無為自然と人間性の超越

無為自然に向かう道は、他者との関係性における超越ではなく、「人間性」そのものの超越を目指すもの。ニーチェの Übermensch という概念も、この考えと関連する。しかしそれを「対人」的に捉えると限界と制約が生まれる。なぜなら、真の自由は他者との関係や競争を超越したものであり、他者を敵視したり比較することで得られるものではないため。

実践の過程では他者との比較は避けられず、理解を深めるためには他者の経験や視点を学び、それを自分のものとして取り込むことが必要。しかし、この比較や学びのプロセスは、最終的には超越のための一部であり、それを超えた内面的な自由や自然な在り方の追求が最終的な目標となる。

真の自由とは、人間的な言葉や意識、自我を超えた無意識的で自然な在り方。「範型としてのアダム」(エックハルト)は、人間性を理解し、それを超越するためのモデル。この超越は、自己の内面で起こるものであり、意識的に「考えず」、自然と「そう在る」状態に至ることが目標。他者と異にせず、ただ共にあることができるようになるとき、そこに自由が生まれる。

無為自然とは、無垢な心で他者を受け入れ、自然の流れに従って行動する状態と言える。この「そう在る」姿勢は、意識的な努力や計画ではなく、深い理解とその忘却(身にしたことの無意識な実践)にある。人間的な考えや期待を超越し、自分と他者の境界を意識せずに共にあることが求められる。

この過程では、人里を離れて思索することも必要。孤立し深い内省に向かうことで、人間的な欲望や執着を捨て去る準備を整えることができる。しかし、完全な孤立は難があり、「自分に合わせて作り出した都合のよい不自由」な環境にとどまってしまう可能性もある。孤立は内面的な自由を得るどころか、自分自身の限界に縛られることにもなり得る。

無為自然に向かう自由は他者とつながりながらも、そのつながりに囚われない柔軟さを持つことにある。人との関わりを超越しながらも全てを受け入れ、比較や対立から自由になることが必要。これは自己の成長と他者との調和を同時に進めるための道であり、無為自然への道のりの一環。

最終的には「人間性の超越」や「範型としてのアダム」の理念を通じ、自己の限界を超えた「到達し得ない理想」にどれだけ近づけるか、「制約を減らし自由を得ていく」営みが、その本質となる。

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