引き続きエドガー・マーチ・クルックシャンク氏の著書『ワクチン接種の歴史と病理学1巻』を引用し、要約していく。
私が読んでいるのは、パトリック・ジョーダン氏が全文転写して解説を加えたものになる。
ページ数は原典ではなく、この本でのものとなる。
ここからエドワード・ジェンナーについて詳細に述べられていく。
ワクチン史の核心に迫る内容となる。
天然痘や人痘接種についての予備知識がない方は、前の記事から読むことをオススメしたい。
第6章だけでなんと139ページが使用されており
本書の最大のコンテンツとなっている。
日本語訳で98000文字を超える
本記事は長くなることを予めご理解いただきたい。
時間のない方・結論だけでいいやという方はまとめからどうぞ。
その根拠となる資料は本記事で全て引用している。
第6章 エドワード・ジェンナーの生涯と手紙
この章を通じてエドワード・ジェンナーの生涯を追いかけていく。
序盤は全文を引用したい。
ジェンナー生誕~カッコウの研究
ジェンナーは8歳のときに人痘接種を受けた。
その準備の養生法は酷いものだったようだ。
準備と人痘接種により、ジェンナーは長期の体調不良(聴覚過敏)になってしまった。
13歳から6年間医学の修行をする。
バロンによれば、この時に聞いた「牛痘にかかると天然痘にかからない」という話が、ジェンナーの注意を釘付けにした。
フォスブルックが「ジェンナーの注意を釘付けにした」件に言及しなかったのはいささか異常。
バロンはこれを最重視し、ジェンナーを偉人と並べている。
バロンはジェンナーの友人で、ジェンナーの伝記を書いている。
長引く体調不良。
21歳でジョン・ハンターに弟子入りする。
手紙の中でカッコウについて触れているが、以下で説明されている。
ジェンナーはカッコウの托卵について観察し、論文を書いた。
ここまではこの章の全文を引用した。
以下抜粋していく。
ジェンナーは王立協会のフェローに選出。
その後結婚。
ジェンナーはこの時期(1792-1795)、造園業や詩作を楽しんでいた。
ジェンナーと牛痘
フォスブルックによれば、1795年までジェンナーはワクチンに苦心していなかったため、サイモンの論文は疑問。
「釘付け」事件はバロンの仕業(創作)だった。
ジェンナーは牛痘の起源は馬の踵の病気だと考えた。
ジェンナーの発見はキメラ扱いされる。
ヘイガースによれば、この件に関する過去のすべての観察と矛盾。
ジェンナーの実験。
牛痘に罹患した人に人痘接種して失敗(天然痘を発症しなかった)。
牛痘に罹患した人から膿を採取しフィップス少年に接種、その6週間後少年に人痘接種して発症せず。
ただし牛痘に罹患した牛の膿を接種していない。
この後もジェンナーは手紙の中で"Believe me"という表現を多用する。
ジェンナーの論文は英国王立協会の『王立協会報告』には掲載されなかった。
『Inquiry』の自費出版~田舎での隠居生活
1798年に『Inquiry』が出版される。
これを水上茂樹氏が日本語訳したものを読むことができる。
ここにジェンナーの実験と観察の23例が書かれている。
これを読むと、牛痘に罹患した牛の膿を接種したのは第19例のウィリアム・サマーズ少年のみだと思われる。
しかしこの少年に対する人痘接種や天然痘罹患等の情報がない。
つまり、ジェンナーはワクチン接種後に天然痘から守られるという根拠となる実験と観察を行なっていないことになる。
批判を恐れて田舎に隠居した。
しかしインゲンホウスという強敵が現れる。
牛痘罹患後の人痘接種で天然痘を発症、さらに父に伝染し父は死亡というケース。
「偽」の牛痘と「真」の牛痘があるというジェンナーの主張。
仲間に頼るも失敗、その後ジェンナーは途方に暮れて友人に同情と助言を求めて手紙を書く。
ジェンナーには敵対者もいれば、味方もいた。
ピアソンによるジェンナーを崇拝するかのような表現。
牛痘が出れば飛んで行く牛痘ハンター。
牛痘推進派の間でも方法論では対立。
『事業』という表現から、ウッドヴィルはビジネス面を重視。
健全であれば感染は起こらない。
1799年にピアソンとウッドヴィルはその勢力と熱意によって、牛痘の予防接種を推進することに成功し、医学界が騒然となる。
彼らの研究に比べれば、ジェンナーの仕事は無価値に沈む可能性があった。
これを危惧した甥のジョージ・ジェンナーが手紙を書く。
牛痘を牛に接種して伝染させることが困難であり、馬から牛への伝染はさらに困難。
今活動しなければ、ジェンナーの名声と財産を確立する機会は失われる。
ロンドンに戻る
ワクチン接種による初(?)の死亡例がウッドヴィルにより報告される。
しかしジェンナーは、「ワクチンとともに体内に入り込んだ天然痘膿の作用」とする。
この事故からワクチン接種支持派が増えたようだ。
反対意見も出るが、多くの医師と外科医の署名を集めた。
これは未読なのでここでは内容には触れない。
ジェンナーはオックスフォードで更に多くの署名を得た。
根気強く失敗への説明を行ない、自説を支持する証拠を集めた。
自説に反対する人を馬鹿にする発言。
牛痘後に天然痘に罹るのは過敏症体質だと言った。
直訳なのでわかりにくいので噛み砕く。
牛痘には「本物」と「偽物」があり、後者は天然痘への免疫を与えない。
「本物」の牛痘の膿であっても免疫効果を失うことがあり、効果のないワクチンがあり得る。
しかし牛痘は天然痘に対する完璧な安全策である。
翻訳に誤りがなければ、おそらく上記の主張のようだ。
金策に奔走。
「ワクチン接種によって、天然痘の感染を生涯にわたって完全に防ぐことができる・最終的には天然痘を根絶させるに違いない」という内容で請願書を出し、報酬をもらった。
ジェネリアン協会の設立
王族の後援を受けて王立ジェネリアン協会設立。
長くは存続しなかったようだ。
ワクチンの失敗が多く、信頼は失われていったようだ。
ワクチンの失敗の理由を考えた。
ジェンナーは完全なワクチン接種後の天然痘を認識。
大多数の接種者が牛痘を「本物」か「偽物」か区別出来ないという指摘。
"ヴァクシナを新たな神として称えている"という言葉。
原文は"hail Vaccina as a new divinity"。
"あらゆる階級の人々がワクチン接種によって誘発される症状を新たな神として称えているのを、喜びと歓喜をもって眺めるに違いない。"
接種後の症状を愛おしく思っているようだ。
ジェンナー自身の人痘接種後の長期体調不良と関連があるかはわからない。
ケシの花→アヘン。
アヘン中毒であった可能性。
反ワクチン主義者の記載。
以下の3パターンがあるようだ。
・予防接種反対(感染拡大の恐れ・ハイリスク)
・ワクチン反対人痘接種推進(効果がなく人痘接種の方が優れている)
・ワクチン推進
あらゆる批判を拒絶。
ワクチン失敗のことで頭がいっぱいだった。
バーチ医師はこの後もジェンナーを非難していくことになる。
ワクチンの失敗やジェンナーへの非難が出続けるも、ジェンナーにさまざまな栄誉が授与された。
ジョン・バーチ医師の『ワクチン接種に反対する理由』
以下バーチ医師による「ワクチン接種に反対する理由」が続く。
非常に長いので抜粋していく。
隙間は略が入ることを示す。
非常に長いが、これでも半分ほど省略した。
バーチ医師はワクチン接種反対で人痘接種推進派のようだ。
要点を濃縮する。
ジェネリアン協会のメンバーのほとんどはどんな人かわからない
ジェネリアン協会の報告書は科学的正しさを伴っていない
ワクチン接種が大きな力により推進され、反対する言論は封殺された
ジェンナーがロンドンを去った不誠実さを非難
ホースグリース(馬の踵の病気)が牛痘の原因であるとする説は誤りであることが証明された
ジェネリアン協会は署名により数の力を使った(もちろんこれ自体は科学的正しさとは無関係)
非常に重要な証拠であるため、多く引用させていただいた。
以下より全文読むことができる。
ワクチン接種のその後~ジェンナーの晩年
権力によるワクチン推進。
ジェンナーは人痘接種禁止を求めたが失敗した。
国立ワクチン研究所の設立許可証を取得し、所長に任命される。
理事会ではひどい扱いをされた。
ジェンナーは手を引き、ムーアが任命された。
犬へのワクチン。
息子と妹を亡くす。
ジェンナーの手により10年前にワクチン接種を受けたグロスブナー氏が天然痘により重症化。
これより後、ワクチン接種により天然痘は予防されないまでも軽症化するという説が生まれた。
この後おそらくジェンナーによる手紙の原典が4ページにわたって載っているが、ほとんど読めなかった。
原典を載せるくらいなので重要な手紙なのだと思うが、ここではアーカイブより画像を貼るにとどめる。
グロスブナー氏の件で世間は騒ぎ、ワクチン接種でなく人痘接種が採用された。
ブランデーとアヘンで勇気を得ていた。
ワクチンの信用回復。
ジェンナーは論争を拒否し、報道機関を使用することを奨励。
論争は避けつつ反ワクチン主義者への暴言。
ジェンナーの各種の説。
地域によってはワクチン接種後にも天然痘が大流行し、反対の声が高まるも、ジェンナーは接種の不注意のせいだとした。
天然痘がバークレーにも入ってくる。
甥のヘンリー・ジェンナーが感染。
ワクチン支持者でも効果は限定的と主張するのみだったが、ジェンナーは「天然痘の感染から永遠に安全である」と主張し続けた。
「少なくとも10万人は死ぬだろう」という脅し。
これが引用されているジェンナーの最後の手紙。
1823年1月26日、ジェンナー死去。
この文章で第6章は締め括られている。
第6章 まとめ
幼少期の人痘接種による長期の体調不良
カッコウの托卵の研究で王立協会のフェローになる
ジェンナーの注意を釘付けにしたデイリーメイド事件は友人のバロンの創作だった
馬の踵の病気が牛痘の原因だと考えるが、これはデタラメだった
ジェンナーはワクチン接種後に天然痘から守られるという根拠となる実験と観察を行なっていない
1798年に自費で『Inquiry』を出版したが、批判を恐れて田舎へ隠居
ワクチン接種後の天然痘の症例の説明に、「本物」と「偽物」の牛痘があるためだと説明した
権力者の支援を受けて王立ジェネリアン協会を設立
あらゆる批判を拒絶してワクチン支持者を集め続けた
ジェネリアン協会の構成メンバーがほとんど謎で、報告書は非科学的であったが、署名という数の力を使った
権力者によりワクチン接種が推進され、反対する言論は封殺された
ワクチンの失敗を被接種者の過敏症体質のせい・接種者の不注意のせいだとした
「ワクチン接種を受けたものは、天然痘の感染から永遠に安全である」という主張を最期まで貫いた
バロンの創作の件もあるので全ての一次資料が正しいとは限らない。
だがジェンナーに関する資料がこれだけ揃っている。
これこそがクルックシャンク氏の偉業だ。
あまりにも拙訳だがワクチン史の核心部分がご理解いただけたと思う。
ここまでの4万字を超える長文を読んでくださった方には
心より御礼申し上げます。
最後にこの本の購入はこちらより。