初めてのnote記事の投稿になるが、自己紹介などしない。
ある偉人の偉業を知ってしまったので、後世に伝えなくてはいけないという思いに駆り立てられてキーボードを叩く、それだけだ。
どうやらSNSでは、今でもワクチン推進派と反対派で論争が起きたりしているようである。
どうやらと書いたのも、個人的にはその論争にはとっくに興味を失ってしまっている。
いつまでやってんだろって感じである。
ワクチンを推進するにも反対するにも、ワクチンの歴史と、ワクチン接種によって体内で何が起こるか、少なくともこの2点の概要を知らなければ薄っぺらいものになってしまうし、各種のワクチンで個別の議論が必要になってしまうだろう。
個別の議論など必要ない。
全て良い or 全て悪い なのだ。
間違った土台の上に築かれたものは全て間違っているのだ。
ということで土台を見ていこうではないか。
今回は予防接種の歴史について、表題の本の内容をまとめようと思う。
予防接種は天然痘の予防法として登場したものである。
よって天然痘の予備知識が多少必要となる。
■天然痘
非常に高い致死率であること、膿疱が生じ、傷跡が残ることが特徴的。
命の危険だけではなく、傷跡により美貌が損なわれることをおそれる人も少なくなかっただろう。
予防法があるならば縋りたい気持ちもわかる。
さて、本の紹介に移ろう。
医師であり微生物学者でもある、Edgar March Crookshank氏によって1889年に書かれた『History And Pathology of Vaccination(ワクチン接種の歴史と病理学)』という2巻の本だ。。
ネットで探せばすぐにヒットし、例えば以下のサイトなどで無料で読むことが可能だ。
この本は、現代では根絶されたと言われている天然痘について書かれており、この病気の性質と予防法・養生法・口伝などについて、徹底的な一次資料の引用と言及を用いてまとめられている。
■一次資料
そう、歴史を調べるならば一次資料が最も重要になってくる。
クルックシャンク氏は、インターネットなど存在しない時代に、天然痘に関する膨大な一次資料を集めまくって、2冊の本にまとめあげたという点で、とんでもない偉人である。
つまり今回紹介する本は、天然痘の歴史書として非常に重要な本なのだ。
この本の1巻のうち、特に重要そうな部分を300ページほど読んだ(ほぼ機械翻訳だが。。。)ので、要点をまとめてみたい。
まずは予防接種に対応する英単語が主に3種類使われているので、ここは押さえておきたい。
■Inoculation
予防接種全般に使われる単語。
■Variolation
人痘接種法を表し、天然痘の患者から採取した膿やカサブタなどを接種するもの。
■Vaccination
牛痘接種法のこと。ラテン語でVacca=牛を意味する。牛痘の牛から膿を採取し接種するもの。
現代では牛の要素などどこにも存在しなくても、予防接種全般のことをワクチンと呼んでおり、本来の意味など消え去ってしまっている。
しかしこの本においては、VariolationとVaccinationは全く異なり、使い分けられているので、この記事でもこれ以降はなるべく使い分けをしていく。
では予備知識はこれくらいにしておいて本題の
『ワクチン接種の歴史と病理学1巻』
へと移ろう。
ちなみに私が読んだものはクルックシャンク氏の原典ではなく、パトリック・ジョーダン氏が全文を書き写して解説を加えたものだ。
彼も偉大な人物なのでいずれ紹介したいが、今回はパトリック・ジョーダン氏の解説には触れないことにする。
なお、
大部分が機械翻訳であるため、誤りを含む可能性があること
時代や地域の違いによる共感覚やニュアンスなどを伝えられていない可能性が高いこと
個人的に重要だと思う部分をまとめているので、筆者の意図と異なる要約や抜き出しをしてしまう可能性があること
は断っておく。
長すぎると読み手も書き手もダレるので、本記事では序文~第2章までとする。
序文
本当は全文引用したいのだが、3000文字以上と長くなってしまうので要約する。
1887年に牛痘(※天然痘に似た牛の病気)が半世紀ぶりに流行し、私はこの伝染病の歴史と病理を調査することになった。
この大発生の原因は、牛が天然痘患者から罹患したものではないことが証明された。
牛痘の性質と起源に関する一般に受け入れられている記述は、純粋に理論的なものであると確信した。
私の観察はクレイトン博士(※反ワクチン本を出版した医師)の歴史的研究の結果として得られた結論を支持するものなのか、それとも反論するものなのかという疑問が生じた。
国立予防接種施設で使われていたリンパの源の詳細を得ることができず、接種担当者も知識を持ち合わせていなかった。私の研究の初期段階でシーリーが1840年に述べたことは真実であると感じた:
「牛の膿疱の自然史に関連する多くの点について、我々が持っている情報は不完全であり、その知識を改善するためには忍耐強い調査が必要である。」
1888年1月、王立外科大学の図書館でベイリー司書が、私が興味を持ちそうな小包を見つけた。
その中には、ハンター(※)からジェンナー(※)への手紙と、ジェンナーの『Inquiry』の原稿と思われるものが入っていた。
その原稿を注意深く読んでみると、出版された『Inquiry』とは多くの点で異なっていた、それは実際、ジェンナーが王立協会に提出した文書であった。
私はこの論文の内容と、ジェンナーが天然痘の予防接種を牛痘の予防接種に置き換えることを最初に提案した根拠となるわずかな証拠に強い衝撃を受け、バロン(※)の『伝記』や、現代の医学・科学雑誌に掲載されたこの問題に関する原稿や記事から、ジェンナーの生涯と予防接種の初期の歴史を注意深く調べるようになった。
小包が大学の図書館にあった経緯が説明される。
※エドワード・ジェンナー : 超重要人物なのでwikipwdiaを引用
※ジョン・ハンター : スコットランドの外科医でジェンナーの師
※ジョン・バロン : ジェンナーの友人で医師、ジェンナーの伝記を出版
私は次第に、牛痘をはじめとするワクチンリンパの発生源に関する開業医の知識の少なさや、医学と獣医学の両分野における権威者の教えや意見が対立していることに深い感銘を受けるようになり、自分自身でこのテーマを調査することを決意した。
パリ、ベルリン、そしてこの国の古書店から、ワクチン接種の初期の歴史を扱った多くの著作を短期間のうちに入手することに成功した。
彼らは同時に、天然痘の予防接種に関する多くの著作を発表した。こうして私はこのテーマにも興味を持つようになり、ワクチン接種の歴史や病理学との関係がすぐに明らかになった。
1888年2月、私はフランスの主要な権威に相談し、ボルドー・リンパの歴史と、この国では牛痘が絶滅したと思われていた時期に同国で発生した牛痘の歴史を、可能であれば入手しようと決心した。
フランス各地で様々な情報を入手した後、イングランドでの調査を再開した。
この国で牛痘が発生した事例に関する追加情報を入手し、この病気がイングランドでは絶滅していると信じられているのは、農家が(明白な理由から)発生を隠蔽しようとした結果であり、その試みはしばしば成功した。
私はまた、パーベック島のワース・マトラヴァースを訪れ、可能な限りの現地情報を入手することで、ジェスティ氏(※実はジェンナーより先に牛痘接種を行なっていた農夫)の歴史を追った。
以下謝辞。
エドガー・M・クルックシャンク
24、マンチェスター・スクエア、W、
1889年4月
序文 まとめ
牛は天然痘患者から牛痘を罹患しない
接種担当者は接種に使用しているものの中身を知らない
ジェンナーの『Inquiry』には複数のバージョンがある
ジェンナーが予防接種を置き換える提案をしたわずかな根拠に強い衝撃
18世紀から予防接種に賛成派と反対派がいて対立
農家が牛痘の発生を隠蔽していた
序文から情報量が多い。
では本編を読んでいきたい。
第1章 外国における人痘接種の歴史
この章ではイギリス以外の様々な国での、天然痘と人痘接種の歴史について書かれている。
この本の説明のためにも、最初の一次資料の引用まで丸ごと引用する。
このように、どの一次資料から情報を得ているのかが明記されている。
""内はミード博士の文献からの引用となっている。
本記事での出典を記載しない引用は
全て『ワクチン接種の歴史と病理学1巻』からの引用とする。
では最初の例なので、サーカシアでの人痘接種とはどのようなものなのか、全文を見ていただこう。
被接種者に傷をつけ、そこに天然痘患者から取り出した膿を接種し、軽い天然痘に罹患させる、という習慣だったようだ。
これはサーカシアでの例だが、同様に世界各地での人痘接種の方法や養生法、接種後の症状、天然痘にまつわる言い伝えなどが書かれている。
情報量は国によってバラバラだが、以下の国や地域について言及されている。
コンスタンチノープル
トルコ
アフリカ
インド
中国
フランス
スペイン
イタリア
ドイツとオーストリア
オランダ
デンマーク
スウェーデン
スイス
ロシア
アメリカ
重ねて言うがインターネットのない時代だ。
これだけの情報を集めるというのは、偉業としか言えない。
さて、ここからは重要そうな部分を抜粋していこう。
「天然痘に二度感染することはない」という言い伝えがあったようだ。
二度目の感染は症状が軽かったらしい。
接種慎重派もいたが、接種後に天然痘で死んだ人は一人もいなかった。
傷も残らない。
自然感染だと致命的。
「天然痘を買う」という習慣があった。
膿を取り出した患者が金銭や物品を受け取らない限り、予防接種は何の役にも立たないという迷信があった。
ユダヤ人の間では購入のみでOK、接種の必要なしとの噂。
地域によって反対意見もある。
接種による痛ましい事故も起きている。
インドでは古い膿を接種に用いる。
中国でも古い膿かかさぶたを使用。
フランスでは予防接種賛成派と反対派がバチバチなので、全文引用させていただく。
この時代から300年経った今も論争は続いている。
ドイツでの死亡例と、人体実験の記録。
以下アメリカにて。
クルックシャンク氏によれば接種が原因で死亡したが、死亡の原因は他にあったとされた。
この説明が以下だ。
接種をしなくても同時期に死んだという主張。
この頃から予防接種推進派は「感染症により怖がらせること」に注力しているようだ。
第1章 まとめ
「天然痘は二度感染しない、もしくは二度目以降の感染では症状が軽い」と言われていた
そのため、世界各地で天然痘患者から取り出した膿やかさぶたを接種することにより、軽い天然痘に罹患するという習慣があった
「天然痘を買う」という習慣があった
接種による死亡例もあり、反対意見が出て、推進派と反対派で対立していた
第2章 グレートブリテンとアイルランドにおける人痘接種の歴史
この章ではクルックシャンク氏の住むイギリスについて、以下の4つの地域に分けて書かれている。
以下重要そうな部分を抜粋。
○ウェールズ
1722年に書かれた手紙に、90歳の老人の母親も人痘接種を行なったという記載あり。
ウェールズでは非常に古くからあった習慣。
二度目に天然痘に罹ったという例なし。
○スコットランド
外科医による接種で致命的な(おそらく死亡)例が出て慎重に。
○アイルランド
複数の死亡例。
この後ブライアン・ロビンソン博士に詳細な観察が続く。
○イングランド
イングランドに最初に人痘接種を持ち込んだのはメアリー・モンターグ夫人だったようだ。
少しだけ別の本を引用して補足したい。
横書きなので漢数字が読みにくいため、アラビア数字に変換させていただく。
彼女自身の美貌が天然痘により失われてしまったことがきっかけのようだ。
まず息子に接種し、次に娘に接種した、どちらも成功した。
慎重派が多かったようだ。
犯罪者での人体実験。
接種を受けた人からも感染する。
182回の接種で3人死亡。
それまでメイトランド医師は軽いものだと考えていたが、死亡例が出たため批判される。
接種を行う者たちは認めたがらず、死亡を他の原因によるものとしようとした。
人痘接種に対する強い反対運動が起こる。
接種により感染が広がるため、毒性が強くなれば人口削減に繋がり得るとの記述。
統計学を用いて接種を推進。
自然感染だと約6人に1人死亡、接種による死亡例は50人に1人以下。
また『免疫の反逆』より補足する。
接種による死亡例は約53人に1人。
死因の9%が天然痘。
接種推進派が統計詐欺を行ったという主張と、予防接種によって天然痘の感染が広範囲に広がったという主張。
天然痘患者か接種患者かの判断が難しいが、差別を受けた。
医師会は接種を強く推進。
この後、サットン式接種法という安全性が高いと言われる方法が出てくるが、引用すると長くなるし、接種方法自体が重要だとは思わないので割愛。
サットン式は人気が出て、かなり儲かったような記載がある。
ディムスデールはサットン式を取り入れて有名になり、ロシア皇后に招かれて接種を行った。
接種は盛んになったが、1798年に牛痘の予防接種(Vaccination)が登場、1840年に人痘接種は禁止される。
第2章 まとめ
接種による死亡例は多数、認めたがらない医師も多い
接種を受けた人からも感染が広がった
患者に対する差別
自然感染では約6人に1人が死亡、接種により約53人に1人が死亡、天然痘が死因の9%を占めた
反対派:推進派の統計詐欺・感染拡大さらには人口削減に繋がると主張
推進派:安全性の高い方法の開発と統計を用いた説明、医師会による断行
終わりに
あまりにも拙い翻訳ではあるが、ここまで読んでいただけた方には、クルックシャンク氏の仕事が本物であることが伝わっていると信じたい。
英国紳士であるクルックシャンク氏に倣って、個人の感想は極力排除して、なるべく偏りのないようコメント&抜き出しを行なった。
クルックシャンク氏の偉業を穢したくないし、より多くの方に知ってもらいたいからだ。
だいぶ長くなったので、第3章以降は次回で。
最後に、より詳細を知りたい方に向けて
『ワクチン接種の歴史と病理学1巻』はこちらから購入可能である。