座右のラテン語/ヤマザキマリ×ラテン語さん


座右のラテン語/ヤマザキマリ×ラテン語さん/SB新書

古代ローマのラテン文学や哲学、歴史にその名を刻んだ時の支配者が残した数々の名句を人生と友情、芸術家のエネルギー、恋愛指南、ラテン語の表現世界、生き方について、為政者たちのラテン語、歴史の教訓の7章に分けて65句紹介。
本書は「テルマエ・ロマエ」の作者であるヤマザキマリとラテン語研究家のラテン語さんによる対談形式で書かれているため、分かり易い。
ここで取り上げられているラテン語の名句は文学や映画、演劇の台詞などで一度は聞いたことがあるものがいくつもあり、2000年前の古代ローマから現代まで言葉が生き残っていることに驚く。本書の中でも言及されていたが、それだけ誰にでも響く普遍的な価値と意味を持った言葉なのだろうと思う。
中でも見につまされたのはサッルスティウス「カティリーナの陰謀」の中にある「esse quam videri」(そう見られることよりそうであること)。見かけより実質が大事であることを言い表した語句だけれど、これに対するヤマザキマリの発言にはぐうの音も出ない。
「とにかくSNSの書き込みというのはうんざりさせられます。正義を振り翳し、皆に崇められ、謙虚を装いつつも称賛されたくて仕方のない、自己承認欲求を炸裂させている人で満載。他人の鏡に映さないと自分の姿が見えない人っていうのがいるんですよね。そんなふうに人に象られることでしか自分自身が分からなくなってしまった日には、自分自身を見失うのも簡単です。鏡が何も映さなくなってしまったら、自分の存在もそこで消えてしまうことになる。社会がどうであろうと、自分は自分で自分の鏡に映して自分の姿を確かめる人間であれ、ということを言っていると解釈していい言葉だと思います。」
また小プリニウスの「書簡集」にある「aiunt enim multum legendum esse,non multa」(多読よりも精読すべきと言われている)も個人的に大いに刺さった。
ことわざの「dum vivimus vivamus」(生きている間生きようではないか)も、とてもシンプルだが力強い言葉に励まされる心地がした。
ラテン語、面白い。

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