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【MP'sCafe】なぜコーヒーを飲むのか?

前回は以下の問いで終えました。

 何を基準に複数の選択肢の中からコーヒーを選ぶのか?
 または選ばないときがあるのか?

 そもそもあなたはなぜ、あんな苦いものを飲んでいるのか?
 それはいつからか?

前回からまだ一週間だが、特にこの記事の更新を楽しみにしている人などそういないだろうから、さっさとこの問いをした理由から続けましょう。

この問いの答えを、あなたが自分自身の行動をメタ認知できて、自覚できていたとしたら、それは、あなたという存在のアイデンティティに他なりません。
つまり、私の記事の核となるテーマ「自分とは何か?」を確認して欲しかったからです。

複数の中から一つの飲み物を選ぶ、は言い換えれば悩みです。
そして「おいしいコーヒーを飲みたい」と思う欲求も、それが解決していないあなたの課題だとすれば悩みと言ってよいですよね。
そして悩みとは何か?
そのすべてが対人関係の悩みであるというのがアドラーの主張でした。

整理すると。
あなたが今コーヒーを飲むことに何の疑問も持たず、おいしく飲めているなら、この記事は役に立たないです。
一方で、もし今よりコーヒーをおいしく飲みたいという悩みがあるのなら、追求すべきはあなたがなぜコーヒーを好もうとするのか、その理由を自覚すしてもらいたいです。


コーヒーの味を変化させる要因

前の章では全くコーヒー自体に何の関係もないことを書いてて、このままだと釣り記事だの詐欺だの言われかねないので、少しコーヒーの味についてここに記しておこう。内容はすべてこの本から引用、そして実際に自分の舌で何度も試した結論である。

ちなみに、前回警告しておいたので、この記事をここまで読んだ程度で間違って買った人はいないと思いますが、この本の内容は少なくとも「おいしいとはなにか」「言葉の定義」「舌の仕組み」「唾液の重要性」「嗅覚受容体」・・・どこまで読んでも「科学」なので、科学のアプローチでコーヒーを知りたいと思わない限り、手を出さないことを勧めます。

一方で、科学と言っても分野としては化学、生物学だけでなくこの本は社会学、言語学、心理学、法律、歴史その他広範囲を網羅しており、コーヒに関してこれ一冊で網羅していない範囲などないのではないのか、ってくらいの内容なので、時代に左右されない辞書的使い方ができ、それでこの値段は破格の安さだと思います。

さて、味の要因で初心者にわかりやすいのは、「焙煎度」であると、この本は説明しており、私もその通りだと思います。(P.173「自分好みのコーヒー探しは焙煎度から」)

よくコーヒーの味のマップとしては一方の軸に酸味と苦みが対極にあり、もう一方の軸に濃度の濃淡を取り、以下で表すことが多いようです。

 苦くて濃い:コクがある
 苦くて薄い:まろやか
 酸味があって濃い:切れがある
 酸味があって薄い:すっきり

どんな豆でも、淹れ方でも、焙煎時に深煎りするとコクが出て、浅煎りだとスッキリな傾向になるのは容易に想像できると思います。
なので、まず自分の好みを見つけるにはこの焙煎度の選択から入るのが良いと述べていて、私も同感です。

もちろん、同じ条件下では「挽き方」で粗挽きよりも粉挽きの方が濃くなるというのもあり、もし自分で挽いているか挽き方以外は同じ豆を選べるなら、この違いを楽しんだり好みを見つけるキーにしてもよいかもしれません。

このページに書かれている記事には、実はワインのことに触れられていて、やはりワインを楽しもうとすると、どうしても銘柄や年代に行きがちですが、それよりも・・・というお話が書かれています。
これについてはいつかワインの記事の連載を始めた時に触れたいと思います。

この記事を読んでいる人で、コーヒーをおいしく飲みたい、に缶コーヒーも対象にしている人はさすがにいないと思いますが、私は実は対象としています。
コーヒーは色が濃いので、紅茶や日本茶と違ってブラックであれば無香料、無添加が結構コンビニでも存在します。
もちろん紅茶や日本茶でも無香料、無添加はありますがコンビニで見かけることはほとんど無いでしょう。
つまり、健康志向の人の飲料の選択肢としてもブラックコーヒーは優秀だと私は思っています。

もちろん、コンビニで見かけるその場で豆を挽いてカップに入れるコーヒーも、お勧めです。水と豆だけで作られていますし、濃さを選べる機種もあるので、その違いを楽しむのもよいでしょう。

そこで気を遣って欲しいのは
「あなたは自分の好みを自分で理解しているか」
ですが。

ここまでをまとめると、コーヒーをおいしく=楽しく飲むなら、まずは好きな焙煎度を見つけるのが良いでしょう。

さらにハードルを下げるなら、お気に入りの店を見つけるでもよいのです。

では、ここから先は少しレベルを上げて

 どうやってもっとおいしいコーヒーを探せるか?

こちらに進みましょう。

おいしいコーヒーとは何か?


この本の第4章は
 コーヒーのおいしさ
となっており、そもそもおいしさとは何か?その概念、言葉の定義に迫ってます。

このあたりで普通の人?は挫折してしまいそうな話がちょっと続きます。私には非常にわかりやすい話なのですが、著者の本業は研究者であり、私と同類で「わかりやすく説明するために事実を曲げる」ということはしないタイプみたいです。なので、ついていくためにはこちらが勉強する必要があります。
勉強といっても学校の勉強のごく一部の無駄になるようなものではなく、この世界を理解するために必要な記号(文字等)や言語(数学、化学式等)、そして先人の発見(数式、論文等)を理解するための勉強です。

余談、といってもこの記事の本質ですが、多くの人が文句ばかり言って学校や勤め先で成功しづらいのは、ほとんどの場合勉強を怠っていることが理由のようです。

もちろん、世の中にはあなたに合っていない会社や学校もあるでしょうが、その判断を下す前に、果たしてその人たちは自分とは何か、ということをどれくらい突き詰めたのか、というくらい他人の言葉を良く語ります。

いい例が、ブームに乗った行動です。
芸能、ゲーム、IT、スポーツ、外食、映画、本・・・なんでもいいですが、たかだか100人?1000人?程度の自分の人間関係というコミュニティの中で情報をさきどりしたかのような行動に人は惹かれやすいです。

私も含めて。

多くの人は、自分が見えているその世界がこの世のすべてと勘違いし、コミュニティから離れることを恐れたり、嫌われることを避けたりすることで精いっぱいの毎日を過ごす・・・
先ほどアドラーの教えについて詳しくは以下に譲りますが、私はこの本もすべて鵜呑みにしているわけではありません。なぜなら・・・

「自分とは何か?」私はすべてをまだわかっていないからです。

こうだろうな、というのはあります。
しかし、これを一言で他人に伝えることはできません。
その理由は、また別の記事で語る予定ですが、それができないから、このコーヒーの記事を書く必要があるとも言えます。

自分とは何か?について単純柄を明快な答えを一つ定義してみましょう。

 人間らしく生きること

とてもシンプルですが、ここでいう人間とは動物ではなく、という意味です。

人間自身が勝手に決めた定義ですが、私たち人間は、地球上の生物としては犬や猫とは同じ動物に分類され、花や草木などの植物とは違うとされています。
同様に、生物というくくりにすれば人間は植物とも同じ生物ではあるけど、その辺の石や雲とは違う、といったカテゴライズをしています。

このことから、人間が犬や猫とも違うといった場合、その区別は・・・さて、なんなのでしょうか。

詳しくはこちらを参考にしてください。

元々の問いは、自分とは何か?でした。

そして私はそのひとつに「人間らしく生きる」があると思っています。

ではこの「人間らしく生きる」というのはいったいいつからあなたの心に芽生えた感覚なのでしょうか?

少しこの軌跡を辿ってみましょう。

究極のスタートについては、この記事を読めば納得してもらえると思います。

話は卵子と精子が結合するところより少し前から始まっていますが、ここで大事なことは、この時点では私たちは他の動物と同じプロセスを辿っている、ということです。

この記事、題名に【子育て】人はどれくらい周りの影響を受けるのかとつけているのは、何も子供を育てているのは「母親や家族だけに限ったことではない」ということを意味しているからです。

子育ての本質は、その対象となる子供を社会に出すまでの親の責任であり、「独立した人間として社会で生きていく技術」を授けることだと私は考えています。
同様に、私が自分の行動に「育成」と称するとき、それはその対象の人物が「独立した技術者としてその世界で生き延びていけるようにすること」だと常に思っています。
ここでいう技術とは、科学者だったり営業力だったりエンジニアリング力、マネジメント力、政治力など様々な呼び名がありますが、実はそのすべてに共通して根幹となるものがあります。
ここでは詳しく述べませんが、一言でいうと、
 自分の望んだものを最短で手に入れる方法
が一番しっくりくると思います。

この意味は、言い換えると「思ったように生きる方法」であって、以下の記事がその一端を詳しく書いています。

ずいぶんと長い章になりましたが、つまり、おいしいコーヒーはこの先にある、ということになります。

誰がおいしいを決めたのか?

先ほどの記事、【雑談】なぜ人は思ったように生きていけないのかの最後には「常識は誰が何のために作ったのか」という動画がついています。この動画でいう常識というのは、慣例や宗教、経済の仕組みなどあまり普段疑問に思わないことが実は・・・というちょっと怖い話ですが、実はおいしいもその怖い話の一部だと言えます。

あなたは「おいしい」を他の言葉に言い換えられますか?

おいしい、は
 うまい
 好き
 素晴らしい
 ・・・
どうですか?
どれかと全く同じ意味という言葉はありましたか?
言語は、本来はその存在理由から、異なる言葉は異なる意味を持つ必要があります。
普段意識せずに、雰囲気で使っている人も多いかと思いますが、この世界を人間として、はっきりと高い解像度で見ようとすると、そこにはあなたの知らなかった世界を発見することができます。

先ほど、ちょっと強い言葉で

 自分が見えているその世界がこの世のすべてと勘違い

と書きましたが、もしあなたが頑張ってこの記事の、ここまでたどり着いているのなら、あなたは昨日よりちょっと違う世界に生きることになるでしょう。
こんなにつまらなそうな記事をここまで読んでいるということは、言語を駆使することに少なからず関心を覚えたと思われます。
では、これから本当においしいコーヒーについて、詳しく説明します。

おいしいとうまいの違い


ここで「おいしいコーヒー」の「おいしい」に限定して深堀するなら、味を表している必要があり、好き、素晴らしいは味以外にも使えるので、厳密にはこれはおいしいと異なるということがすぐにわかります。

ではうまいはどうでしょうか。上手いではなく、旨いなのでこれは味に限られていることが自明です。
また、「おいしいコーヒー」の「おいしい」は「美味しい」という漢字が適切かと思いますが、実は「うまい」を「美味い」とも書けるので、少しややこしいですね。

実は、おいしいうまいの違いについてネットで検索すると、いろいろな記事を見つけることができるかと思います。

私の記事の題名「おいしいコーヒーを飲むには」は、「うまいコーヒーを飲むには」ではだめな決定的な理由があります。
それは、以下の記事と私は同じ考えを持っているからです。


おいしいコーヒーは一人では飲めないのか?


先ほどの記事と私は同じ考えと述べましたが、では一人ではおいしいコーヒーが飲めないのか?というとそうではありません。
次回、それについて触れます。

今回は、最後に結果をまとめて終わりにします。

 なぜあなたはおいしいコーヒーを飲みたいのか?
 そもそもあなた(自分)とは何か?
 味は焙煎度の影響が大きい
 自分の好みとはなにか
 自分らしく(人間らしく)生きるとは?
 おいしいコーヒーとは?
 誰がおいしいを決めたのか?
 おいしいとうまいの違い

後半には、挽き方とかフィルターの話もする予定ですが、先に言っておきます。
それでうまいコーヒーは飲めても、おいしいコーヒーはたぶん飲めません。

初めに言いましたが、この記事は日常を快適に過ごすためのものです。
そのためには、せっかくの人生、この素晴らしい世界を人間として味わいつしてこそ「快適」だと思うのです。

私は実際のところ、40歳を過ぎたころから、ほとんど深刻な悩みというものを持っていません。

深刻の定義というのも難しいですが、要するにこの世界の仕組みを知れば知るほど、この世界は非常に単純であり、ただ人間の社会性がそれを複雑にしているだけなのだ、と気がついたからです。

私が広めたいのは、学び続けると、たぶんほとんどの人はその領域にたどり着く。

ただ、学び続ける必要性というものを心の底から感じるには、いろいろな経験が必要であり、それを共有するのがこの記事の役目だと思っています。

おまけ

おまけという表現も変ですが、今日、この記事を書いている間に、おいしいコーヒーを見つけるために参考になる記事を二つ、見つけたので紹介します。
私がよく使う(今回も使った)「メタ認知」を経験談からわかりやすく書いた記事と、同じく私の記事では哲学的な表現が多くなりがちですが、その一例でテセウスの船(ヘラクレイトスの川と同じ意味)を比較的わかりやすく解説してくれている記事です。

今後は、このように読者の方に知っておいて欲しいけど、その説明が外部にあるときはなるべく引用することで私の記事のスピードを上げたいと思います。

この2つの記事が理解できると、あなたが飲んでいるコーヒーは、

 いつものコーヒーであり、唯一無二ともいえる
 
という意味を味わうことができるでしょう。

ここまで読んでくれてありがとう。
この記事を書く力は、あなたからもらっています。

では、また。


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