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神社巡りのひとり旅 ~京都~

こんばんは、アレクサンドリアです。

青春18きっぷを使って、気ままなひとり旅をしてきました。
今回行ったのは、占星術にちなんだ神社です。

まず最初に伺ったのは、大将軍八神社です。

◆大将軍八神社
京都市上京区にあります。
794年、平安京遷都の際に、奈良春日山麓より大将軍神を平安京に歓請されたのが始まりだそうです。

大将軍神とは、陰陽道・道教の信仰による方位を司る星の神様です。
現在は、あらゆる厄災から人々を守護する方除、厄除の神として信仰されています。
占星術の神様ともいえ、真っ先に伺いました。


目的は、方徳殿(宝物庫)を拝観させていただくこと。
ご神像や天球儀など、ご神宝類が展示されているとのことで、前もってご連絡しておきました。

撮影はできませんでしたので、表現のみになってしまいますが、本当に圧巻の一言でした。
私一人で訪れたので、その空間での感動がすべて私のものになり、私だけが時空を超えて1000年以上も昔にタイムスリップしたような感覚でした。

そして、たまたま電車の中で読んでいた本「50歳からのごきげんひとり旅 山脇りこ著」に〝仏像の見方〟について書かれており、その知識のおかげで、ご神像への理解が深まっていました。

それによると、
・飛鳥時代は銅製の仏像が多かった。唐から船に揺られてきたからという説あり。
・次に日本で作るようになったが、日本には銅がそれほどないので、土で作るようになった。塑像(そぞう)の始まりで、安価でたくさん作られた。
・しかし湿気が多い日本では塑像は長持ちせず、しかも重かった。
・そこで漆を使った乾漆像が作られるようになった。奈良時代後期は、脱乾漆像が全盛になった。
・しかし漆も高価なので、平安時代以降は木彫りが主流に。はじめは1本の木だったのが、次第に寄せ木造になり、鎌倉時代になると目に水晶を入れるようになったそう。

さて、こちらのご神像はどのタイプだったでしょうか。

✤    ✤    ✤

次に向かったのは、大河ドラマ「光る君へ」で重要な役どころだった、安倍晴明が祀られている清明神社です。

そもそも、飛鳥時代から明治時代初期まで、「陰陽寮」という役所が国に設置されていて、陰陽師はそこに所属する専門家だったそうです。

陰陽寮には、天文観測を行う天文博士や、暦を作成する暦博士、占いや邪気払いなどの祭祀を行う陰陽師が所属していました。
安倍晴明は、陰陽寮で天文を長く学び、52歳で天文博士となり、後に陰陽師となりました。活躍されたのは60歳以降だそうで、長い下積みがあったのですね。

明治初期に、太陰太陽暦が太陽暦に変わり、それとともに陰陽師の役割は終わっていったと言われています。
太陰太陽暦(旧暦)は、月の満ち欠けをもとに季節をあらわす太陽の動きを加味して作られており、太陽暦(新暦)は太陽の動きをもとにつくられています。
江戸時代に西洋の天文学も研究されるようになり、明治6年に、世界基準の太陽暦に改めることになりました。


◆清明神社
京都市上京区にあります。
大将軍八神社から徒歩15分ぐらいだったと思います。
こちらはやや賑わっており、多くの方が御祈祷を受けられている最中でもありました。
お参りの他に、絵馬に願いを書かせていただきました。
有名人がたくさん訪れた記録もありました。


旅はこの後も続きます。
今日はこの辺で・・・。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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