腑に落ちない
私が中学生の頃、あるラーメン屋さんに家族で初めて行った時の話である。
そこは塩ラーメンが美味しいと評判のお店であり、いつ行っても行列ができていると噂になっていた。
店の外で20分ほど待つと、カウンター席に通された。父、私、母の順に並んで座り、周りを見てみる。そこには塩ラーメンを食べている人しかいない。ある種異様な光景に塩ラーメンへの期待が高まった。
そこへお冷を持った店員さんが注文を聞きにくる。
「塩ラーメンを3つ」と言いかけたところで父が遮り、「塩2つと醤油1つ」と言い直した。
私は父の注文を不思議に思い、店員さんがいなくなってからそっと聞いてみた。
「なんで醤油にしたの?ここは塩が美味しいって有名じゃん。」
すると父はすかさず、
「ラーメンは醤油が一番旨いに決まってるだろ。」と返してきた。
それに対して母が、
「ここの醤油はびっくりするくらい美味しくないらしいわよ。」と不穏な噂を口にしたが、父は自信たっぷりに、
「いいや。醤油がまずいなんてことはない。自信がある。」と断言。
私は半ば呆れながら、
「それは一体どこから来る自信だよ。」と言いつつも、確かに食べてみないと分からないかと思い直し、ラーメンの到着を待った。
しばらく待つと、私たちのところにラーメンが運ばれてきた。
食欲をそそる見た目と匂いにつられ、さっそくスープをひと口飲んでみる。
めっっっっちゃ美味しい!!
期待を優に超える美味しさにこの上ないほどの幸せな気持ちになった。
が、そこでふと小さな違和感を覚え、左隣に座っている父を見た。父は箸を置き、レンゲですくったスープを眺めていた。そして、なんとも腑に落ちないという顔をしていたのである。
そう。この店の醤油ラーメンは決して美味しくなかったのだ。
「だから塩ラーメンにしとけば良かったのに。」そう言いかけた言葉を私は静かに飲み込んだ。
あれから数十年。父はすでに他界したが、母とこんな話をする。
「もし言葉の意味を表情で説明する辞書があったら、【腑に落ちない】の項には絶対あの時のお父さんの顔が載るよね。」