろう。たとえば、トランプ元大統領がSNS上で「フェイクニュース」と連呼し、最終的に議事堂襲撃事件までに発展していったことを思えば、コンヴァージェンス・カルチャーの負の側面に目を向ける必要があるというアメリカ文化研究者の生井英考の指摘4は妥当だろう。
また、木澤佐登志もQアノンの陰謀論は一種のコンヴァージェンス・カルチャーであることを指摘している。
ここで重要なのは、考察系文化が映像などの断片から視聴者に謎を「発見」させること、そしてQアノン陰謀論も信者に「パンくず」を発見させること、その相似である。コンヴァージェンス・カルチャーにも読者(視聴者)投稿や二次創作やなど様々な形態があるが、考察系文化と(Qアノン)陰謀論については、その核に「自身で謎を発見し、その謎を解き明かす(考察する)」という行為がある点で共通しているのである。
それゆえに、考察系文化では時として陰謀論的な考察が生まれてしまうこと、たとえば『ONE PIECE』の「シャンクスは複数人いる」といった考察が生まれてしまう事態が起こる。『ONE PIECE』が完結していない以上、「シャンクス複数人説」が絶対に誤りとは言い切れないが、問題はこの説が正しいかどうかでなく、この説を唱える人の中には「「シャンクス」の「ス」は複数形を表している」だとか、おそらく作画ミスと思われる「両腕があるシャンクス」を根拠にしている点である。彼らのいう根拠は「複数人説」を前提にして演繹的に見つけ出したものと言わざるを得ない。それはトランプが「光の戦士」であるという前提のもとに、あらゆる箇所にディープ・ステートの陰謀を「発見」するQの信者と似通ってしまっている。
〇メタ陰謀論としての『SIX HACK』
この点に自覚的かつ批評的な考察系モキュメンタリーホラーが『SIX HACK』である。